中井久夫『世に棲む患者』対話編「アルコール症」 1

「きみはアルコール症を診たことがあるのかい」

「そう、東京で精神病院に勤めている時が主な体験かな。こっちでも診ているが、少ないね。名古屋では診なかった。あすこはアルコール症が少ないんだ」

「そんなところがあるのかね」

「うん、東京では大工さんのアルコール症は治しにくかった。建築の祝いには酒がつきものだからね。それを名古屋で話すと、いや、ここでは酒を出さない。五合瓶を持って帰ってもらうようにすることが多いといわれた。びっくりしたね。自動車の普及のせいかなと思ってみた。たしかにあの町は自動車がないと暮らせないようだ。だが、それだけではない。東海地方は全国でいちばん単位人口当りの精神病床数の少ないところだ。それにはアルコール症の少なさも手伝っているだろう。むろん、アルコール症がないわけじゃない。

だが、それはよそから来た人が多いというのだ。この言い方には、土地の人の排他的な感情が混じっているかもしれないが。繁華街が少ないのは事実だよ。他の都市から見ると、桁違いに小さい女子大小路とかいうのがあるくらいだ。そうそう、東京の浮浪者のアルコール症は治りにくい。繁華街の裏口に置いてある空き瓶の酒を集めると結構の量になるというんだ。それは名古屋では通用しないといわれたね。空き瓶に酒が残っているなんて考えられないのだって」

 

「ずいぶん違うんだな」

「そう。アルコール症は地域によって大違いだ。それによって治療法も変わってくると思う。九州の精神科医、北海道の精神科医、関東の精神科医、それぞれがアルコール症の治療法を書いているが、そこの飲酒文化の違いを反映しているという感じがとてもする」

「たとえば?」

「九州大学の精神科に碇(いかり)さんというドクターがいる。彼は宴会療法というのを提唱している。患者と一緒に宴会をするのだ」

「えっ」

「彼は北九州の炭鉱地帯で仕事をしていた。あすこは昭和三〇年代から、エネルギー政策の転換といって、要するに石炭から石油に換えるということなんだが、それで沢山の炭鉱を廃山にしてしまった。その一〇年前は、傾斜再生産といって、石炭が最重点で、都会から炭鉱へ行く人を美談だと新聞が書きたてたり、天皇が坑道の奥深くはいったりした。政策転換とはむごいものだね。炭鉱の社会は非常に緊密な共同体だった。それが根こぎされたわけだ。アルコール症が激増したのも無理なかろう」

「第二次大戦中にアメリカ軍の基地に雇われたりして生活のスタイルを失い、貨幣経済に強制的に編みこまれたエスキモーやカナダ・インディアンが人口の半分ほどもアルコール症になってしまったのに似ているね」

「生きがいが確立していた人が、社会変動のために生きがいの基盤を掘り崩されて、もう一度生きがいを求めようもないという事態だとこうなるのだろうね。一民族がアルコール症になってゆくとは悲劇だね、まったく」

「酒は人類最古の安定剤だというが、安定剤がわりに使うとよくないようだ。いくら飲んでも、心の安らぎが得られるわけでない。いや、得られる人はわれわれの目に留まらないわけか。得られない人がいるということ、得られない人は、とにかく意識を失うまで飲んでしまうということだね」

「そうだ、楽しみながら飲むといいわけか」

「酒を味わうのはいいんだろう。うっとりとしたところで止めるから。だから、碇さんは、酒を楽しく飲めばずいぶん状況はよくなるだろうと考えた。彼の挙げている例では、四〇年くらい飲酒歴のある女性が出てくるが、このおばさん、酒がうまいとは一度も思わなかったそうだ。宴会療法は、医師や看護師、看護士も交えて、酒と肴を用意し、カラオケも準備して、どんちゃんさわぎをする」

「医師も座持ちがよくないとだめだろうね」

「必ずしも座持ちのよい人とは限らないらしいよ。精神科医が対人関係の達人とは限らないのと同じだね。碇さんはたしか酒を飲まない」

「結局どうなるんだ」

「酒との関わり方が変わる。結果として酒量が減り、いつでも酔っぱらっている必要が減る。小諸で一九八四年にあった精神病理懇話会の席上、ビデオを見せつつ発表した時は、聴衆は皆うなったね。壮絶というか、何というか」

「なるほど、きみのいわんとすることはこうだろう。それは北九州の、一部かもしれないけれど、その現実に即したやり方だと―」

「そのとおり。だから聴衆もはじめは抵抗を感じていたけれど、途中からは引きこまれて声もなかった」

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