おくりびと:「納棺夫日記」との違い

おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(1)宗教色薄めて家族を描く
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200033000c.html

特に後半部分は、青木さんが納棺師という仕事に就き、身近に死を感じることで得た宗教観や死生観をつづっている。

『歎異抄(たんにしょう)』に示された親鸞の思想や、臨死体験を思わせる宮沢賢治の詩を繰り返し引用し、生と死が一体化したときに見える<ひかり>について言及している。この著書は、青木さんの納棺師という体験を経ての哲学的、宗教的な思索の軌跡が読みどころになっている。

映画では、人の死に際しての場面が頻繁に扱われている。しかし、特定の宗教色は感じさせない。また、人の生死について、登場人物が垂直に思索を深めるような場面もあまりない。
おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(2) 多くの共通点も
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200034000c.html

おくりびと:「納棺夫日記」との違いは?なぜ原作ではない?(3止)「納棺夫日記」著者・青木さんに聞く
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200035000c.html

送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。

――宗教色や生死への哲学的な思索が薄くなって、わかりやすくなったということはないでしょうか。

青木さん 複雑です。死者と生者のきずなが大事だよと映画は教えてくれるけど、最後は「癒やし」なんですよね。そこで止まっていたら、やがて人間中心主義・ヒューマニズムは、自己中心主義になるのではないでしょうか。癒やしだけだと、その場を取り繕うことになりかねません。におい消しみたいなもので、においそのものを断っているわけではない。においそのものを断つには、宗教的なものが必要になるんです。本を書いたときから、なぜ宗教を書いたのって、言われました。(より専門的に宗教を書いた)3章を書かなかったらノンフィクションの賞に推薦すると言った人もいました。でも宗教に目覚めたのは、3000体の遺体を送ってきた経験からですよ。元々勤めていた会社の社員に読ませようと思って刷ったんですから。

AAなどの自助グループ(Mutual Aid Group)も、人と人の絆とか、人のぬくもりとか、人による癒しに流れてしまうと、スピリチュアルな側面が薄れてきて、やがて人間関係のトラブルがあっただけで「AAに失望したからミーティングに行きたくない」とか言い出す輩が出てきてしまいます。
「人の力の限界」こそが自助グループの根源であることを忘れてはならないと思います。

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