「依存」からの回復 米国の試み 中

AA

朝日新聞 家庭面から (掲載日 2003年3月12日)

体験語り支え合う輪

 コネティカット州南東部のレバノン・パイン治療所。ポール(43)は、90日の入院治療プログラムに加わっている。今日で50日、酒は一滴も飲んでいない。
 庭師をしている。仕事ぶりが認められ、注文も増えた。結婚し、2人の子供にも恵まれた。だが、大きな仕事をもらうと緊張し、酒の量が増えていった。
 治療所は三つ目だ。一つ目も二つ目も、1週間で飲んだくれた。「今度こそ、やり直したい」

 ポールはレバノン・パインでは「幸福者」だ。入所している20代~40代の男性約100人のほとんどが独り者で、仕事もない。酒や薬物が原因で何度もトラブルを起こし、家族に見放され、警察の世話になった経験を持つ者も多い。
 治療所では5時45分起床。朝食後、ミーティングやカウンセリング、工作や農作業が、映画鑑賞などのレクリエーションをはさみ、夜9時まで続く。「共同生活の中で、薬物や酒に頼らない生き方を学び、社会復帰を目指す」とビル・サグデン所長が説明する。
 「依存が、治療が必要な病気であるということは、まだまだ理解されていない」。コネチカット大学のロナルド・カデン教授(心理学)はいう。
 依存の近代的治療は、35年、オハイオ州アクロンでアルコール依存の2人が出会ったことに始まる。ニューヨークの株式仲買人ビルとアクロンの医師ボブ。お互いの体験を語ることで、依存からの脱出に成功した。
 自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス(AA)」の誕生だ。

治療体制の限界補う

 依存から抜け出すには断酒しかない。同じ体験をした者同士が語り合い、問題に気づいていくAAの手法と、認知行動療法などを組み合わせた治療で、それができるのは4~6割。「だが、治療後も飲まずにいるのは難しい。継続的な教育が重要だ」とコネティカット州ハートフォードの酒薬物回復センター(ADRC)のロナルド・フレミング治療部長はいう。
 ADRCにもレバノン・パインと同じような入院プログラムはあるが、期間は2~4週間。多くの患者は4、5日間の短期間で禁断症状などの急性期の治療を終えると、通院に移る。
 「平日の昼は管理できても、夜や週末は誘惑が待っている。月曜は不安になるわ」。カウンセラーのデボラ・コバールさんは話す。
 ほとんどの治療所は助成金や寄付金に頼っているのが現状で、「限られた人しか治療を受けられない。AAなどの自助グループがなければ、治療は成り立たない」とフレミング部長。
 この町に住むナンシー(45)がAAを知ったのは8年前だ。
 父も兄も大酒飲みで、家にはいつも酒があった。初めて飲んだのは16歳の時。「頭の中で爆弾が破裂したみたいな気分だった」
 その最初の一杯から依存だったと思う。大学を卒業して結婚したが、離婚した。その後も何人かの男とつきあったが、長続きしなかった。
 ある日、友人に無理矢理連れていかれたミーティングでびっくりした。「まるで私と同じ話。苦しいのは自分だけじゃないと分かった」。依存は病気で、意志が弱いからじゃない。だめな人間だからじゃない。「涙が止まらなかった」

 ニューヨークにあるAA本部(GSO)で、ゼネラルマネージャーのグレッグ(57)はいう。「だれかがどこかで助けを求めたら、必ずそこに救いの手があるようにしたい」。今、150カ国でAAが活動する。
 夕方、教会の地下で開かれたミーティングにリック(43)と出かけた。彼は21歳の時、酒をやめた。今も週4回は通っている。
 1時間の集まりは、祈りで始まる。約40人の半分は女性だ。互いに愛称で呼び、この1週間酒におぼれなかったことを祝福しあう。1ヶ月、1年、断酒の節目を迎えた人にコインが配られ、体験を語り合う。
 「いつも世界中のどこかでミーティングが開かれている」。リックが言った。

AA アルコホーリクス・アノニマス(無名のアルコール依存症者たち)。匿名で、組織に縛られず体験を語り合う。現在、世界10万グループ220万人に広がり、基本理念「12のステップ」など回復への道を示すバイブル「ビッグブック」は、47カ国語に訳されている。51年には米医学界最高のラスカー賞を受賞した。日本では390余りのグループ4千人が活動している(本部JSO=03・3590・5377)。

「依存」からの回復 米国の試み 中

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(初掲載:2003-9-20)

2024-03-19

Posted by ragi