Addiction & Dependenceの最近のブログ記事

Global Status Report on Alcohol and Health 2011
http://www.who.int/substance_abuse/publications/global_alcohol_report/en/index.html
The Global status report on alcohol and health (2011) presents a comprehensive perspective on the global, regional and country consumption of alcohol, patterns of drinking, health consequences and policy responses in Member States. It represents a continuing effort by the World Health Organization (WHO) to support Member States in collecting information in order to assist them in their efforts to reduce the harmful use of alcohol, and its health and social consequences. The report was launched in Geneva on Friday 11 Februray 2011 during the first meeting of the WHO global counterparts for implementation of the global strategy to reduce the harmful use of alcohol.
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「ノンアルコール」の表示に関する緊急要望書
http://www.ask.or.jp/ask120110.pdf

【ノンアルコールについて】
1)ノンアルコールの定義の規定
2)既存のアルコール飲料と同一ブランド(商品名・ロゴ・デザインイメージ)及び類似する意匠を使わないこと
3)ノンアルコールであることが一目でわかる統一表示の規定
4)未成年者を誘引しないよりいっそうの工夫
(20 歳以上が対象であるとの表示、広告に未成年に見える若者や未成年に人気のタ
レントを起用しない、アルコールの棚での販売、レジでの年齢確認など)
5)健康上の理由で禁酒・断酒している人、妊産婦に向けた広告やキャンペーン、サンプリングをしないこと

【酒類について】
1)缶入りの酒類については、「お酒マーク」に加え、缶のプルトップの色を変えるなどノンアルコールとの識別性を高めること
2)今後、酒類の商品名に、「ゼロ」「オフ」「フリー」を使わないこと
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断酒に貢献 全国大会表彰 朝日の高橋好道さん
http://www.map-color.co.jp/times_news/archives/8142.html
 2011.11.13 (日)
 NPO法人長野県断酒連合会の前理事長で、アルプス断酒会の名誉会長・高橋好道さん(81)=朝日村西洗馬=がこのほど、第59回精神保健福祉全国大会で日本精神保健福祉連盟会長表彰を受けた。地域の断酒会の中心となって、長年尽力してきた功績が認められた。高橋さんは受賞の喜びをかみしめ、支えてくれた関係者に感謝の思いを新たにしている。

様々お世話になっている断酒会の会長さんが、表彰されたという地元紙の記事です。2年前、全国大会開催のために積み立てた金を県断連の会計担当理事が使い込んでしまうという事件があり、その事後処理は端から見ていてもなかなか大変だったようです。AAにも奥様と二人でお招きし、酒害体験を話していただきました。
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Twelve Tips on Keeping Your Holiday Season Sober and Joyous!
(クリックすると拡大)

大阪の仲間が日本語訳を作って送って下さいました。元はNY GSOのBOX459からダウンロードできるそうです。
臨床心理士・信田さよ子「あなたの悩みにおこたえしましょう」
ハマってしまう自分をどうすればいいのでしょう
https://aspara.asahi.com/column/nayami-okotae/entry/BMHl6vDJQy

Q ハマってしまう自分をどうすればいいのでしょう ミエ、35歳

 思春期のころから摂食障害になり、約8年間過食と嘔吐を繰り返す生活を送りました。親には知られたくないと思い隠れて吐いていましたし、それほどひどく体重が減ったわけでもなかったので、幸い今でも家族はそのことを知らないままです。

 就職して実家を離れ、食事の習慣を規則正しくするよう努力したことが功を奏したのか、25歳ごろには症状はなくなりました。ところがそのころから別の悩みが生まれました。ヨガを始めると休みの日までヨガ教室に通いつめ最後には腰を痛めてしまい、手芸の刺繍を始めると睡眠時間を削ってまで根を詰め、最後には部屋中に作品が溢れるほどになりました。やり始めると自分でも止められないほど夢中になってしまい最後は行き詰まってやめるということの連続なのです。35歳になった今そんな自分に気づき、つくづくいやになりました。新しいことを始めようと思うのですが、ついつい躊躇してしまいます。

 最近の私は仕事から帰ってからの時間をひとりでワインを飲んで過ごすようになりました。実は、父親はアルコール依存症といっていいほどの酒飲みです。しょっちゅう酔って母に暴力をふるい、私も何度かひどく殴られた記憶があります。父は70歳を目前にしながら、今でも実家で毎晩のように酒を飲み母を困らせています。そんな家族だったので、幼いころから父のような男性とは結婚しないと誓い、成人してからは飲酒するにもかなり用心深くしてきました。きっとのめり込んでしまうと思うので、ゲームやギャンブルにも近寄らないようにしてきました。

 そんな努力をしてきたにもかかわらず、いつのまにかワインを飲む時間が増えた私が不安なのです。いつか父のようになってしまうのではないでしょうか。何事にものめり込む性格は世代間連鎖するのでしょうか。

 振り返ってみれば、人間関係も熱中しては離れることを繰り返してきたような気がします。お付き合いする男性との関係も長続きしません。早く結婚して、両親とは違う幸せな家庭を築きたいのです。こんな私をなんとか変える方法はあるのでしょうか。アドバイスをお願いします。

A 心理学用語が用いられるとき

 ご質問の内容ですが、読む人が読めばどこが問題なのだろうと訝しんでしまうでしょう。かつて摂食障害だったが今では症状はなくなっている、仕事はちゃんと続けている、趣味もやり始めれば一定程度の道は極める......。これらはほめられこそすれ、何か問題があるわけではないでしょう。なのにミエさんはそこに大きな問題を感じていらっしゃる。

 その根底にあるのはアルコール依存症である父への嫌悪と、その娘であるがゆえにいつか自分も父に似てしまうのではないかという恐怖なのではないでしょうか。自分が親のようになってしまうという世代間連鎖をミエさんは何より怖れていらっしゃるのです。では、果たして世代間連鎖は起きるのでしょうか。まずこの言葉について簡単に説明しておきましょう。

 心理学用語が人々に取り入れられるのは相応の理由があります。そのいい例が性格という言葉です。今や日常用語になったこの言葉は戦後社会において急速に広がったものです。民主主義社会においては、人々は生まれつきの家柄や性別によって決定されるのではなく、平等な人権に基づいて生きることができるようになりました。たとえ建前であったとしてもそのことが憲法に謳われてから、性格という言葉が流通し始めたのです。もともとの性質(たち)や性根、人品とも異なる性格という心理学的な言葉は、個人を尊重し、その結果として個人の責任に帰せられる言葉でした。親がしつけや育児に際して「あの子の性格は~」と語るとき、子どもには性格という目に見えない実体が備わっており、そこに問題があるのだと主張しているのです。子どもの性格は子どものものなのですから、親に責任はなくなります。また対人関係において、「あの人はヘンだ」という代わりに「あの人は性格がヘンだ」と批判されれば、ヘンな性格を修正する責任が強調され、却って傷ついてしまうでしょう。

 このようにして心理学用語は、その都度日本の社会に必要とされて定着してきました。最近では「トラウマ」「自己評価が高い(低い)」などが挙げられます。世代間連鎖もそのひとつと考えていいでしょう。逆にそれらから日本の社会の変貌を見ることができるかもしれません。

「世代間連鎖」という言葉が隠ぺいしたもの

 この言葉が日本で広範に受け入れられるようになったのは、1990年代に入ってからでしょう。私の記憶によれば、もともとはアルコール依存症の親をもつ人たちが、成人後、親と同じくアルコール依存症になってしまうという多くの事実から生まれた用語です。私も分担して翻訳している『私は親のようにならない―嗜癖問題とその子どもたちへの影響』(クラウディア・ブラック著、斎藤学監訳、誠信書房、1989)は世代間連鎖の問題を描いた最初の本でした。著者によれば、アメリカではアルコール依存症者の子どもは成人後約半数が同じ依存症に、四分の一の配偶者が依存症者になるというのです。あまりに希望がないと思われるかもしれませんが、この本はそうならないための手立ても書かれています。しかしながら、日本において広がったのは、アルコール依存症のもたらす次世代への影響より、「親のようになってしまう」という悲観的な側面だったのです。それがもっとも活用されたのが子どもへの虐待でした。

 90年のバブル崩壊後、日本経済は成長を鈍化させ長期にわたる低迷状態へと突入していきます。同じ時期、日本では子どもの虐待防止が叫ばれ始めました。大阪と東京で、親の虐待から子どもを守るための市民団体が、小児科医や弁護士・精神科医・保健師などを中心として相次いで設立され活動を開始します。マスメディアでも虐待死のニュースが流れ始め、特集も組まれました。それらの論調の多くは虐待する母を克明にルポし、彼女たちも虐待されて育った、つまり世代間連鎖によるものだと結論づけました。言うなれば、「母性」を喪失し虐待に走る母を俎上に上げ、その理由として彼女たちも虐待されて育ったという因果論によって説明づけたのです。多くの読者は虐待という残虐な行為に戸惑うからこそ、このようなわかりやすい説明を受け入れたのです。これが世代間連鎖という言葉が一気に広まるきっかけとなりました。

 虐待を母=女性の問題に矮小化し、さらに世代間連鎖という因果論で説明することで隠ぺいされたものは何だったのでしょう。

 2000年に子どもの虐待防止法が施行されて以来、さまざまな調査によって明らかになってきたことがあります。それは虐待の加害者の多くは実父・義父であることでした。また虐待されて育った女性が必ずしも虐待する母になるわけではないことも明らかになっています。つまり90年代に世間一般に受け入れられたあの世代間連鎖という言葉はそれほど根拠がなかったのです。

 とすれば、当時の社会において虐待を女性=母の問題へと囲い込み、「自己責任」の対極である運命論的な世代間連鎖と結論づけたことは、不況のさなかで子どもを虐待する男性=父の姿を隠ぺいし、さらにすべてを自己責任へと集約する新自由主義(ネオリベラリズム)からの解放を意味したのではないでしょうか。おまけに、母=女性は虐待されて育った被害者性を承認されることで自分を責めずに済み、父=男性の責任も不問に付されたのです。

世代間連鎖は男性の問題

 近年新たに注目されるようになったのは、DV(ドメスティック・バイオレンス)を目撃して育った男児が、長じて父と同じく配偶者に暴力をふるうようになるという世代間連鎖です。DVを目撃することは広義の虐待であり、その影響は男児と女児ではジェンダー差があると言われています。少々雑駁な説明になりますが、父から母への暴力を見た男児は攻撃性を他者に向け、女児は自分に向ける傾向があると言われます。

 私はDV加害者プログラムを実施していますが、そこに参加する男性たちの多くは子ども時代に父から母へのDVを目撃しているという事実も、それを裏付けるように思います。したがって世代間連鎖は女性(母から娘へ)の問題ではなく、むしろ男性(父から息子へ)の問題だと言ってもいいでしょう。女性は否が応でも出産を経験することで母親のことを思い出さざるを得ませんが、男性も結婚する前に今一度父親のことを思い出し、母にとって父がどのような夫だったかを振り返ってもらいたいのです。それは決して後ろ向きなことではなく、夫となり父となるために不可欠な作業であるとさえ思います。自分が深く父の影響を受けていることを知るのは、その影響を払拭するための大前提なのです。

コントロールを喪失する=依存症

 さて肝心のアルコール依存症についてですが、アルコールという薬物に対する反応における遺伝的要素は否定できないようです。アルコールの酔いが何らかのメリットをもたらさなければアルコール依存症にはなりません。父親がアルコール依存症であるということは、アルコールを摂取することでミエさんも「酔いの快楽」を経験できる可能性が大きいということを表しています。そのことが直線的にアルコール依存症につながるわけではありませんが、人生においてつらい時期にアルコールの酔いだけが救いになることもあるでしょう。依存症になる危険性はそこに潜んでいます。

 ミエさんはワインを飲む時間が増えているとお書きになっていますが、それが楽しみであれば問題ないのですが、飲むことに罪悪感を感じながらそれでも飲んでしまうのであれば、少々問題だと言わざるをえません。さまざまなことにのめり込みハマってしまうのは、いつのまにかコントロールを喪失していることを表しています。自分でも止められないことをコントロール喪失といいますが、実は過剰なセルフコントロールとそれの喪失とはコインの裏と表の関係にあります。なすがまま、やりたいようにしている人はコントロールを喪失しているわけではありません。むしろ自分を責めて止めようとすればするほど止まらなくなり、コントロールを喪失していくのです。依存症になる人は、裏返せば自分を責めている人なのです。父親のアルコール依存症が飲むことへの罪悪感につながっているとすれば、ミエさんは依存症になる危険性が高いことになります。

予防できる世代間連鎖

 危険性が高いことはやめましょう。ワインを飲むことは今なら簡単にやめることができます。もう少し時間が経つとミエさんのアルコールへの依存度は強くなるでしょう。そうなればやめるのはどんどん困難になります。この段階で相談してみようと思われたのは適切な判断でした。

 さて冒頭でも申し上げましたが、ミエさんはこれまでの人生をもう少し評価してもいいのではないでしょうか。家族に内密にしたままで摂食障害から回復されたことは、何より評価されるべきでしょう。多くの摂食障害者は10年以上も症状に苦しみ、周囲の家族を巻き込んでいきます。それに比べればなんと健気なことでしょう。父のDVとアルコール依存症に苦しんでいる母親に苦労をかけたくないという思いからか、それとも自分の苦しみを親が理解できるはずもないという絶望からか、いずれにしてもその孤高の姿はミエさんのプライドそのものを表しています。そのプライドこそが、ミエさんのこれまでの人生を守り支えてきたということを信じていただきたいのです。用心深くギャンブルやゲームを遠ざけ、人間関係においても決定的に傷つくことを避けてきたこと。これらも同じプライドの表れとして位置づけることができるでしょう。

 そんなミエさんに提案があります。プライドは自分を守りますが、時には他者を遠ざけることもあります。そこから生まれる孤独感と孤立感は、実はアルコールの酔いと親和性が高いのです。ワインをやめたついでに、同じ経験をもつ人たちのグループにつながり、参加してみませんか。アルコール依存症や機能不全家族で育った人たちの自助グループやカウンセリング機関で実施されるグループもあります。ミエさんのように深い孤立を経験した人だからこそ味わえる、他者とつながる喜びがあるでしょう。そうすることで世代間連鎖という言葉に怯える必要はなくなり、幸せな家庭を築く可能性も出てくるのではないでしょうか。


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註1:2004年に改訂版刊行
 2:特定非営利活動法人児童虐待防止協会(APCA)1990設立
 3:社会福祉法人子どもの虐待防止センター(CCAP)1991設立
 4:ACA(Adult Children Anonymous、アダルト・チルドレン・アノニマス)http://aca-japan.org/

[1/21~22] DARS in Kawasaki

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薬物依存症者処遇プログラム研修
第9回薬物依存者回復支援セミナー
DARS in Kawasaki 2012

「境界を越えて~薬物問題における福祉・医療・司法~」

1/21(土)川崎市国際交流センター
第1部 13:00~14:50
・挨拶と趣旨説明 龍谷大学 石塚伸一
・依存症・自尊心が高ければ回復できるのか?
  日本ダルク 近藤恒夫
・薬物依存症者の家族のための法律知識
  アパリ 尾田真言
~休憩30分
第2部 15:20~17:20
・ミニシンポジウム 「刑の一部執行猶予を考える」
 コーディネーター:石塚伸一
 シンポジスト:市川岳仁(三重ダルク)・尾田真言(アパリ)
   加藤武士(京都ダルク)・相良聡(川崎ダルク)

1/22(日)川崎市産業振興会館
第1部 9:30~12:35
・前日のまとめ 龍谷大学 石塚伸一
・多重構造の「ザル」を目指して
 ~治療プログラムを介したつながり~
  国立精神・神経医療研究センター 松本俊彦
・地域での薬物依存者の回復にどう関わるか
  東海大学 宮永耕
~休憩10分~
・個の自立に課題を抱えるメンバーの回復と支援について
 ~重複障害の視点から~
  三重ダルク 市川岳仁
・異なる主体を共有される課題で横につなぐ
  龍谷大学 土山希美望
~休憩60分~
第2部 13:35~16:30
 ミーティング 沖縄ダルク 三浦陽二
 わかちあい

申込み〆切 2012年1月13日(金)必着

NPO法人アパリ
http://www.apari.jp/npo
龍谷大学矯正・保護総合センター
http://rcrc.ryukoku.ac.jp/index.php

お問い合わせ、お申し込み先
 龍谷大学矯正・保護総合センター FAX 075-645-2632
  〒612-8577 京都府伏見区深草塚本町67 TEL 075-645-2040

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2012年1月度(第234回)アルコール問題を考える集い

日時 1月22日(日)午後1時30分~4時15分
場所 東村山ふるさと歴史館(東村山市諏訪町1-6-3)視聴覚室
体験発表 回復を目指す仲間
講演テーマ 一般内科医のアルコール関連問題への取り組み
 講師 高山市国民健康保険丹生川診療所 所長 土川権三郎 先生

〈交通アクセス〉
西武新宿線・西武国分寺線「東村山駅」西口より徒歩で10~15分

主催 NPO法人アルコール問題と取り組む組織
仲間と共に歩む会 連絡所
 〒203-0052 東京都東久留米市幸町 1-5-32
 TEL・FAX 042-479-4533
共同作業所 久留米の家
 〒203-0052 東久留米市幸町 4-11-21
 TEL・FAX 042-477-3556
第9回とちぎアディクションフォーラム
アディクションとリカバリー ~地域社会と回復の共存~

日時:1月21日(土)10:00~16:30(開場 9:30)
会場:とちぎ青少年センターアミークス
参加費:500円

 9:30 開場
10:00 主催者挨拶
10:10 講演:上岡陽江さん
12:00 昼食(各自ご準備下さい)
13:00 仲間の話
   ヒロ:薬物依存/カズ:アルコール依存
   ゆみこ:ギャンブル依存家族
14:20 休憩
14:30 仲間の話
   きょうこ:とちぎAKK研究会
   ナベ:GA宇都宮/リュウドウ:薬物依存
15:30 分かち合い
16:30 閉会

主催:とちぎアディクションフォーラム実行委員会
共催:栃木DARC
協力団体:とちぎセルフヘルプ情報支援センター

上岡陽江プロフィール:
ダルク女性ハウス代表。精神保健福祉士。自身の薬物・アルコール依存症や摂食障害の体験から、女性の薬物依存症回復施設を立ち上げた。最新の当事者研究をもとに、依存症の女性の回復、依存症の親をもつ子どものプログラムづくりにも力をそそいでいる。著書に「虐待という迷宮」(共著:信田さよ子 シャナ・キャンベル)、「その後の不自由」(共著:大嶋栄子)など
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平成23年度薬物フォーラム
2012年1月29日(日)
三重県人権センター(津市一身田大小曾693-1)多目的ホール

10:00~12:30 シンポジウム(入場無料)
 「依存症と発達障がい」~ギャンブル依存の視点から~
 シンポジスト:
  中村努(NPO法人ワンデーポート施設長)
  稲村厚(NPO法人ワンデーポート理事長、稲村司法書士事務所)
 コーディネーター:
  市川岳仁(三重ダルク施設長)

13:30~16:30 三重DARCフォーラム(入場料1,000円)
 「薬をやめてもうまくいかない!?」
 研究報告会 重複障がいを持つ仲間の地域移行を考える
 "東紀州プロジェクト"
ファイザー製薬より助成を受け、重複障がいを持つ薬物依存症者の地域移行・就労支援に関する研究を行ってきました。その成果報告会を行います。
 1. 断薬後に残る課題と新たな回復概念の獲得...市川岳仁
 2. 地域から見た東紀州プロジェクト
   ~東紀州の現状と地域で働くこと、そして今後の展開について...大川真清
 3. 発達障がいの傾向を持つダルク利用者の一次産業へのマッチングと具体的支援...中村恵太
 4. 重複障がいがある時の働きやすさと働きにくさを考える...プロジェクト研究員
 5. 座談会

問い合わせ先:特定非営利活動法人 三重ダルク
 Tel/Fax: 059-222-7510
 http://miedarc.com/

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PROHIBITION(禁酒法)

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PROHIBITION
http://www.pbs.org/kenburns/prohibition/

PROHIBITION is a three-part, five-and-a-half-hour documentary film series directed by Ken Burns and Lynn Novick that tells the story of the rise, rule, and fall of the Eighteenth Amendment to the U.S. Constitution and the entire era it encompassed.

Prohibition was intended to improve, even to ennoble, the lives of all Americans, to protect individuals, families, and society at large from the devastating effects of alcohol abuse. But the enshrining of a faith-driven moral code in the Constitution paradoxically caused millions of Americans to rethink their definition of morality.
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葛西先生ご紹介のビデオ

やさしい医学リポート:「飲酒」はがんリスクを押し上げる
https://aspara.asahi.com/blog/medicalreport/entry/5VROYOrRie

坪野吉孝 《山形さくら町病院精神科・早稲田大学大学院客員教授》

世界保健機関(WHO)のがん研究機関は、アルコールが口腔、咽頭、喉頭、食道、肝臓、大腸、女性乳房のそれぞれのがんの原因になると判定している。

アルコールががんの原因としてどのくらいの割合を占めているかを推計した論文が、英国医学雑誌に4月公表された。

欧州8カ国(フランス、イタリア、スペイン、英国、オランダ、ギリシア、ドイツ、デンマーク)の追跡調査に参加する主に37~70歳の男女363,988人を対象に分析した。

飲酒の状況を質問票でたずね、最近1年間に飲酒していた者を「現在飲酒者」、以前は飲酒していたが最近1年間は止めた者を「過去飲酒者」、以前も最近1年間も飲酒していなかった者を「非飲酒者」と分類した。

男性では、現在飲酒者が88.2%、過去飲酒者が6.2%、非飲酒者が5.6%だった。女性では、それぞれ79.3%、9.0%、11.7%だった。現在飲酒者の割合は、デンマークとドイツで高く、ギリシアとスペインで低かった。

平均8.8年間の追跡調査に基づいて分析したところ、非飲酒者と比べて、過去飲酒者の全がん発症リスクは男性が1.54倍、女性が1.10倍だった。現在飲酒者の全がん発症リスクは、1日のアルコール摂取量が12グラム(日本酒で約半合)増えるごとに、男女とも3%ずつ高くなった。

これらの結果をもとに推計すると、アルコール(現在飲酒と過去飲酒)ががんの発症に占める割合は、全がんでは男性で10%、女性で3%だった。つまり、アルコールが、男性の全がんの原因の10%、女性の全がんの原因の3%を占めるという結果だった。

また、同じ割合を、アルコールが原因になるがん(口腔・咽頭・喉頭・食道・肝臓・大腸・女性乳房)に限って推計すると、男性では32%、女性では5%だった。
アルコールががんの発症に占める割合
【 すべてのがん 】
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【 アルコールが原因になるとされる7種のがん 】
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少量から中等量の飲酒は、心筋梗塞や脳梗塞などの心血管疾患のリスクを下げることが分かっている。しかし著者らは、飲酒ががんのリスクを上げ、しかも、ここまでならがんのリスクを上げないという飲酒量の上限がないことから、心血管疾患や総死亡率の低下のために飲酒を勧めるべきではないと主張している。

今回の研究はヨーロッパでのデータだが、その結果はおおむね日本にも当てはまると考えられるだろう。飲酒はストレス解消や人とのコミュニケーションをはかる上で有用だ。けれども、いくつかのがんのリスクが飲酒で上がることがはっきり分かっていることも、覚えておく必要がある。

いずれにせよ、飲むならほどほど(男性なら1日平均で日本酒1合程度、女性はその半分)にすることが大切だ。

「きみの扱った例の予後はどうだい」

「葛藤主題がはっきりしている例はよかったな。葛藤主題がはっきりしていると、治療のタイミングを選ぶことができる。今裁判中とか、紛争中とか、そういう時には健康を維持するに留めて、もっと雌の時を待つより仕方ない場合もある。非常に社会的地位の高い人は、非常に低い人くらい治療が難しいな。ある程度より偉くなると、飲みつづけるままで周囲がカバーしちゃうんだ。男性性を回復した例はよかったな、象徴的次元であれ、現実の次元であれ、ね。それから、老人が意外にいい。統計をみても、四〇代より五〇代、それより六〇代と飲酒率が減ってる。酒に見放されるということがあるのだ。うまく見放して貰えばいい。私の父は酒豪だったが、六五歳くらいで酒に見放されたらしい」

「きみは、アルコール症だという自己規定を患者に叩きこまないのだね」

「いや、「きみには酒は合わない」と言ってある。それ以上はしない。私にはアルコール症だというアイデンティティを患者が強烈に持つということは、彼らのブラック・ユーモアに現れているマゾヒズムに奉仕しているような気がする。短期的にはいいが、長期的にはどうかな」

「そういうやり方はどこで見つけたのだい」

「正直にいうとタバコを止めようとして何度も失敗した自分の体験だ。タバコはなかなか止められなくて、ついに止めたのは、自分の病院に病気で入院した時で、看護師さんにとがめられるのが恥ずかしくて止めた。この機会でないとやめられないだろうという気もあった。せっかく入院したのだから、とせめてもの収穫にしたい気もあった。しかし、振り返って見ると、ぼつぼつタバコに見放されかけていたのかも知れない。タバコを吸うと多少息苦しくなっていた。今日は元気だ、タバコがうまいというのは、あれはほんとうだね」

「薬は何を使う?」

「安定剤としては、古い薬ではレボメプロマジンが好きだった。肝臓障害が気になるが、飲んで肝臓をこわすのと天秤にかける。少量でいい。この薬は、不安を静める以外に、不安とはちょっと違うと思うが、目の前にあるものに手を出さずに我慢するのを助けてくれるようだ。あのじりじりした感じを和らげるのだね。「おあずけ」を耐えやすくするみたいな。この薬を米国でもっぱら強迫症に使うのも、強迫行為を我慢しやすくするのだろう。逆に強迫症に効く薬をアルコール症にも使う。クロキサゾラムとかブロマゼバムだね。しかし、本人が止める気がなければだめなのは、どんな薬でも同じだね」

「精神療法は?」

「今述べたことが精神療法的だと思う。強力な精神療法には私は賛成しない。だいたい内面化することができないからアルコールに走るんだから。絵画療法のほうがすこしましかな。でも、どうでもいい細部にうんと時間をかける人が多いのでやりにくい。粘土を使うほうがいいようだ。いずれにしても補助手段だが、意外なことを教えてくれる場合もある。仕上げに長くかかるのはどうしてだろう。飛躍がないということか。箱庭では、現実にあるもの、たとえば宝塚遊園地といったものを作る。こういう創造性の乏しさも、シュルテが脱核化Entkernungと呼んだ事態だろう。外側は残っているが人格の芯が焼け落ちているということだ。統合失調症より治りがいいとか、軽いとか言えないのではないかな。早期発見、早期治療がありえないせいもあるかな。酒を飲んで味が判らなくて、しかもだんだんピッチが上がる青年、または欲求不満の際に飲酒がまず頭に浮かぶ青年は止(や)めるほうがよいだろうね」

「断酒会やアルコーリツク・アノニマス(AA)はどう思う?」

「ああいうやり方を否定しているわけじゃない。私のは精神科医単独でせん妄状態で担ぎこまれた患者を治療しなければならなかった時代に作った方式だ。断酒会向きの人とAA向きの人とがあるね。向き向きでいいんじゃないか。いずれの方式でも治癒率は二〇パーセントくらいというね。私の考えは、強いていえば、そうだなあ、アルコール症の治療者には宗教的信念を持った医師がやや多くて、それで治る患者もいるだろうけれど、その外にはみ出た部分を対象にするものかな。私の考えの底には、タバコ一つ止めるのに苦労した自分だからアルコール症の人を意志が弱いとは到底思えないということがあるね。私はアルコール症の人より自分のほうが、「意思が強い」なんて思ったことはないね」。

(「兵庫精神医療」八号一九八七年)

文庫版への付記-私はアルコール症の専門家では全然ないが、こういう関与をしていた。

「入院したら、きみはどうする?」

「点滴して電解質を正し、肝庇護に葡萄糖を入れ、時には非常識量のビタミン氏を初め、向神経性ビタミンを加え、よくルシドリールか何かを入れる。振戦せん妄は最後の良心の現れで、治療のチャンスだというシュルテの見解もあるけれど、私はせん妄を防ぐほうだ。アルコール症の人は、一見大丈夫にみえても、どこか神経系をやられていることが多い。内科的に親切に看護することは、アルコール症の場合にもよい効果がある。こういう状態は二週間くらいで終わる。後は一見普通の人だから、扱いが微妙だ。一見普通に見えるのに、絵画テストやロールシャッハ・テストをしてみると、慢性分裂病かと思う例が結構ある。こういう構造のゆるいテストで暴露され、構造の硬いテスト、たとえば知能検査やクレペリン作業テストではあまり欠陥がでない。画なんかでは統合失調症と似ているが、社交性は一見よいし、職業的行為はちゃんとやれるところが違う。その代わり、人格の芯は統合失調症より崩れているかも知れないね。たとえば、統合失調症の人にとって、言葉は重い。重すぎるくらいだ。しかし、アルコール症の人には言葉は紙のように薄っぺらだ。私は、アルコール症の人の行動を信じ、言葉は信じない。両方とも信じなければ治療関係が成り立たないから――。で、禁酒を誓っても、気のない言い方で、「ああ、それは結構」くらいの返事をする。「酒を断って三カ月になります」と言えば、「三カ月は三カ月の値打ち、一年なら一年の値打ちだね」と言う。これは、実績はそのかっきりの価値を認めるという意味だ。それ以上にも以下にも評価しない。これが、患者にとって結局いちばん楽なのだ。

 入院中、重要なのは、文化祭とか何かの催し物で役につけないことだ。あくまで平(ひら)で参加してもらう。いろいろ気の利いたことができるので、つい使ってしまうが、こうした患者は、外での劣等感を内で威張り人を使うことで代償しようとする。この味を覚えると、治りがぐっと悪くなる。部屋の責任者にすると病棟のボス化したりする。その代わり、奇装をしたり、髭を立てたりすることは認める。髭は立てたら剃らないように勧める。これは男性の象徴である。これを簡単に母親や妻の「何よ、むさくるしい」という台詞で剃ってしまうことが多い。こういう去勢的な台詞を家族に禁止しておくのが重要である。実際、ヒゲを立てた患者の予後は一般によい。

 退院の時には、「酒を止めたということを友人にいわないこと」と言う。実は気が付かれるのが意外に遅いことを味わってもらう。他人は、それほど自分に関心を持っているわけでないという現実を体験してもらうことだ。耐えられなくて言ってしまう人は、どうも予後が悪い。もう一つ、酒を止めたことを知ったら友人が「おまえはえらい。あんな好きな酒をよく止めたな。意志が強い。だから、どうだ、この一杯を飲んで、また止められるだろう」という、そういう悪友が現れるものだと予言しておく。友人にこう言われると、自分の意志が強くて大丈夫だという気になるものだ。だが、これは悪魔のささやきだ。「私はそれを酒をやめたという友人にやったことがあります」と告白する人が少なくないね。それがヤマ場で「俺はそっちは卒業したからジュースにする」生言うかどうかに今後がかかっていると告げる。

 後は外来でやるわけだが、時に遅い子が生まれたりするのは良い徴候だ。妻が「このごろ性が強くて困ります」といえば、「一時です」と一言う。アルコール症のインポテンスは、生理的なものだけではないと思う。酩酊の時には非常に自分中心になっている――あかごのようにというべきか――ので、自分を性的に開くことができず、相互性のない、力ずくの性になりやすく、ここでアルコールの作用によるインポテンスが露呈するのだと思う。そして、例の劣等感、恥が顔を出して、性的接近を避けるようになるのだろう。恥辱感による悪循環から救われたら何とでもなると思う。かなりの年寄りでもできることである。生理的衰微は、相互の接近で充分カバーできると思う」

「再発したらどうする?」

「まず、患者の顔を心配そうに見て、首を振って、何もいわずにできるだけ大きな注射器を使って注射する。点滴よりこちらのほうがいいんだが。こちらの顔をみたらすこし大げさな身ぶりで、ニヤッと笑う。武士の情だね。これで済む場合もある。だめなら、七転び八起きだね」

「その範囲できみが書いている経験をもう一度述べてくれないか」

「繰り返しは残念だけど、新しい体験に乏しいから、そうするよりないな。私が最初になるほどと感心したのは、ヴァルター・シュルテという南ドイツはチュービンゲン大学の教授でもう亡くなった人の指摘。独特の恥辱感あるいは劣等感――ひがみというか――がアルコール症の人にあるということだね。彼は、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の中の「アル中の星」を例に挙げている。アル中は王子さまに「ああ恥ずかしい、恥ずかしい」「何がそんなに恥ずかしいのですか」「アル中であることが恥ずかしいのです、ああ恥ずかしい」と言ってアル中はまたぐいと一杯ひっかけましたとさ、という話だ。恥の文化とか罪の文化とかいうけれど、これで見ると西欧でもアルコール症者は恥の文化だな。私は、この恥意識に注目して対応の仕方を考えた。もう一つはかねていわれているのが、アルコール症の人はブラック・ユーモアを使うし、わかるということだね。ユーモアがわかるのなら、これを放っておく手はあるまいと思ったのさ」

「両者は無関係じゃないね。恥にまみれた自分をユーモアで捉えるということは、ひとつの健康化への試みだろう?」

「ユーモアの極致は、例の『宝島』のスティーヴンソンの『ロバを連れての旅』だということを昔読んではっとしたことがある。南フランス旅行の話だが、昔のこととて荷物をロバに積んで行く。ロバがぬかるみに足をとられて倒れる。民衆は見ているけれど、手を出さない。こちらはあれこれ意志を通じさせようとやってみるけど、だめだ。この旅行記がユーモアの極致だというのだね。つまり、惨めさの中にある自分を距離を置いて眺めるということだ。これは成熟した態度だけど、アルコール症の人に話すユーモアはだじゃれ程度でいい。あまり深刻なのはどうかな。治療者からは、相手ほどブラックでないユーモアを返す」

「どういうふうに?」

「いや、むつかしいことじゃない。酒というかわりに「米の汁」でいいんだ。それだけでアルコール症の人は治療者の「武士の情」を感じるはずだ。入院治療でも最初が肝心で、家族に「簡単だが実行はなかなか難しいことを一つ守ってくれますか」と言い、これに同意するのを入院の条件とする。当方が引き受けるまでに言わないと、家族は真剣に聞いてくれない。それは人情だから、必ず、同意してもらってから治療を承知する。それまでなら家族は「治るためなら何でもしますから」と言うからそのうちが花だね。もっとも、その時も「それで必ず治るとまでは言えないけれど、少なくとも実行してくれるのとくれないのとでは大違いだと思う」と言って、安請け合いはしない。お願いするのは「恥をかかさないこと」で、「むろん酒飲みへのいろいろな説教はみんな恥をかかせるようになっている。それで治る人もいるだろうけれど、そういう人ならここまで来ていない」と言い、「酒を止めてえらいね」という言葉でも、「どうせ俺はそれぐらいしか褒められることのない奴さ」とひがんでしまうという話をする。また、私も患者が聞きあきたような説教はしないという。実際、それは同じ穴に何度も釘を打つようなもので、だんだん力を強くしないと同じ効果が得られない。強くすると副作用、反作用が大きくなる。これは、一般にスパルタ的といわれる方法の欠点だね。ハト派のやり方は手ぬるいかもしれないけれど、何度でもやりなおせる。七転び八起きってわけだ。実際、このせりふは口癖のように使ってもいい。しかし、たいていは患者の側に初めて聞くという驚きがないと治療的な対話にはならないものだ。「またか、この先生も同じことを言う」と落胆するだけだ。この患者がまだ聞いていないことはどういうことだろうと考えをめぐらすことが、治療者の進歩になる」

「新しい内容なんてなかなか思いつかないだろう」

「いや、たとえば、患者が私は酒が好きで、といったら、いや、きみは米の汁が合わないと答える。どうして、と聞かれたら、何でもやりだしたらやめられないものはその人に合っていない、と言い、誰れでも苦手なものが一つや二つはあるものだと言う。そういう問答でも結構耳を傾けてくれるよ」

「どうして地域によって違うのだろう?」

「それはわからないね。緯度の高いところほど強い酒を飲むという原則も日本にあてはまらないね。蒸留酒の技術がポルトガルかオランダだか、ミャンマーからマレイシアだか、とにかく南西の方角からやって来て、まず八重山群島、それから琉球本島、そして薩摩にはいったという事情もあるだろうがね」

「よくいわれるのは、酒を飲む地方と飲まない地方の差がかなりはげしいこと、それから、同じアルコール消費量でありながら、東北と九州および高知とではアルコール症発生率が非常に違うこと。これは社会精神医学が取り上げて調べているみたいだが、要するに文化の相違だろうね」

「世界的にも文化によって酒に対する態度は幅があるだろう」

「そう。イスラム圏は酒を飲まない。インドネシアだと薄いビールはいいらしいが、アラビアでは酒類は禁止で、重い罰を受ける。ヒンドゥー圏も禁酒地域だが、罰はどうかな。アメリカ、西欧、中国ではお酒を飲むのはいいが、酔っぱらうのは社会的に排斥される。もっとも、コーカシアンはアルコール分解の過程でアセトアルデヒドの加水分解酵素を皆持っているが、日本人は持っていない者も多いらしいね。あるいは能率のわるい酵素(アイソザイム)しか、ね。日本人が酔っぱらいやすいのには生理学的な根拠があるわけだ」

「しかし、外国のアルコール症にくらべると日本のアルコール症はかわいいものだというね」

「ほんとうのところは知らないのだけれど、アメリカでは、ドランカードとコミー」は職が得られないというね。コミーとはコミュニストのことだが。だから、アルコール症の人は失業してますますアルコールに溺れてゆくという悪循環があるだろうね。サウディアラビアなんかはアルコール販売が死罪じゃなかったかな。あすこのアルコール症ほどひどいのは見たことがないと実見した精神科医が言っていたね。地下室で酔いつぶれているアルコール症者の群――」

「ハワイで、カナカ族の、高見山みたいな大きさの青年が、そう、ダイアモンド・ヘッドの少しワイキキ寄りの誰もいない浜で、真昼だった、仁王立ちになって海のほうをぐっと見つめていた。よく見ると、足元のアイスボックスから罐ビールを取っては一息に飲み干してポーンと海に空き罐を投げる。いつまでも、いつまでもそうしていた。雄々しくてとても孤独な感じだった。日本のアルコール症の崩れた甘えた感じから遠かったな」

「眼に浮かぶようだな」

 

「一休みしたいね」

「ああ、少し疲れた」

「話が世界に広がりすぎたかな」

「うーん、私の言いたかったのは、アルコール症は地域によって違うということなんだ。それから、階級によっても違う」

「アルコール症の治療者も地域によって違いそうだね」

「多分そうだろうね。碇さんの宴会療法は他地方では実践しにくいだろうね。それは患者側だけじゃない。精神科医の側にも九州には骨太の実践的精神があるように思うね」

「そうだね。けれどもそれだけじゃなくて、あれは難しいアルコール症の治療に挑戦したという、地域を超えた意義があると思うな。つまり家族から見放され、友人もなく、趣味もなく、野球や相撲にひいきのチームや力士があるわけでもなく、酒の種類や銘柄はおかまいなしで、ひたすら麻痺と意識混濁を目指す、そういう患者は治療が困難だと君が書いたことがあるね。それを碇さんは読んでおられると聞いた。これにヒントを得てひとつ挑戦してみようとしたんじゃないかな。そういう例はまわりにいっぱいいたろうしね。あの試みは困難な例の治療に初めて道をつけたといえると思う」

「私が挙げた中で「家族が見放していず、友人と飲むことが多く」ということはどこか人間的魅力があるということだね――、「何かの趣味があり」――世界に向かって部分的にせよ開かれているということだ――「野球や力士にひいきがあり」――ということは同一視する対象があるということだね――、「酒は何で、銘柄が何という好みがあり、ほろ酔いを楽しむことができる」、こういう条件の全部が揃っていたらアルコール症にならないだろうが、多いほど治療がしやすいのは当然で、こういう条件の多くを充たしている患者しか結局は治療になっていないね、残念だけど」

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