精神疾患の最近のブログ記事

kyupinの日記:リストカット痕の治療について
http://ameblo.jp/kyupin/entry-11360095989.html魚拓

テーマ:境界型人格障害

過去ログに「現在、受け持ちの患者さんでリストカットがある人が1人もない」と言う内容を書いたことがある。

これは初診患者さんにリストカットがあったとしても、速やかに消失するためである。

現在もリストカットの人は1名もいない。

リストカット痕は見た目が悪いこともあり、本人が希望すれば、皮膚科の治療を受けるように勧めている。この治療は自費である(当たり前)。

自費の場合、医院により医療費が決められる。一般的な医療費は知らないのだが、僕の患者さんの話では1回に1万円らしい。(幅があるのではないかと)。

過去にリストカット痕の皮膚科治療を受けた人は、リストカットが再燃した人が1名もいない。

一方、リストカットがいったん終息して、かなり時間が経ち、再びリストカットする人は非常に稀だが存在する。そういう人はその時の病状がかなり重いことが多い。また、再発するような人は以前のリストカット痕の治療をしていない。

このようなことから、精神疾患に伴うリストカットは治療反応性が高く、しかも寛解ではなく、その所見に限れば治癒する確率が非常に高いことがわかる。

過去にリストカットの皮膚治療を受けた人は全員就労しているので、そのレベルに達する人は社会適応も高いのではないかと思われる。

これは「リストカット痕を消そうと思うこと」が、「社会適応に深く関係している」と言う意味である。リストカット痕が生々しくても全く気にならない人はそれはそれで問題を内包している。

社会適応が良い理由の1つは、自分だけでなく相手の立場になって考えてリストカット痕の治療を行っているからであろう。つまり想像性や心の理論に関係している。
精神科へ強制入院、家族同意不要に...厚労省方針
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120629-OYT1T01128.htm

 統合失調症や認知症などの人を強制的に精神科に入院させる「医療保護入院」について、厚生労働省は29日、入院時に義務づけられている家族の同意を不要とする方針を決めた。

 家族の同意を外すのは、現行制度の原型を定めた1900年の法制定以来初めて。また、入院中も患者の権利を擁護するため、患者が「代弁者」を選べる新たな仕組みの導入などを盛り込んだ、精神保健福祉法改正案を来年の通常国会に提出したい考え。

 医療保護入院は、入院治療の必要性を本人が理解できない場合、精神保健指定医の資格を持つ医師1人の診断と、家族(保護者)の同意で入院を強制できる制度。1年間で精神科に入院する約38万人のうち、14万人が同制度で入院している。
(2012年6月29日20時44分  読売新聞)
【仏国ブログ】日本だけでなく各国に広がる引きこもり、対策強化へ
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0618&f=national_0618_033.shtml

 国際的にも、「hikikomori」として知られている、引きこもり。フランスの日刊紙ルモンドでは、この引きこもり現象がフランスの若者の間にも波及しつつあると伝えている。

 引きこもりは、日本文化や社会現象に関心が高いフランス人には知られていることがあるが、一般的な認知度はまだ低い。このため引きこもりについて、特に精神疾患や学習障害がないが、学校や会社などの社会に無関心もしくはかかわりを持たないようにし、自宅に閉じこもってしまう現象と説明。

 この現象は特に日本に多く、早ければ12~13歳頃から、不登校という形で表れる。引きこもりとなった人は、自宅でインターネットやゲームなどをして過ごすことが多くなる。しかしこれらのメディアが引きこもりを誘発するのではなく、これらは引きこもりの人が現実社会で人間関係を結ばなければならない部分を減少させているだけと、引きこもりの原因は別にあるとの見方を示している。

 この原因としては、日本では核家族・共働きが進み、また近所づきあいも希薄となってきている中、子どもが成長していく中で必要な精神的サポートが失われたことが挙げられる。

 今や引きこもりは日本だけでなく、米国、スペイン、韓国、オマーンなど異なる文化圏でも発生していると指摘、引きこもりが日本の社会問題と結びついているだけではないようだと述べている。

 フランスでも、件数は少ないが引きこもりが発生していると伝えている。16歳頃から現象が見られるが、中には25~30歳ほどの成人でも、高校後の高等教育を修了させることに行き詰ったなどの理由から、引きこもりとなったケースがあると紹介。

 フランスでは、自宅訪問の形でのサポートや、必要な場合には入院させるなどして社会復帰を助けていると伝えている。タブー視されがちな引きこもり問題は、フランスでは積極的に取り組み、問題解決に向けている様子がうかがえる。(編集担当:山下千名美・山口幸治)
心の由来:「心」についての身もふたもない話
薬の使用と自殺率増加の問題
http://blogs.yahoo.co.jp/kopheee/9312314.html魚拓

> 最後に、統合失調症の人に、抗精神病薬に加えてベンゾジアゼピン系抗不安薬を併用するとどうか? なんと死亡率が約2倍にぐっと上がってしまいます。自殺率に限定すると約4倍に上がっています。(自殺以外の、事故による死亡も増えるのですが。)
> ベンゾジアゼピン系抗不安薬は、統合失調症の治療でも、うつ病の治療でも、神経症やパーソナリティ障害の治療でも、基本的に不安を和らげるために使うことがある薬です。 しかし不安を和らげる作用とともに、感情を自制する力を弱めてしまい、しばしば衝動的な行動を引き起こしやすくなります。 その点ではアルコールと似た効き方の雰囲気があるのです。
> このためか、過去には子どものうつ病に対する治療においても、境界性パーソナリティ障害の治療においても、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を併用すると自殺や自殺企図が増える傾向がある危険性が指摘され続けていたのです。
> 他のところでも言いましたが、この意味でもベンゾジアゼピン系抗不安薬は難しい薬なのです。 日本では精神科医以外の内科とかの先生も、ベンゾジアゼピン系抗不安薬はその別名「マイナートランキライザー」という安易っぽい雰囲気のせいか、安易に使いすぎる気がしています。
> 多くの場合、精神的な問題に対するベンゾジアゼピン系抗不安薬は、膠原病やアレルギー疾患に対するステロイド剤と違って、そこまで必須ではないことから、使うにしてももっと慎重に、計画的に使って行かなくてはならないのでしょう。
> なぜマスコミも、素人の人も、抗うつ薬なんかよりも圧倒的に問題であるこっちの方をとりあげないのか、私は不思議でなりません。
心の由来:「心」についての身もふたもない話
「境界性パーソナリティ障害は歳をとれば治る」の誤解を解く・・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/kopheee/9261572.html

> ずいぶん前に(2003年)この分野の研究者として有名なZanarini先生が、境界性パーソナリティ障害の人たちを6年間追跡調査したところ、6年後には7割もの人が「寛解 remission」していた、という結果を報告しているのです。
> おそらくこの辺から、「境界性パーソナリティ障害は歳をとると治る」という考えが一人歩きしたのではないかと思うのです。

Prevalence and risk of violence against adults with disabilities: a systematic review and meta-analysis of observational studies
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(11)61851-5/fulltext

Karen Hughes PhD a, Prof Mark A Bellis DSc a , Lisa Jones BSc a, Sara Wood MSc a, Geoff Bates MSc a, Lindsay Eckley PhD a, Ellie McCoy MSc a, Christopher Mikton PhD b, Tom Shakespeare PhD b, Alana Officer MPH b

Summary

Background
About 15% of adults worldwide have a disability. These individuals are frequently reported to be at increased risk of violence, yet quantitative syntheses of studies of this issue are scarce. We aimed to quantify violence against adults with disabilities.

Methods
In this systematic review and meta-analysis, we searched 12 electronic databases to identify primary research studies published between Jan 1, 1990, and Aug 17, 2010, reporting prevalence estimates of violence against adults (aged mainly ?18 years) with disabilities, or their risk of violence compared with non-disabled adults. We included only studies reporting violence occurring within the 12 months before the study. We assessed studies with six core quality criteria, and pooled data for analysis.

Findings
Of 10 663 references initially identified, 26 were eligible for inclusion, with data for 21 557 individuals with disabilities. 21 studies provided data suitable for meta-analysis of prevalence of violence, and ten for meta-analysis of risks of violence. Pooled prevalence of any (physical, sexual, or intimate partner) recent violence was 24・3% (95% CI 18・3?31・0) in people with mental illnesses, 6・1% (2・5?11・1) in those with intellectual impairments, and 3・2% (2・5?4・1) in those with non-specific impairments. We identified substantial heterogeneity in most prevalence estimates (I2 >75%). We noted large uncertainty around pooled risk estimates. Pooled crude odds ratios for the risk of violence in disabled compared with non-disabled individuals were 1・50 (95% CI 1・09?2・05) for all studies combined, 1・31 (0・93?1・84) for people with non-specific impairments, 1・60 (1・05?2・45) for people with intellectual impairments, and 3・86 (0・91?16・43) for those with mental illnesses.

Interpretation
Adults with disabilities are at a higher risk of violence than are non-disabled adults, and those with mental illnesses could be particularly vulnerable. However, available studies have methodological weaknesses and gaps exist in the types of disability and violence they address. Robust studies are absent for most regions of the world, particularly low-income and middle-income countries.

Funding
WHO Department of Violence and Injury Prevention and Disability.

世界の全人口の15%は何らかの障害を持っており、また障害を持った人は健常者に比べて暴力被害に遭いやすいことが知られている。26の論文のメタ解析の結果、知的障害を持った人は(健常者と比較して)1.60倍暴力被害に遭いやすかった。精神障害の場合は3.86倍。特定不能のものも含め全障害の平均は1.50倍であった。
海外論文ピックアップ Lancet Oncology誌から
チェルノブイリの健康被害、最も深刻なのは精神面への影響
エビデンスありは小児の甲状腺癌のみ
大西 淳子=医学ジャーナリスト
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/lancet/201105/519693.html魚拓)(魚拓2)(魚拓3

 チェルノブイリ原子力発電所の事故が住民の健康に及ぼした影響を長期にわたって評価してきた米Roswell Park Cancer InstituteのKirsten B Moysich氏らが、2011年4月26日付のLancet Oncology誌電子版にコメントを寄せた。同氏らは、自らの研究も含めてこの事故の健康被害の正確な評価が非常に難しいことと、その理由を説明した。さらに同誌のエディトリアルは、同日付で、チェルノブイリの事故が住民の健康に及ぼした最大の影響は精神面に表れたという報告を紹介している。

乳癌や小児の白血病増加の疫学調査は設計に問題

 Moysich氏らは、チェルノブイリ事故を以下のように概説している。

 1986年4月25日、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉では非常用の電源システムの実験が行われようとしていた。この原子炉は、現在では使われていない旧式の黒鉛減速軽水冷却炉だった。実験のために不安定な状態に置かれていた原子炉は、実験開始をきっかけに急激に出力を増したが、原子炉冷却用の水は失われた状態にあり、過剰な発熱が生じて、4月26日未明に水蒸気爆発と炉心溶融に至った。

 福島第一原子力発電所と異なり、格納容器を持たなかったチェルノブイリ原子炉では、続く圧力容器の爆発によって大量の放射性物質が拡散した。大気中に放出された核燃料は8~180トン、核分裂生成物(放射性物質)は30億~90億キュリーと推定されており、それらは風に乗って北西方向に飛散した。事故後数日間、正確な線量測定が行われなかったため、放出された放射性物質の正確な量を知ることはできない。

 爆発により数人の作業員が死亡し、消火に当たった消防士100人が大量の放射性物質に曝露した。黒鉛は10日間燃え続け、放射性物質の放出は約20日間続いた。100~200人が急性放射線症候群と診断され、うち約30人が早期に死亡した。その後10年間にさらに14人が死亡している。

 事故の際に放出された核種は主に放射性のヨウ素131とセシウム134、セシウム137だった。ほかに、放射性のストロンチウム89とストロンチウム90、プルトニウム234も放出されている。ヨウ素131の半減期は8日と短いため食物連鎖の中に入り込んでも短期間のうちに減衰する。だが、セシウムの半減期は2年から30年と長く、非常に広範囲にわたる汚染が発生した。ストロンチウムは半減期が52日から28年で、セシウムと同様の長期的な汚染を引き起こした。

 事故によって放出された放射性物質の量は広島に投下された原爆の400倍だった。だが、実は、1950年代から60年代にかけて行われた核実験では、チェルノブイリ事故の100~1000倍の放射性物質が放出されたと著者らは言う。

 チェルノブイリから放出された放射性物質の影響が最も大きかったのは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシだった。汚染が最も深刻だった近隣地域では住民27万人が軽度から中等度の曝露(被曝線量にすると5~500mSv)を受けた。

 チェルノブイリの事故がその後の癌罹患率を高めたかどうかを調べた論文は数多く存在する。著者らは、国連が最初に公表したチェルノブイリリポートの作成に参加し、02年には、それまでに報告された研究を対象に疫学的レビューを行ってLancet Oncology誌に報告している(概要はLancet誌のWebサイト参照)。著者らはこの時点で、小児の甲状腺癌を除いて事故後に癌の罹患率が上昇したことを示す強力なエビデンスはないと結論していた。

 著者らと同様に、チェルノブイリ事故による汚染と小児の甲状腺癌の関係を示した2件の集団ベースのケースコントロール研究はいずれも、対象となった個々の小児の被曝線量を詳細に調べ、十分に選び抜かれた精巧な統計学的アプローチを用いて分析していた。それ以前に提供されていたエビデンスと組み合わせると、チェルノブイリ事故の結果として小児の甲状腺癌罹患が増えたという結論に疑問を差し挟む余地はなく、得られた知見は、チェルノブイリ事故と同様の事態が発生した場合に安定ヨウ素剤を配布、使用を促すかどうかの判断に利用できる、と著者らは述べている。

 一方で著者らは、チェルノブイリ事故による健康被害を評価する際に直面する壁について論じている。著者らが05年に報告した、小児の白血病がベラルーシ、ウクライナ、ロシアで増加している可能性を示した研究結果(概要はInternational Journal of Epidemiology誌のWebサイトを参照)については、試験設計に問題があったことを認めた。分析対象となったコントロールの小児の多くが事故による汚染がなかった地域から選ばれていたため、分析によって示された事故後の白血病リスクの有意な上昇は納得のいくものではないという。さらに、旧ソ連の構成国で疫学調査を行うことの難しさが正確な評価を妨げた。当時、それらの国は長期的な疫学調査の経験をほとんど持っていなかった上に、言語の壁は厚く、文化的な差は大きかった。さらに調査の対象地域が非常に広範で、全てをカバーすることが困難だった。著者らは、それらの問題も含めて試験設計に欠陥があったと考えている。

 また、ベラルーシとウクライナでは乳癌の罹患率が上昇したという報告があるが、記述疫学研究の結果であること、この研究が居住地域の汚染度に基づいて患者の曝露放射線量を推定していたことから、乳癌との関係については今後再評価が必要としている。放射線曝露による肺癌リスク上昇を報告している研究もあるが、やはり試験設計上の欠陥がデータの信頼性や正当性を脅かしている上に、喫煙の影響を放射線曝露の影響から完全に切り離すことは不可能との見方を示した。

 福島原発の今後について、著者らは、放射性ヨウ素とセシウムへの曝露を最小限に抑えるための努力の重要性と、汚染地域の隔離の必要性を強調した。

 著者らは、「痛ましいことではあるが、日本で進行中の原子炉事故は、放射性物質への曝露が癌リスクに及ぼす影響を評価するための新たな機会を提供する。日本は放射線疫学研究の長い経験を持つため、適切な調査を行うことができるはずだ。チェルノブイリ後の疫学調査を難しくした大きな要因の1つがソ連の崩壊を中心とする政情不安だった。日本は、地震と津波、そして原発事故を経験しても、政治的にも経済的にも安定しており、原発事故が健康に及ぼす影響の総合的な調査が可能と期待される。得られるデータは、今後そうした事故が発生した場合に国民に正確なリスク予測を伝えるため、また、公衆衛生担当者が有効な介入を行うために役立つはずだ」と述べている。

 原題は「25 years after Chernobyl: lessons for Japan?」、全文が、Lancet誌のWebサイトで閲覧できる。

見逃されがちな住民への心理的影響
 Lancet Oncology誌のエディターは、同じ4月26日に電子版で公開されたエディトリアルで、以下のように述べている。

 原子炉事故後、長期にわたって懸念される最大の健康被害が癌の罹患だ。原爆の生存者や被曝事故の被害者を対象とする研究で、放射性物質への曝露と白血病その他の固形癌(甲状腺癌、消化器癌、乳癌、肺癌など)が関連付けられているが、周囲の立ち入り禁止区域が適切に設定されれば、そうしたリスクを負うのは原発作業員にほぼ限定されるだろう。

 原子炉を冷却するために使用された放射性物質を含む水が海に放出されたため、海産物の汚染が懸念されている。また、農作物や水道水の汚染も報告された。福島原発から放出された放射性物質は世界各国で検出されており、米国でも大気、雨水、牛乳からヨウ素131が検出されたが、米国当局は、検出レベルは低く、国民の健康に悪影響を及ぼすことはないと強調している。

 日本政府と東京電力は、特に事故後初期に正確な情報提供を行わなかったとして批判されている。政府が4月12日に、国際的な基準に基づく事故の評価をスリーマイル島の原子炉事故と同じレベル5からチェルノブイリと同一のレベル7に引き上げたことについても、遅すぎたとの非難を受けている。

 だが、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は、福島の事故は、環境への影響という観点からはスリーマイル島とチェルノブイリの事故の中間に位置するもので、住民の長期的な健康被害が深刻になることはないとの予測を示している。

 チェルノブイリと比較して住民が不安になるのも無理はないが、チェルノブイリの事故の健康への影響については一致した見解は得られていない。UNSCEARは08年に、小児の甲状腺癌の6000例超はチェルノブイリの事故に関連付けられると結論したが、他の癌については事故との関連を示す明確なエビデンスはないと報告している。一方、民間団体のグリーンピースは、事故に起因する過剰な癌罹患者は9万3000例を超えるだろうとの予想を示している。

 日本では福島原発周辺の住民に対する甲状腺被曝のスクリーニングが行われているが、これまでのところ危険なレベルに達している人は見つかっていない。

 なお、原子力事故の心理的負荷は見逃されがちだが、実は国際原子力機関(IAEA)は91年に、チェルノブイリ事故の精神面への影響は生物学的なリスクに比べ非常に大きかったとの結論を公表している。国連のチェルノブイリフォーラムも、事故の最大の影響は住民の精神的健康面に認められ、放射性物質曝露が健康にもたらすリスクに関する情報が適切に提供されなかったことによって被害はさらに深刻になったと述べている。

 福島原発事故の長期的な転帰は明らかではないが、今後数年間、放射線量を監視し、適切な安全策を実施し、住民を支援するためには、正確な情報の広範な提供は必須だ、と著者らは述べている。

 エディトリアルの原題は「Japan's nuclear crisis」、全文が、Lancet誌のWebサイトで閲覧できる。

参考リンク:
チェルノブイリ20年の真実
事故による放射線影響をめぐって
http://www.aesj.or.jp/atomos/popular/kaisetsu200701.pdf

「偽物」と分かっていても、治療に効果発揮する偽薬
http://jp.wsj.com/Life-Style/node_369992

 「パラセボ(偽薬)効果」と聞くと、その偽薬が効くと信じるが故に得られる気分的な高まりを思い浮かべることが多い。だが、最近の研究では、つかの間の気分の高まり以上のものがパラセボから得られることが分かってきた。

 最近の研究で、自身の体や健康状態に関するある種の見方や思い込みが、病状の改善につながり、食欲や脳化学物質や視力の変化にまでつながる可能性があることが示され、心と体が深く結びついていることが浮き彫りになった。

 この場合、摂取するのがパラセボであり、「本当の」治療ではないと分かっていても関係がないようだ。ある研究では、有効成分を含まない砂糖の薬を飲むと告げられた被験者にも、強いパラセボ効果が見られた。

 パラセボは実際の臨床診療でも使われる場合がある。英国の医学会報で発表された2008年の調査では、700人近い内科医とリウマチ専門医にアンケートを行い、その約半分がパラセボを定期的に処方すると答えた。最もよく使われるパラセボは市販の痛み止めとビタミン剤だ。砂糖でできた薬や食塩注射を使うと答えた医師はわずかだった。米国医師会によると、扱いにくい患者をなだめるためだけにパラセボを処方することはできず、患者に通知して同意を得なければ使うことはできない。

 研究者はパラセボ効果をさらに探求し、効果を増減させる方法を解明したいとしている。体重やメタボリズムに関係する健康状態を改善するうえでは、より強力で長続きするパラセボ効果があれば有用かもしれない。

 エール大学院生のアリア・クラム氏とハーバード大学のエレン・ランガー心理学教授が行い、2007年にサイコロジカル・サイエンス誌に掲載された研究によると、ホテルの客室係は、仕事がよい運動になると聞かされると、4週間後には体重や血圧、体脂肪が大きく減少した。同じ仕事をしながらも、運動については聞かされなかった従業員では体重に変化はなかった。両グループとも食事や運動量は変わっていなかった。

 昨年、ヘルス・サイコロジー誌に発表された別の研究では、個人の食欲やグレリンと呼ばれる消化管ペプチドの生成に対して、人の物の見方がどのように影響するかが示された。グレリンは食後に得る満足感に関係しており、体が食べ物を必要している時には上昇し、カロリーが摂取されると減少して、もう空腹ではなく、食べ物を探す必要はないと体に伝える。

 しかし調査では、グレリンのレベルは、実際にどれだけのカロリーを摂取したかではなく、どれだけ摂取したと告げられるかに左右されることが示された。これから飲もうとするミルクセーキが620キロカロリーで「過剰」であると告げられた被験者は、脳が満足感を認識し、同じミルクセーキが120キロカロリーで「適度」なものであると言われた被験者よりも、グレリンのレベルが低下した。

 クラム氏によると、この結果は、ダイエット食品を食べるとなぜ満足感が得られないのかを、心理学的に説明するという。「ダイエット食品を食べる場合、体に対して十分には食べないと伝えることになる」

 うつ病や片頭痛、パーキンソン病などに関する研究では、砂糖でできた薬や偽手術、偽はり治療といった効力のないとされている処置でも、大きな効果をもたらすことが発見されている。サイエンス誌に2001年に発表された研究では、パーキンソン病の症状を改善するうえで、パラセボが本当の治療と同等の効果を発揮することが示された。パラセボは実際に、パーキンソン病の治療に有効とされている神経伝達物質のドーパミンを大量に誘発した。

 ハーバード大学のパラセボ研究プログラムのディレクターであるテッド・カプチュク氏らは、パラセボが効果を発揮するためには、必ずしも患者をだます必要はないことを示した。同氏らは、過敏性大腸症候群の患者80人に対して、パラセボを与えるか、何の治療も施さなかった。パラセボを与えられたグループは、薬が効力のない物質で作られ、「心身の自己回復プロセス」を通じて症状が改善するという研究結果があることを示された。患者は、パラセボの効果を信じる必要はないが、ともかく薬を飲むように言われた。3週間が経過した後、パラセボを摂取した患者は苦痛が軽減し、一部の症状が大きく改善、生活の質がいくぶん向上したと報告した。

 なぜパラセボは、真の治療ではないと知らされた後でも効果を発揮するのか。カプチュク氏は、期待感がその一因だと言う。また、前向きな環境に置かれ、革新的なアプローチと薬を飲むという日々の儀式が、変化に対して開かれた心を作り出すのではないかという。

 カプチュク氏は「現在のところ、パラセボは病気の生態を根本から変えるのではなく、患者が病気を経験し反応する方法を変えるのではないかと考えている」と話している。

記者: Shirley S. Wang
「トラウマを消す薬」を米軍が研究

兵士たちのPTSD(心的外傷後ストレス障害)問題を抱える米国防総省が、「恐怖の消去」に役立つとされる、D-サイクロセリン(DCS)を使った曝露療法の研究に支援を開始した。

http://wired.jp/2011/12/21/%e3%80%8c%e3%83%88%e3%83%a9%e3%82%a6%e3%83%9e%e3%82%92%e6%b6%88%e3%81%99%e8%96%ac%e3%80%8d%e3%82%92%e7%b1%b3%e8%bb%8d%e3%81%8c%e7%a0%94%e7%a9%b6/魚拓

PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ兵士は少なくとも250,000人にのぼるが、これまでのところ、国防総省が試してきた治療法はどれもうまくいっていない。抗鬱薬や行動療法といった従来型のアプローチは、大失敗に終わっている。

国防総省の助成金によりハーバード大学で大々的に行われたプロプラノロールに関する一連の研究(日本語版記事)をはじめとする、「恐怖を除去する」とされる薬をテストするこれまでの調査も、すべてが期待に反する結果に終わっている。

こうしたなか、米国防総省は12月13日(米国時間)、軍が実施するPTSD研究に関して、長期にわたって中核となる3つの研究機関に対する合計1,100万ドルの補助金を発表した。ニューヨーク長老派教会病院ワイル・コーネル・メディカル・センター、南カリフォルニア大学、およびエモリー大学において、D-サイクロセリン(DCS)の有効性に関する研究を専門家が行うことになる。

DCSは、恐怖記憶の消去を促進するとされている薬だ。たいてい、曝露療法(疑似体験療法)の直前に、このDCSを服用する。

曝露療法とは、心的外傷(トラウマ)による恐怖の連想を無効化するために、安全な環境でトラウマ的体験を再び体験するものだ。心は、過去の出来事を思い出すたびに、その記憶を「上書きする」。曝露療法によって、患者が心的外傷の記憶をより恐ろしくないものに書き直す方向に持っていくことで、悪夢やフラッシュバックなどの症状を著しく改善できることが複数の研究で示唆されている。

曝露療法の際に用いられるDCSは、恐怖反応の統制に関与している脳の経路に働きかけ、書き直しを促進すると考えられている。DCSにより、脳が学習するプロセスが強化されるようだ。DCSはまた、恐怖反応を司る脳の領域である小脳扁桃にあるレセプターと結合する。そのため、患者がトラウマ体験を再体験している「あいだに」恐怖反応をブロックすることで、DCSは恐怖を出どころから、文字どおり「消去」できると専門家は考えている。

DCS自体は1960年代から存在しており、最初は結核の治療に使われた[抗生物質の一種]。しかし現在は、抑鬱症、統合失調症、強迫性障害、そしてPTSDなどの症状を緩和して、錠剤の常用をせずにすませられるという可能性のほうに、研究者は関心を向けている。

エモリー大学の研究チームは、PTSD、高所恐怖症、および強迫性障害の患者に、DCSとバーチャル・リアリティーの利用をすでに試みている。バーバラ・ロスバウムらの同大学の研究チームは2006年以降、患者にDCS、ザナックス[抗不安薬]、また偽薬を用いて、曝露療法の比較実験を行っている。

一方で、DCSに関する人体研究には、望みが持てない結果が出ているものもある。2010年には、国際トラウマティック・ストレス学会(ISTSS)の大会で、DCSを使った期待はずれの試験が数件、発表されている。

{この翻訳は抄訳です}
TEXT BY Katie Drummond
TRANSLATION BY ガリレオ -緒方 亮

WIRED NEWS 原文(English)
http://www.wired.com/dangerroom/2011/12/fear-erasing-drugs/魚拓
昭和戦前期の浮浪者と精神障害
http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/61514816.html

出家乞食や武者修行などを除くと、真に生活の恒常的落伍者としての浮浪者及び乞食はその社会的生活力の欠損ないし喪失の主原因を社会的条件よりはむしろ心身いずれかにおける疾病ないし異常、すなわち医学的条件に見出し得るものの多きことが、本調査によっても明瞭である。ことに、精神病による痴呆者あるいは白痴者、重症痴愚患者のごときは家族的庇護または社会的保護を失えばただちに浮浪、乞食にその声明を保持するほかに途なきものであって、少なくともかくのごとく場合には社会的原因の副たるべきは極めて明瞭である。したがって、これらの精神病者、精神欠陥者に対する社会施設の貧弱なる我が国において浮浪、乞食の数がこの程度にとどまっていることは多くの家族がこれらの保護にいかに努力しているかを示すものとも解せられる。

身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌
http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/

「きみの扱った例の予後はどうだい」

「葛藤主題がはっきりしている例はよかったな。葛藤主題がはっきりしていると、治療のタイミングを選ぶことができる。今裁判中とか、紛争中とか、そういう時には健康を維持するに留めて、もっと雌の時を待つより仕方ない場合もある。非常に社会的地位の高い人は、非常に低い人くらい治療が難しいな。ある程度より偉くなると、飲みつづけるままで周囲がカバーしちゃうんだ。男性性を回復した例はよかったな、象徴的次元であれ、現実の次元であれ、ね。それから、老人が意外にいい。統計をみても、四〇代より五〇代、それより六〇代と飲酒率が減ってる。酒に見放されるということがあるのだ。うまく見放して貰えばいい。私の父は酒豪だったが、六五歳くらいで酒に見放されたらしい」

「きみは、アルコール症だという自己規定を患者に叩きこまないのだね」

「いや、「きみには酒は合わない」と言ってある。それ以上はしない。私にはアルコール症だというアイデンティティを患者が強烈に持つということは、彼らのブラック・ユーモアに現れているマゾヒズムに奉仕しているような気がする。短期的にはいいが、長期的にはどうかな」

「そういうやり方はどこで見つけたのだい」

「正直にいうとタバコを止めようとして何度も失敗した自分の体験だ。タバコはなかなか止められなくて、ついに止めたのは、自分の病院に病気で入院した時で、看護師さんにとがめられるのが恥ずかしくて止めた。この機会でないとやめられないだろうという気もあった。せっかく入院したのだから、とせめてもの収穫にしたい気もあった。しかし、振り返って見ると、ぼつぼつタバコに見放されかけていたのかも知れない。タバコを吸うと多少息苦しくなっていた。今日は元気だ、タバコがうまいというのは、あれはほんとうだね」

「薬は何を使う?」

「安定剤としては、古い薬ではレボメプロマジンが好きだった。肝臓障害が気になるが、飲んで肝臓をこわすのと天秤にかける。少量でいい。この薬は、不安を静める以外に、不安とはちょっと違うと思うが、目の前にあるものに手を出さずに我慢するのを助けてくれるようだ。あのじりじりした感じを和らげるのだね。「おあずけ」を耐えやすくするみたいな。この薬を米国でもっぱら強迫症に使うのも、強迫行為を我慢しやすくするのだろう。逆に強迫症に効く薬をアルコール症にも使う。クロキサゾラムとかブロマゼバムだね。しかし、本人が止める気がなければだめなのは、どんな薬でも同じだね」

「精神療法は?」

「今述べたことが精神療法的だと思う。強力な精神療法には私は賛成しない。だいたい内面化することができないからアルコールに走るんだから。絵画療法のほうがすこしましかな。でも、どうでもいい細部にうんと時間をかける人が多いのでやりにくい。粘土を使うほうがいいようだ。いずれにしても補助手段だが、意外なことを教えてくれる場合もある。仕上げに長くかかるのはどうしてだろう。飛躍がないということか。箱庭では、現実にあるもの、たとえば宝塚遊園地といったものを作る。こういう創造性の乏しさも、シュルテが脱核化Entkernungと呼んだ事態だろう。外側は残っているが人格の芯が焼け落ちているということだ。統合失調症より治りがいいとか、軽いとか言えないのではないかな。早期発見、早期治療がありえないせいもあるかな。酒を飲んで味が判らなくて、しかもだんだんピッチが上がる青年、または欲求不満の際に飲酒がまず頭に浮かぶ青年は止(や)めるほうがよいだろうね」

「断酒会やアルコーリツク・アノニマス(AA)はどう思う?」

「ああいうやり方を否定しているわけじゃない。私のは精神科医単独でせん妄状態で担ぎこまれた患者を治療しなければならなかった時代に作った方式だ。断酒会向きの人とAA向きの人とがあるね。向き向きでいいんじゃないか。いずれの方式でも治癒率は二〇パーセントくらいというね。私の考えは、強いていえば、そうだなあ、アルコール症の治療者には宗教的信念を持った医師がやや多くて、それで治る患者もいるだろうけれど、その外にはみ出た部分を対象にするものかな。私の考えの底には、タバコ一つ止めるのに苦労した自分だからアルコール症の人を意志が弱いとは到底思えないということがあるね。私はアルコール症の人より自分のほうが、「意思が強い」なんて思ったことはないね」。

(「兵庫精神医療」八号一九八七年)

文庫版への付記-私はアルコール症の専門家では全然ないが、こういう関与をしていた。

「入院したら、きみはどうする?」

「点滴して電解質を正し、肝庇護に葡萄糖を入れ、時には非常識量のビタミン氏を初め、向神経性ビタミンを加え、よくルシドリールか何かを入れる。振戦せん妄は最後の良心の現れで、治療のチャンスだというシュルテの見解もあるけれど、私はせん妄を防ぐほうだ。アルコール症の人は、一見大丈夫にみえても、どこか神経系をやられていることが多い。内科的に親切に看護することは、アルコール症の場合にもよい効果がある。こういう状態は二週間くらいで終わる。後は一見普通の人だから、扱いが微妙だ。一見普通に見えるのに、絵画テストやロールシャッハ・テストをしてみると、慢性分裂病かと思う例が結構ある。こういう構造のゆるいテストで暴露され、構造の硬いテスト、たとえば知能検査やクレペリン作業テストではあまり欠陥がでない。画なんかでは統合失調症と似ているが、社交性は一見よいし、職業的行為はちゃんとやれるところが違う。その代わり、人格の芯は統合失調症より崩れているかも知れないね。たとえば、統合失調症の人にとって、言葉は重い。重すぎるくらいだ。しかし、アルコール症の人には言葉は紙のように薄っぺらだ。私は、アルコール症の人の行動を信じ、言葉は信じない。両方とも信じなければ治療関係が成り立たないから――。で、禁酒を誓っても、気のない言い方で、「ああ、それは結構」くらいの返事をする。「酒を断って三カ月になります」と言えば、「三カ月は三カ月の値打ち、一年なら一年の値打ちだね」と言う。これは、実績はそのかっきりの価値を認めるという意味だ。それ以上にも以下にも評価しない。これが、患者にとって結局いちばん楽なのだ。

 入院中、重要なのは、文化祭とか何かの催し物で役につけないことだ。あくまで平(ひら)で参加してもらう。いろいろ気の利いたことができるので、つい使ってしまうが、こうした患者は、外での劣等感を内で威張り人を使うことで代償しようとする。この味を覚えると、治りがぐっと悪くなる。部屋の責任者にすると病棟のボス化したりする。その代わり、奇装をしたり、髭を立てたりすることは認める。髭は立てたら剃らないように勧める。これは男性の象徴である。これを簡単に母親や妻の「何よ、むさくるしい」という台詞で剃ってしまうことが多い。こういう去勢的な台詞を家族に禁止しておくのが重要である。実際、ヒゲを立てた患者の予後は一般によい。

 退院の時には、「酒を止めたということを友人にいわないこと」と言う。実は気が付かれるのが意外に遅いことを味わってもらう。他人は、それほど自分に関心を持っているわけでないという現実を体験してもらうことだ。耐えられなくて言ってしまう人は、どうも予後が悪い。もう一つ、酒を止めたことを知ったら友人が「おまえはえらい。あんな好きな酒をよく止めたな。意志が強い。だから、どうだ、この一杯を飲んで、また止められるだろう」という、そういう悪友が現れるものだと予言しておく。友人にこう言われると、自分の意志が強くて大丈夫だという気になるものだ。だが、これは悪魔のささやきだ。「私はそれを酒をやめたという友人にやったことがあります」と告白する人が少なくないね。それがヤマ場で「俺はそっちは卒業したからジュースにする」生言うかどうかに今後がかかっていると告げる。

 後は外来でやるわけだが、時に遅い子が生まれたりするのは良い徴候だ。妻が「このごろ性が強くて困ります」といえば、「一時です」と一言う。アルコール症のインポテンスは、生理的なものだけではないと思う。酩酊の時には非常に自分中心になっている――あかごのようにというべきか――ので、自分を性的に開くことができず、相互性のない、力ずくの性になりやすく、ここでアルコールの作用によるインポテンスが露呈するのだと思う。そして、例の劣等感、恥が顔を出して、性的接近を避けるようになるのだろう。恥辱感による悪循環から救われたら何とでもなると思う。かなりの年寄りでもできることである。生理的衰微は、相互の接近で充分カバーできると思う」

「再発したらどうする?」

「まず、患者の顔を心配そうに見て、首を振って、何もいわずにできるだけ大きな注射器を使って注射する。点滴よりこちらのほうがいいんだが。こちらの顔をみたらすこし大げさな身ぶりで、ニヤッと笑う。武士の情だね。これで済む場合もある。だめなら、七転び八起きだね」

「その範囲できみが書いている経験をもう一度述べてくれないか」

「繰り返しは残念だけど、新しい体験に乏しいから、そうするよりないな。私が最初になるほどと感心したのは、ヴァルター・シュルテという南ドイツはチュービンゲン大学の教授でもう亡くなった人の指摘。独特の恥辱感あるいは劣等感――ひがみというか――がアルコール症の人にあるということだね。彼は、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の中の「アル中の星」を例に挙げている。アル中は王子さまに「ああ恥ずかしい、恥ずかしい」「何がそんなに恥ずかしいのですか」「アル中であることが恥ずかしいのです、ああ恥ずかしい」と言ってアル中はまたぐいと一杯ひっかけましたとさ、という話だ。恥の文化とか罪の文化とかいうけれど、これで見ると西欧でもアルコール症者は恥の文化だな。私は、この恥意識に注目して対応の仕方を考えた。もう一つはかねていわれているのが、アルコール症の人はブラック・ユーモアを使うし、わかるということだね。ユーモアがわかるのなら、これを放っておく手はあるまいと思ったのさ」

「両者は無関係じゃないね。恥にまみれた自分をユーモアで捉えるということは、ひとつの健康化への試みだろう?」

「ユーモアの極致は、例の『宝島』のスティーヴンソンの『ロバを連れての旅』だということを昔読んではっとしたことがある。南フランス旅行の話だが、昔のこととて荷物をロバに積んで行く。ロバがぬかるみに足をとられて倒れる。民衆は見ているけれど、手を出さない。こちらはあれこれ意志を通じさせようとやってみるけど、だめだ。この旅行記がユーモアの極致だというのだね。つまり、惨めさの中にある自分を距離を置いて眺めるということだ。これは成熟した態度だけど、アルコール症の人に話すユーモアはだじゃれ程度でいい。あまり深刻なのはどうかな。治療者からは、相手ほどブラックでないユーモアを返す」

「どういうふうに?」

「いや、むつかしいことじゃない。酒というかわりに「米の汁」でいいんだ。それだけでアルコール症の人は治療者の「武士の情」を感じるはずだ。入院治療でも最初が肝心で、家族に「簡単だが実行はなかなか難しいことを一つ守ってくれますか」と言い、これに同意するのを入院の条件とする。当方が引き受けるまでに言わないと、家族は真剣に聞いてくれない。それは人情だから、必ず、同意してもらってから治療を承知する。それまでなら家族は「治るためなら何でもしますから」と言うからそのうちが花だね。もっとも、その時も「それで必ず治るとまでは言えないけれど、少なくとも実行してくれるのとくれないのとでは大違いだと思う」と言って、安請け合いはしない。お願いするのは「恥をかかさないこと」で、「むろん酒飲みへのいろいろな説教はみんな恥をかかせるようになっている。それで治る人もいるだろうけれど、そういう人ならここまで来ていない」と言い、「酒を止めてえらいね」という言葉でも、「どうせ俺はそれぐらいしか褒められることのない奴さ」とひがんでしまうという話をする。また、私も患者が聞きあきたような説教はしないという。実際、それは同じ穴に何度も釘を打つようなもので、だんだん力を強くしないと同じ効果が得られない。強くすると副作用、反作用が大きくなる。これは、一般にスパルタ的といわれる方法の欠点だね。ハト派のやり方は手ぬるいかもしれないけれど、何度でもやりなおせる。七転び八起きってわけだ。実際、このせりふは口癖のように使ってもいい。しかし、たいていは患者の側に初めて聞くという驚きがないと治療的な対話にはならないものだ。「またか、この先生も同じことを言う」と落胆するだけだ。この患者がまだ聞いていないことはどういうことだろうと考えをめぐらすことが、治療者の進歩になる」

「新しい内容なんてなかなか思いつかないだろう」

「いや、たとえば、患者が私は酒が好きで、といったら、いや、きみは米の汁が合わないと答える。どうして、と聞かれたら、何でもやりだしたらやめられないものはその人に合っていない、と言い、誰れでも苦手なものが一つや二つはあるものだと言う。そういう問答でも結構耳を傾けてくれるよ」

「どうして地域によって違うのだろう?」

「それはわからないね。緯度の高いところほど強い酒を飲むという原則も日本にあてはまらないね。蒸留酒の技術がポルトガルかオランダだか、ミャンマーからマレイシアだか、とにかく南西の方角からやって来て、まず八重山群島、それから琉球本島、そして薩摩にはいったという事情もあるだろうがね」

「よくいわれるのは、酒を飲む地方と飲まない地方の差がかなりはげしいこと、それから、同じアルコール消費量でありながら、東北と九州および高知とではアルコール症発生率が非常に違うこと。これは社会精神医学が取り上げて調べているみたいだが、要するに文化の相違だろうね」

「世界的にも文化によって酒に対する態度は幅があるだろう」

「そう。イスラム圏は酒を飲まない。インドネシアだと薄いビールはいいらしいが、アラビアでは酒類は禁止で、重い罰を受ける。ヒンドゥー圏も禁酒地域だが、罰はどうかな。アメリカ、西欧、中国ではお酒を飲むのはいいが、酔っぱらうのは社会的に排斥される。もっとも、コーカシアンはアルコール分解の過程でアセトアルデヒドの加水分解酵素を皆持っているが、日本人は持っていない者も多いらしいね。あるいは能率のわるい酵素(アイソザイム)しか、ね。日本人が酔っぱらいやすいのには生理学的な根拠があるわけだ」

「しかし、外国のアルコール症にくらべると日本のアルコール症はかわいいものだというね」

「ほんとうのところは知らないのだけれど、アメリカでは、ドランカードとコミー」は職が得られないというね。コミーとはコミュニストのことだが。だから、アルコール症の人は失業してますますアルコールに溺れてゆくという悪循環があるだろうね。サウディアラビアなんかはアルコール販売が死罪じゃなかったかな。あすこのアルコール症ほどひどいのは見たことがないと実見した精神科医が言っていたね。地下室で酔いつぶれているアルコール症者の群――」

「ハワイで、カナカ族の、高見山みたいな大きさの青年が、そう、ダイアモンド・ヘッドの少しワイキキ寄りの誰もいない浜で、真昼だった、仁王立ちになって海のほうをぐっと見つめていた。よく見ると、足元のアイスボックスから罐ビールを取っては一息に飲み干してポーンと海に空き罐を投げる。いつまでも、いつまでもそうしていた。雄々しくてとても孤独な感じだった。日本のアルコール症の崩れた甘えた感じから遠かったな」

「眼に浮かぶようだな」

 

「一休みしたいね」

「ああ、少し疲れた」

「話が世界に広がりすぎたかな」

「うーん、私の言いたかったのは、アルコール症は地域によって違うということなんだ。それから、階級によっても違う」

「アルコール症の治療者も地域によって違いそうだね」

「多分そうだろうね。碇さんの宴会療法は他地方では実践しにくいだろうね。それは患者側だけじゃない。精神科医の側にも九州には骨太の実践的精神があるように思うね」

「そうだね。けれどもそれだけじゃなくて、あれは難しいアルコール症の治療に挑戦したという、地域を超えた意義があると思うな。つまり家族から見放され、友人もなく、趣味もなく、野球や相撲にひいきのチームや力士があるわけでもなく、酒の種類や銘柄はおかまいなしで、ひたすら麻痺と意識混濁を目指す、そういう患者は治療が困難だと君が書いたことがあるね。それを碇さんは読んでおられると聞いた。これにヒントを得てひとつ挑戦してみようとしたんじゃないかな。そういう例はまわりにいっぱいいたろうしね。あの試みは困難な例の治療に初めて道をつけたといえると思う」

「私が挙げた中で「家族が見放していず、友人と飲むことが多く」ということはどこか人間的魅力があるということだね――、「何かの趣味があり」――世界に向かって部分的にせよ開かれているということだ――「野球や力士にひいきがあり」――ということは同一視する対象があるということだね――、「酒は何で、銘柄が何という好みがあり、ほろ酔いを楽しむことができる」、こういう条件の全部が揃っていたらアルコール症にならないだろうが、多いほど治療がしやすいのは当然で、こういう条件の多くを充たしている患者しか結局は治療になっていないね、残念だけど」

「きみはアルコール症を診たことがあるのかい」

「そう、東京で精神病院に勤めている時が主な体験かな。こっちでも診ているが、少ないね。名古屋では診なかった。あすこはアルコール症が少ないんだ」

「そんなところがあるのかね」

「うん、東京では大工さんのアルコール症は治しにくかった。建築の祝いには酒がつきものだからね。それを名古屋で話すと、いや、ここでは酒を出さない。五合瓶を持って帰ってもらうようにすることが多いといわれた。びっくりしたね。自動車の普及のせいかなと思ってみた。たしかにあの町は自動車がないと暮らせないようだ。だが、それだけではない。東海地方は全国でいちばん単位人口当りの精神病床数の少ないところだ。それにはアルコール症の少なさも手伝っているだろう。むろん、アルコール症がないわけじゃない。

だが、それはよそから来た人が多いというのだ。この言い方には、土地の人の排他的な感情が混じっているかもしれないが。繁華街が少ないのは事実だよ。他の都市から見ると、桁違いに小さい女子大小路とかいうのがあるくらいだ。そうそう、東京の浮浪者のアルコール症は治りにくい。繁華街の裏口に置いてある空き瓶の酒を集めると結構の量になるというんだ。それは名古屋では通用しないといわれたね。空き瓶に酒が残っているなんて考えられないのだって」

 

「ずいぶん違うんだな」

「そう。アルコール症は地域によって大違いだ。それによって治療法も変わってくると思う。九州の精神科医、北海道の精神科医、関東の精神科医、それぞれがアルコール症の治療法を書いているが、そこの飲酒文化の違いを反映しているという感じがとてもする」

「たとえば?」

「九州大学の精神科に碇(いかり)さんというドクターがいる。彼は宴会療法というのを提唱している。患者と一緒に宴会をするのだ」

「えっ」

「彼は北九州の炭鉱地帯で仕事をしていた。あすこは昭和三〇年代から、エネルギー政策の転換といって、要するに石炭から石油に換えるということなんだが、それで沢山の炭鉱を廃山にしてしまった。その一〇年前は、傾斜再生産といって、石炭が最重点で、都会から炭鉱へ行く人を美談だと新聞が書きたてたり、天皇が坑道の奥深くはいったりした。政策転換とはむごいものだね。炭鉱の社会は非常に緊密な共同体だった。それが根こぎされたわけだ。アルコール症が激増したのも無理なかろう」

「第二次大戦中にアメリカ軍の基地に雇われたりして生活のスタイルを失い、貨幣経済に強制的に編みこまれたエスキモーやカナダ・インディアンが人口の半分ほどもアルコール症になってしまったのに似ているね」

「生きがいが確立していた人が、社会変動のために生きがいの基盤を掘り崩されて、もう一度生きがいを求めようもないという事態だとこうなるのだろうね。一民族がアルコール症になってゆくとは悲劇だね、まったく」

「酒は人類最古の安定剤だというが、安定剤がわりに使うとよくないようだ。いくら飲んでも、心の安らぎが得られるわけでない。いや、得られる人はわれわれの目に留まらないわけか。得られない人がいるということ、得られない人は、とにかく意識を失うまで飲んでしまうということだね」

「そうだ、楽しみながら飲むといいわけか」

「酒を味わうのはいいんだろう。うっとりとしたところで止めるから。だから、碇さんは、酒を楽しく飲めばずいぶん状況はよくなるだろうと考えた。彼の挙げている例では、四〇年くらい飲酒歴のある女性が出てくるが、このおばさん、酒がうまいとは一度も思わなかったそうだ。宴会療法は、医師や看護師、看護士も交えて、酒と肴を用意し、カラオケも準備して、どんちゃんさわぎをする」

「医師も座持ちがよくないとだめだろうね」

「必ずしも座持ちのよい人とは限らないらしいよ。精神科医が対人関係の達人とは限らないのと同じだね。碇さんはたしか酒を飲まない」

「結局どうなるんだ」

「酒との関わり方が変わる。結果として酒量が減り、いつでも酔っぱらっている必要が減る。小諸で一九八四年にあった精神病理懇話会の席上、ビデオを見せつつ発表した時は、聴衆は皆うなったね。壮絶というか、何というか」

「なるほど、きみのいわんとすることはこうだろう。それは北九州の、一部かもしれないけれど、その現実に即したやり方だと―」

「そのとおり。だから聴衆もはじめは抵抗を感じていたけれど、途中からは引きこまれて声もなかった」

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