ヤマアラシのジレンマ

Das Dilemma der Stachelschweine - 「心の家路」のブログ

薬の使用と自殺率増加の問題

心の由来:「心」についての身もふたもない話
薬の使用と自殺率増加の問題
http://blogs.yahoo.co.jp/kopheee/9312314.html魚拓

> 最後に、統合失調症の人に、抗精神病薬に加えてベンゾジアゼピン系抗不安薬を併用するとどうか? なんと死亡率が約2倍にぐっと上がってしまいます。自殺率に限定すると約4倍に上がっています。(自殺以外の、事故による死亡も増えるのですが。)
> ベンゾジアゼピン系抗不安薬は、統合失調症の治療でも、うつ病の治療でも、神経症やパーソナリティ障害の治療でも、基本的に不安を和らげるために使うことがある薬です。 しかし不安を和らげる作用とともに、感情を自制する力を弱めてしまい、しばしば衝動的な行動を引き起こしやすくなります。 その点ではアルコールと似た効き方の雰囲気があるのです。
> このためか、過去には子どものうつ病に対する治療においても、境界性パーソナリティ障害の治療においても、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を併用すると自殺や自殺企図が増える傾向がある危険性が指摘され続けていたのです。
> 他のところでも言いましたが、この意味でもベンゾジアゼピン系抗不安薬は難しい薬なのです。 日本では精神科医以外の内科とかの先生も、ベンゾジアゼピン系抗不安薬はその別名「マイナートランキライザー」という安易っぽい雰囲気のせいか、安易に使いすぎる気がしています。
> 多くの場合、精神的な問題に対するベンゾジアゼピン系抗不安薬は、膠原病やアレルギー疾患に対するステロイド剤と違って、そこまで必須ではないことから、使うにしてももっと慎重に、計画的に使って行かなくてはならないのでしょう。
> なぜマスコミも、素人の人も、抗うつ薬なんかよりも圧倒的に問題であるこっちの方をとりあげないのか、私は不思議でなりません。

自傷行為の嗜癖化プロセス:松本俊彦先生より

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自傷行為の嗜癖化プロセス:松本俊彦先生より
http://ameblo.jp/tochigi-akk-society/entry-10972388092.html

1. 自傷行為の嗜癖化プロセス

アディクションの本質は、エスカレートするなかで当初の目的を見失い、いつしか行為の主体性を失ってしまう点にあります。自傷行為にもそういった特徴が見られます。当初は自ら主体的に自傷行為をすることによって自分の感情をコントロールしていたつもりが、気がつくと、自傷行為にコントロールされ、振り回されている自分がいます。そのような観点から、私はかねてより「自傷行為の嗜癖化プロセス」なる臨床上の作業仮説を提唱してきました(松本と山口, 2005)。

以下に、この仮説について説明しましょう。

1) 自分をコントロールするための自傷行為

私たちの調査(山口ら, 2004: Matsumoto et al, 2008)によれば、自傷行為が開始される年齢はおおむね12歳頃です。ファヴァッツァらの調査(Favazza et al, 1989)では自傷行為の平均的開始年齢は12歳、ホートンら(Hawton et al, 2006)によれば11~13歳とされていることを考えると、国を問わず、小学生から中学生へと移行する思春期の始まる時期に自傷行為が始まるといえるでしょう。

では、最初の自傷行為はどのような経緯からなされるのでしょうか? 
これまで私は、自傷行為は決して失敗した自殺企図ではないと述べてきました。しかし、自身が行ってきた自傷者との対話を通じて、人生最初の自傷に限っていえば、実は自殺の意図があることが少なくない、という印象を抱いています。おそらくその致死性の予測は様々なだと思いますが、最初の自傷行為には自殺の意図があったと語る自傷者は意外に多いという気がします。

典型的な例を挙げてみましょう。たとえば、家庭や学校で繰り返し自分を否定される体験をしている子どもがいたとしましょう。それは、虐待やいじめといった明確な形かもしれませんし、試験で90点をとってもいつも「なぜ100点じゃないのか」と親から責められるような不明瞭なかたちでもよいでしょう。いずれにしても、「いまのあなたではダメだ」というメッセージであることには変わりはありません。

おそらくその子は、自らのことを「自分は要らない子」「余計な子」と認識していることでしょう。最初のうち、このつらい状況について周囲の大人の誰かに相談するかもしれません。しかし、大人たちは、「がんばれ」「おまえも悪い」「やられたらやりかえせ」とお決まりの反応をしたり、そもそも大人自身が自分の問題に夢中であるために、その子の訴えに耳を傾けられなかったりするかもしれません。やがて子どもは、「誰も信じられない」「もう誰にも助けは求めない」と思いに駆られ、「消えてしまいたい」「いなくなってしまいたい」という感覚がわき起こります。この感覚は、いわば消極的で漠然とした自殺念慮といってよいものです。この頃には、高いところに上るたびに、「ここから落ちたら(あるいは、飛び降りたら)、どうなるのだろうか?」などといった空想を繰り返するようになる子もいます。そして、あるとき忍耐の限界に達して、子どもは自殺の意図から刃物で自分を切るわけです。もちろん、その傷は、客観的には「馬鹿げたかすり傷」にしか見えない軽症のものですが。

いずれにしても、その自殺企図は、誰にも知られることのないまま行われ、やはり誰にも知られることのないまま失敗に終わったことになります。しかし代わりに、子どもはそれまで自分の胸を圧迫していた「心の痛み」が霧散しているのを――すなわち、自傷行為の持つ「鎮痛」効果を――発見します。「死にたいほどのつらさ」も、うまくコントロールできるわけです。おそらく子どもはこう思うのではないでしょうか? 「これさえあれば、誰の助けがなくても生きていける」。そして、生きるために――あるいは、死なないために――自傷をくりかえすようになります。たいていは、周到に人目を避けて、誰にも見つからないようにして自傷行為におよびます。これは、先述した「情動焦点型」の対処であり、いわば「自分をコントロールするための自傷行為」のはじまりです。

2) 自傷行為の治療効果減弱とコントロール喪失

しかし、自傷行為の「鎮痛」効果には、麻薬と同様、「耐性」を生じやすいという性質があります。当初は週に1回自傷すれば不快感情に対処できていたものが、次第にその効果が薄れ、3日に1回、毎日、日に数回という具合に、徐々に頻度を増やさなければならなくなるのです。しかも、「鎮痛」効果を維持するためには、より多くの場所に、様々な方法で自分を傷つける必要があります。そのため、手首や腕だけで足りなくなり、他の身体部位を切ったり、さらには、切るだけではなく、頭を壁に打ちつけたり、火のついたタバコを皮膚に押しつけたりする者もいるでしょう。なかには、より深く切らなければならなくなり、まれではありますが、「意図せず」致死性の高い身体損傷におよんでしまう場合もありえます。

もう一つ困ったことがあります。こうした対処を繰り返すうちにストレス耐性が低下し、以前ならば気にもとめなかった出来事にも不快感情が生じるようになってしまいのです。最初は、「生きるか死ぬか」といった苦痛に対して自傷行為という対処を用いていたはずが、いつしか「友人の態度がそっけなかった......嫌われているのかも」といったささいな出来事に対しても、自傷しないではいられなくなるわけです。この現象は、あたかも、手術後の激しい疼痛に対して鎮痛剤を用いた人が、いつしかその鎮痛剤を常用するようになり、朝、目が覚めたときに「なんとなく頭が重い」だけでも鎮痛剤が欲しくなるのに似ています。

このようにして、自傷行為の治療効果が減弱する一方でストレス耐性が低下する事態を呈すると、自傷行為にはもはや自分をコントロールするパワーがなくなってしまいます。すなわち、いくら切っても埋め合わせがつかない状態――「切ってもつらいが、切らなければなおつらい」状態に陥るわけです。これは、アルコール依存症患者が呈する連続飲酒発作と同じ、コントロール喪失の状態といえます。ファヴァッツァのいう「反復性自傷行為」は、まさにこのような状態を指しているといえます。

この段階に到達した自傷者がとる行動は次の二つのいずれかであることが多いように思います。一つは、不快感情を軽減もしくは「リセット」する方法として、過量服薬――この時期にはまだ精神科に受診していない人が大半なので、通常は、市販されている鎮痛薬・感冒薬などを過量摂取します――のような他の様式に移行するというものです。もう一つは、さらに自傷行為に固執して、周囲にこの秘密の儀式が露見するという事態です。

3) 周囲をコントロールするための自傷行為

自傷行為に対するコントロールを失い、むしろ自傷行為にコントロールされる状況になると、自傷者には、もはや周到に人目を避けて自傷する余裕を失います。まもなくゴミ箱に無造作に投げ込まれた血のついたティッシュ、あるいは、洋服で隠せない場所につけた傷などが家族や教師の目に触れることとなり、彼らの秘密の儀式は露見してしまいます。当然ながら周囲は騒然とし、これを機に何らかの専門的援助につながります。彼らが精神科医療機関やカウンセリング室に訪れるのは、通常はこの時期です。

皮肉なことに、自傷行為は発見されることで、再びそのパワーを取り戻します。そのパワーとは、精神的苦痛に対する直接的な「鎮痛」効果ではありません。「余計な子」「要らない子」というアイデンティティを持ち、「いなくなってしまいたい」「消えてしまいたい」と感じている彼らが、自分の存在価値や重要他者との絆を確認することを通じて間接的に得られる「鎮痛」効果なのです。というのも、彼らが自傷をしたりしなかったりすることで、家族や友人、恋人、さらには援助者(精神科医やカウンセラー)を一喜一憂させ、自分から離れていこうとする人との絆を一時的な回復させることができるからです。周囲の人間は、彼らに注目し、まるで腫れ物に触るように接することを強いられ、いつもならば口をついて出てしまう非難や苦言も飲み込むことを余儀なくされます。

要するに、彼らは自傷行為を通じて家族内ヒエラルキーにおける下克上を実現できるパワーを手に入れるのです。そして、そのパワーに「酔う」ことで、彼らは自らの内にある「いなくなってしまいたい」「消えてしまいたい」という気持ちから意識をそらします。この段階は、まさに「周囲をコントロールするための自傷行為」といえます。なお、従来、境界性パーソナリティ障害に特徴的とされる「演技的・操作的な」自傷行為は、この段階で見られる自傷行為を指していると思われますが、注意すべきなのは、自傷行為は最初から演技的・操作的な目的からされるのではなく、あくまでも経過のなかで二次的に出現してくれるものだということです。

この「周囲をコンロトールするための自傷行為」の時期はあまり長くは続きません。自傷行為を発見されることで得られたように見えた周囲との「絆」は、たいていの場合、一時的なものにすぎないからです。家族、あるいは友人や恋人は、自傷することにもしないことにも、驚くほど早く慣れてしまいます。自傷行為にふりまわされることに疲れはてた家族、さらには援助者までもが、次第に自傷行為に対して冷淡な態度をとるようになっていきます。「死ぬ気もないくせに」「好きで切っているんだから」「自分で救急車を呼べば」などの辛辣な言葉が浴びせられることもあります。

これはきわめて危険な状況です。この段階にいたると、自傷行為には自分をコントロールすることも、周囲をコントロールすることもできなくなっています。自傷者は完全に無力化され、「要らない子」「余計な子」という否定的な自己イメージがわき起こり、これまで自傷行為に「酔う」ことでそこから意識をそらしていた「心の痛み」――すなわち、「消えてしまいたい」「いなくなってしまいたい」――が再び彼らを苛み、最初の自傷行為のときに存在していた自殺念慮が明確に意識されるようになります。もしもすでに精神科に通院している場合には、自殺の意図から、処方された向精神薬を過量服薬することでしょうし、過量服薬する薬がなければ、別の自己破壊的な手段をとるかもしれません。考えてみれば、彼らは自殺の意図から行った最初の自傷行為から、様々なプロセスを迂回して再び最初の場所に戻ってきてしまうことになります。

2. 自傷行為から自殺企図へ

1) 生きるための自傷行為が「死」をたぐり寄せる

ある17歳の女性患者は、両親からのネグレクトや学校でのいじめといった苛酷な環境を生き延びるために、11歳から自傷行為を始めましたが、いろいろな経過から15歳で自傷行為をやめようと決意して、自分なりに努力をして少なくとも2年間はやめ続けていました。彼女は、自分が自傷行為をやめようと思ったきっかけについて、次のように私に語ったことがあります。

「自傷行為をしている人は、他の人から自分を否定されてきた方が多いと思います。私もそうでした。『生きるために自傷しているのだから、それを止める権利は誰にもない』。家族や医者から『やめなさい』といわれるたびに、私はそう思ってきました。ただ、自傷行為をしていると、必ず先には死が見えて来てしまうんです。だんだん痛みに慣れていって、大量の血にも動じなくなってしまうんです。最初はそんなこと考えなかったのに、いつのまにか死への憧れみたいなものに少しずつ囚われている自分に気づいたんです。悩んで苦しんで、それでも『頑張って生きよう』『絶対に死なない』と強く思って始めたはずの自傷行為が、死に繋がってしまうのはあまりにも悲しい......そう思ってやめようと決心したのです」

私は、嗜癖化した自傷行為がエスカレートした果てに行き着く先は自殺であると考えています。私たちの研究では、精神科通院中の女性自傷患者のうち、18.9%が1年以内に医療機関で治療が必要なほど重篤な過量服薬を行っており(松本ら, 2006)、22.4%が3年以内にきわめて致死性の高い手段・方法で自殺企図におよんでいることが明らかにされています(松本ら, 2008)。また、オーウェンズら(Owens et al, 2002)らのメタ分析によれば、十代のときに自傷行為を行った若者が、10年後に自殺既遂で死亡している確率は、400~700倍に高まるといわれています。このことは、自傷行為は、その行為だけを見れば、様々な点で自殺企図とは異なりますが、しかし、長期的には自殺の危険因子であることを示しているといえるでしょう。

確かに、習慣的に自傷行為を繰り返している人たちのなかには、「生きるためにしている自傷している」と語る者も少なくありません。しかし、考えてみれば、「生きるために」自分を傷つけなければならない事態とは、それ自体、相当に危機的な状況なのではないでしょうか? そして、その危機的な状況を生き延びるために、一見すると、たわいない行動を繰り返して一時しのぎを続ける。あたかも破産寸前の経営状況を怪しい金融業者からの借金でしのいで破産を回避し続け、気づいたときには当初の何倍もの莫大な借金に膨れ上がってしまうように、「生きるため」の自傷行為を繰り返すことで、かえって死をたぐり寄せている可能性があるとはいえないでしょうか?

2) 死への「迂回路」としてのアディクション

私は、「生きるため」の行為の反復が結果的に死をたぐり寄せている、という現象こそが、実はアディクションの本質ではないか、と考えています。

アルコール依存症を例にとってみましょう。メニンガーはかつてアルコール依存症のことを「慢性自殺」と呼びました。その言葉は、いますぐ自殺してしまうことを回避するために(=生きるために)、ゆっくりと自分を傷つけて延命を図る行為を意味していました。しかし、自殺予防の専門家のあいだでは、アルコール依存症はうつ病と並んで自殺と密接に関連する精神障害であることが知られています。

このあたりのことを、アルコール依存症専門医である辻本士郎(2009)は、親しみのある言葉で巧みに語っています。「飲んでいる人は、心が死に向かっています。生きたいのと死にたいのと、両方あるんですよ。/生きることと、死ぬこととの、真ん中のようなところにいて、最初はなんとか生きていくために飲んでいたのが、飲むためにさまざまな努力をしたり、抵抗したりしているうちに、ただ飲みたいだけになってくる。だんだんと、生きるために飲んでいるのか、死ぬために飲んでいるのか、わからへんようなってくる。/もう死んでもええわ、どうでもええわ、と思いながら、飲んでいる部分がある。俺から酒をとったら何が残る、というのはこの段階です。/酒は疫病神だとわかっているけれども、もうこの疫病神と一緒でいいやという気持ち、それが『慢性自殺』です」。

中高年の男性たちが、日々の生活から生じる「心の痛み」を誰にも相談せずに、アルコールで蓋をしてどうやらこうやらその日を生き延びる。しかし、そんな一時しのぎをしたところで、「心」に痛みをもたらす根本的な原因は何も変わっていない。それどころか、問題はますます巨大かつ複雑になり、気づくとアルコールに溺れている自分がいて、どうにも引き返せない。このように、生き延びるためのアルコールが皮肉にも死をたぐり寄せる可能性があります。あるいは、最近十年あまりの中高年男性の自殺の背景にも、うつ病だけでなく、こうしたアルコールの問題が潜んでいるのかもしれません。

いずれにしても、アルコール依存症であれ、自傷行為であれ、その瞬間を生き延びるためのアディクションは、最終的には「死」への迂回路にすぎない場合が少なくないように思います。

3) 「感情語」の退化

自傷行為による「身体の痛み」には、一時的に「心の痛み」を抑えるという不思議な鎮痛効果があります。そして、これまで述べてきた通り、ある種の人たちはきわめて速やかにその「身体の痛み」に慣れていき、より強烈で新鮮な「身体の痛み」を求めて自傷行為が嗜癖化します。その嗜癖化プロセスの果てに自殺念慮が高まったり、自殺企図におよんでしまうのはなぜでしょうか?

私は、自傷行為によって「心の痛み」を言葉にしないで「身体の痛み」で抑えつけることは、自分の感情を無視し、「何も感じないようにすること」「何も起こらなかったことにすること」だと考えています。実際、自傷を繰り返す患者の治療をしていると、そのことを痛感させられます。たとえば、毎週の面接の最初に、私が「この一週間、調子はどうだった?」と質問するとしましょう。すると、患者は、「別に何も......」「変わりなかったです」「普通でした」などと答えるわけです。でも、そんなはずはないだろうと思うのです。現に、彼らの腕には多数の新しい傷跡が追加されているのです。いくら「アディクション」になっているからといっても、何もないのに切るはずはありません。そこで、時間をかけて1週間の様子を思い出してもらうと、やはりいろいろとつらい感情に襲われるような体験をしているのです。しかし、そんなとき自傷すると、つらい感情も、その感情の原因となった出来事の記憶も忘れてしまいます。自傷行為におよんだ後では、自分が何に傷ついて自傷したのかを思い出せなくなっているという人がけっこういるのです。

自傷者は、単に自分の皮膚だけを切っているわけではないのです。皮膚を切る瞬間に、つらい出来事の記憶もつらい感情に襲われたことも、自分の生活や人生から「切り離されて(=cut away)」されてしまうわけです。あるいは、こういいかえてもよいでしょう。自傷行為とは、あたかも「臭いものに蓋をする」ように、「身体の痛み」を使って「心の痛み」に蓋をして、「何も起こらなかった」「何も感じなかった」ことにしてしまうことなのです。

このようにして、次から次へと「心の痛み」に蓋をしていく行為をくりかえしていると、どうなるでしょうか? たとえば、誰かから手ひどい侮辱を受けたとき、「悔しい」「悲しい」「ぶっ殺してやりたい」などといったつらい感情を自覚するよりも早く、自傷行為を用いて、すばやく心のなかにある「汚物入れ用バケツ」に蓋をしてしまうわけです。そのすばやさは、それがどんな感情であったのかを確認する暇さえないほどです。そして、その結果、自傷者の心のなかではある変化が生じます。すなわち、「自分はいま怒っている」「自分はいま傷ついた」などといった感情語が退化し、体験する感情に名前を与えられず、自分がいまどんな感情を体験しているのかを把握できなくなるのです。もはやその人は、自分が何に傷ついて自傷したのか、思い出せなくなっていることでしょう。

4) 自殺念慮の出現

感情語が退化してくると、心はあたかも「仮死状態」となったかのように無反応を呈します。悔しい出来事、腹立たしい出来事、あるいはショックな出来事に遭遇しても、何も感じないし涙も出てこなくなります。実際、「もう何年も泣いたことがない」という自傷者は意外に多いのです。

もちろん、この仮死状態のおかげで、何が起きても傷つかないですむというメリットはあります。しかし、その代償は高くつくというべきでしょう。というのも、つらい出来事があっても、何の感情も沸かなくなり、ただ唐突に自分を切りたい衝動や焦燥感が異様に高まるだけの状態に陥ると、あっという間に自傷行為に対するコントロールが聞かなくなってしまうからです。それにまた、例の「汚物入れ用バケツ」に投げ込まれた、名前を与えられていない感情は次から次へと蓄積し、あふれ出さんばかりになっています。そうなると、いくら上から蓋を押さえも、それに対抗してあふれ出そうとする勢いを抑止することはできず、一部があふれ出てきてしまうわけです。

自傷行為を繰り返す人は、しばしば突発的に、あるいは、ほんのささいなきっかけから、「消えてしまいたい」「いなくなってしまいたい」という、漠然とした、消極的な自殺念慮を感じることがあります。実は、それは、いくら蓋をしても抑えきれずに「名無しの感情」があふれ出ていることを示すサインなのです。さらに、あふれ方が強くなれば、「死にたい」という、より明確な自殺念慮として自覚されるでしょう。要するに、生きるために感情を抑えつけ、感情語を退化させていくことが、最終的にその人を「死」へと近づけてしまうのです。

要するに、自傷行為は自殺企図とは異なるが、しかし同時に、それは、長期的には自殺につながる自殺関連行動でもある、ということなのです。ウォルシュとローゼンは次のように述べています。「自傷行為を繰り返す者の多くは死ぬために自分を傷つけているわけではないが、傷つけていないときには漠然とした『死の考え』にとらわれていることが少なくない。そして、あるとき、いつも自傷に用いているのとは別の方法で、自殺企図におよぶ」。さらに、自傷行為が持つ治療的な効果が消失してきた場合には、特に自殺の危険が高まっている可能性があるとも指摘しています。

実際に対応したことのある援助者ならば知っているはずですが、確かに、自傷行為におよんだ者が、傷の手当てを求めて学校の保健室や救急外来を訪れるときには、たいてい、「切っちゃった」などとケロリとした態度で話し、どこか深刻味のない、落ち着いた様子でいるものです。この深刻味のなさが援助者をして油断させますが、この段階で丁寧に対応することこそが大切なのです。

逆にいえば、もしも自傷者が「まだ切りたい!」「お願い、いますぐ切らせて!」などと切迫した様子を見せている場合には、自傷行為の治療効果がかなり弱まっている可能性があります。自殺の危険に関する慎重な評価を行い、緊急対応の是非について検討する必要があるでしょう。

精神疾患の社会負担11兆...過剰な投薬も影響?

精神疾患の社会負担11兆...過剰な投薬も影響?
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110331-OYT1T00608.htm

 精神疾患のために生じる医療費や労働力損失などの社会的コストが、年間11兆円に上ることが、順天堂大学などの調査で分かった。

 過剰な投薬など不適切な治療で病気が長引く患者も多く、コストを押し上げているとみられる。東日本巨大地震の影響でうつ病やストレス性疾患を患う人の増加が懸念されており、患者への早期で適切なケアはもちろん、精神医療のあり方も見直しが求められそうだ。

 調査は、同大医学部の横山和仁教授(衛生学)らが、厚生労働省の補助事業として実施。2008年度の統計資料などから〈1〉医療費の総額〈2〉うつ病で仕事が手に着かないなどの生産性低下による損失額〈3〉介護する家族の労働コスト――などを推計して合計。年間の社会的コストを最大で11兆3756億円と算出した。病気別の医療費で一番多かったのが幻覚や妄想が起きる統合失調症で1兆980億円。約80万人の患者がいるとされ、長期入院の人が多い。うつ病などの気分障害が、3101億円で続いた。
(2011年3月31日14時36分  読売新聞)

睡眠薬処方:4年間で3割増 厚労省、初の指針策定へ

睡眠薬処方:4年間で3割増 厚労省、初の指針策定へ
http://mainichi.jp/photo/news/20100813k0000m040113000c.html魚拓

 医療機関が処方する向精神薬のうち、患者1人に出す睡眠薬の1日分の量が05~09年の4年間で3割増えたことが、厚生労働省研究班による過去最大規模の約30万人への調査で分かった。処方された患者の約3割が4年後も服用を続け、このうち薬が減っていない人は約7割に上ることも判明。調査担当者は「投与後の効果の見極めが十分でないため、漫然と処方されている可能性がある」と指摘する。厚労省はデータを基に睡眠薬の投与や減量の方法を定めた初のガイドライン策定に乗り出す。

mainichi20100813.jpg 調査は国立精神・神経医療研究センター(東京都小平市)の三島和夫・精神生理研究部長らの研究班が実施。複数の健康保険組合に加入する約30万人を対象に、05年以降の各年4~6月の診療報酬請求明細書(レセプト)を基に向精神薬の処方実態を調べた。

 調査によると、05年に睡眠薬を服用していた患者の1日分処方量の平均と09年の平均を比べると3割増加。また05年の患者4807人のうち、4年後には約3割にあたる1312人が睡眠薬を飲み続けていた。飲み続けた人の4年間の処方量の変化は▽「増えた」52%▽「変わらない」16%▽「減った」32%。減量されていない患者が68%に上った。

 向精神薬全体については05年から2年間を調査した結果、05年に1回以上処方された人は1万426人だったが、07年は約1・2倍の1万2290人に増えた。不安や緊張を抑える抗不安薬と睡眠薬は年齢が高いほど処方される患者の割合が増加。65歳以上の女性では、05年は10%が処方を受けていたが、07年には14%に増えた。

 処方診療科は、抗うつ薬と主に統合失調症の治療に使う抗精神病薬については精神科が6~7割。抗不安薬と睡眠薬は精神科が4割にとどまり、内科、整形外科などの一般身体科が半数以上を占めた。

 三島部長は「重篤な症状のために長期間服用しなければいけない患者もいるが、効果が乏しいまま向精神薬が処方されているケースが多いのではないか。心身にも影響が出る恐れがあり、処方が適切か医師は定期的に確認し減量を検討することが必要」と指摘する。【堀智行】

精神科医療に「心のつながり」の保証を

自殺予防総合対策センター
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/

トピックス:精神科医療に「心のつながり」の保証を

 近年、若者たちの向精神薬の誤用・乱用が問題となっています。処方された向精神薬をため込み、あるときそれらを過量服薬して自殺未遂をはかり、救命救急センターに搬送される者が増えています。また、薬物依存症専門病院に受診する向精神薬依存症患者も増加傾向にあり、なかには、複数の医療機関から向精神薬を入手し、乱用している者もいるようです。
 しかしその一方で、精神科薬物療法によって、恩恵を受けた患者も計り知れないほど多く存在します。また、現在の精神科医療の水準に照らして、いかなる患者にも薬物療法を一切行わない医師がいるとすれば、それは別の意味で非倫理的と言えるでしょう。「自殺を誘発する」などの危険性が危惧されているSSRIという抗うつ薬にしても、最近の研究では、全体としては自殺者減少に貢献をしていることが確認されています。
 それでは、私たちの社会は、向精神薬の誤用・乱用にどのように対処したらよいのでしょうか? 緩和された向精神薬の処方日数制限を再び厳しく規制すべきという意見があります。しかし、精神科医療機関への通院が困難な地域に住んでいる方にとっては、長期処方の恩恵は大きいことを忘れてはなりません。
 私たちは、解決策のキーワードは精神科医療に「心のつながり」を築く時間を保証することであると考えています。本来、精神科医は、治療薬とともに「心のつながり」も処方するものであり、処方された薬には「主治医の分身」としての意味があります。いいかえれば、処方とは、それ自体が精神療法的なプロセスなのです。
 過量服薬を繰り返す患者のなかには、様々な傷つき体験を繰り返す中で、人間不信となっている者も多く、丁寧に話を聞かなければ、「心のつながり」は築けない状況に陥っています。これは、日に何十人もの患者を、慌ただしい短い診察でさばかねばならない精神科医―そうしなければ経営的にも苦しいのが実情です―には、きわめて困難な作業となります。
 わが国の自殺対策は、「総合対策」の名の下に、借金、失業、過重労働といった社会的な対策に力が注がれてきました。もちろん、これらはとても大切ですが、結果的に、「精神科医療の質の向上」という課題がおざなりにされてはなりません。
 精神科医療に患者さんとの「心のつながり」を築く時間を保証すること―それがこれからの自殺対策に必要と考えます 。

こころを救う:向精神薬の過剰処方防止を要望 遺族団体、厚労省に

こころを救う:向精神薬の過剰処方防止を要望 遺族団体、厚労省に
http://mainichi.jp/select/wadai/kokoro/archive/news/2010/07/20100729ddm012040105000c.html魚拓

 家族を自殺で亡くした遺族でつくる全国自死遺族連絡会(田中幸子代表)は28日、厚生労働省を訪れ、医療機関による向精神薬の過剰処方を防ぐよう求める文書を提出した。

 田中代表は遺族1016人に調査し、約7割が精神科に通院中に自殺していた結果に触れ「精神科の早期受診を呼びかけて受診率を高めるだけではだめで、投薬治療に偏っている今の治療内容を見直してほしい」などと求めた。

 文書を受け取った精神・障害保健課の荒川亮介・心の健康づくり対策官は「過剰処方については問題意識を持ち、具体的な改善策を検討している」と話した。

 この問題をめぐっては、厚労省が6月、向精神薬の過剰処方に注意を促す通知を日本医師会などの関係団体や自治体に出すとともに、省内の「自殺・うつ病等対策プロジェクトチーム」で過量服薬対策を進めている。【百武信幸】

こころを救う:薬物依存に占める割合、向精神薬「10年で2倍」

こころを救う:薬物依存に占める割合、向精神薬「10年で2倍」
http://mainichi.jp/select/wadai/kokoro/archive/news/2010/07/20100728ddm041040074000c.html魚拓

 ◇「自殺リスク周知を」

 薬物依存症患者の中で医師の処方する向精神薬によって依存症になった人の割合が、ここ10年余りで2倍になっていることが、国立精神・神経医療研究センター(東京都小平市)の調べで分かった。依存症患者は自殺リスクが高いとされる。全国でも数少ない薬物依存症の専門治療施設、埼玉県立精神医療センター(同県伊奈町)で現状を取材した。【江刺正嘉】

 医師「お変わりありませんか」

 患者「高校生の長男が進学か就職かで悩み、私によく当たるんです」

 7月中旬、外来を受診した女性(41)と成瀬暢也(のぶや)副病院長(50)の診察室でのやり取りを、双方の了解を得て取材した。

 女性は向精神薬の依存症と診断され、08年7月から5カ月間、センターの依存症病棟に入院。専門治療を受けて少しずつ回復し、今は3週間に1度の通院を続ける。

 「以前なら悩みがあると薬を飲んで紛らわしていたのに、今は人に相談しながら問題に向き合えるようになった。よく頑張っているね」。成瀬医師がほめると、女性は笑顔でうなずいた。

 女性は夫の暴力や浮気がきっかけで眠れなくなり、27歳のころ精神科病院に通い始めた。睡眠薬を処方されたが症状は改善せず、大学病院に転院。「眠れないのでもっと薬を出して」と求めると、副作用が強い睡眠薬など10種類が出されるようになった。

 女性がさらに薬を要求したため、病院は「手に負えない」と別の精神科病院を紹介。転院先の医師は女性の求めに応じ、一日分が約40錠にまで増えていったという。

 女性は薬が増えるにつれて薬が効きにくくなり、すぐに現実のつらさと直面して「死にたい」と思うようになり、処方された薬を一気に飲む自殺未遂を繰り返した。3カ所目の病院でも「薬のコントロールが不能」と判断され、センターを紹介された。

 成瀬医師は「患者はもちろん、医師でも依存症について十分な知識を持たない人が多いのではないか。過量服薬による自殺や自殺未遂を防ぐためには、依存症の危険性をもっと周知する必要がある」と指摘する。

 ◇飲み続けると、効く時間短く

 国立精神・神経医療研究センターは精神科病床がある全国の全医療施設を対象に、87年からほぼ隔年で9~10月の期間にアルコールを除く薬物依存症で入院か通院をした患者について、どの薬物が原因か調査を実施している。シンナーなどの有機溶剤は91年の40・7%をピークに減少。一方、向精神薬(睡眠薬と抗不安薬)は96年に5・6%と最低だったが、じわじわ上昇し08年は13・0%で有機溶剤とほぼ並んだ。最も多い覚せい剤は同年、全体の半分を占めた。

 薬物依存症の専門家によると、向精神薬にはつらさや不安、不眠を軽減する効果があるが依存性のあるものもある。飲み続けると薬が効きにくくなることもあり、気分が安定する時間が短くなる。薬が切れた状態で現実に向き合うのが怖くなり、薬を手放せなくなる。そして次第に精神的に追いつめられ「死ぬしかない」「死んでもいい」と自殺願望が高まる場合があるという。

こころを救う:向精神薬で自殺未遂、診療所は... 人、設備足りず拒否も

こころを救う:向精神薬で自殺未遂、診療所は... 人、設備足りず拒否も
http://mainichi.jp/select/wadai/kokoro/archive/news/2010/07/20100724ddm041040102000c.html魚拓

 医療機関で処方された向精神薬を飲んで自殺を図る人が増えている問題で、過量服薬の恐れがある患者への対応は、診療所ごとに大きく異なる。診察を断る診療所がある一方、受け入れても有効な手立てを打ち出せずにいるところは少なくない。患者をどう支えるか。両方の診療所を訪ねた。【堀智行、奥山智己】
 ◇しわ寄せが他の患者に 採算ギリギリまで診察

 「自殺未遂などの問題行動には対応できません」。静岡県の精神科診療所の院長がホームページにこう掲げ開業したのは2年前だ。

 精神科医歴20年。勤務医時代、昼夜問わず患者が担ぎ込まれる救急の仕事はきつかったが、命を預かるやりがいも感じた。だが自殺を図る患者を救っても感謝されず、逆に助けたことを責められた経験もある。「トラブルメーカー。自ら命を絶とうとした人を他の患者と同じように助ける気にはならない」

 今の診療所は看護師もいない。過量服薬する患者を受け入れれば時間も手間もかかる。そのしわ寄せは他の患者へ向かう。「未遂者を誰が責任を持って診るのかという仕組みがない。行政が作るべきだ。私は他の患者をあふれさせてまで、診る気はない」と言う。

   ◇  ◇

 「せんせえ、お薬飲んじゃった」。6月下旬、川崎市の精神科診療所に30代の女性患者から電話がかかった。同僚や夫との関係に悩むたび、過量服薬を繰り返してきた。今回も向精神薬50錠を飲んだという。通院を始めて2年、手を尽くしてきたが過量服薬は止まらない。院長(49)はすぐ救急病院の受診を勧めた。

 都内の精神科病院の勤務医を経て3年前に開業した。1日の患者は約60人。診察時間は長くて40分。患者の訴えを聴き、経営も成り立つぎりぎりのラインだ。自殺未遂後には1時間かけ、話に耳を傾けることもある。再発を防ぐには薬の管理など周囲の協力が欠かせないが、単身者の多い都会では支援者を探すのも容易ではない。薬を出さなければ転院してしまうかもしれない。「『もう診られません』と言うのは簡単だが、断れば他の医師に押し付けることになる」。ジレンマが募る。

 人も設備も足りない診療所で患者をどう支えるか、試行錯誤が続く。7月上旬、30代の女性が再び過量服薬したと連絡があった。
こころを救う:向精神薬で自殺未遂、診療所は... 松本俊彦氏の話
http://mainichi.jp/select/wadai/kokoro/archive/news/2010/07/20100724ddm041040105000c.html 魚拓

 ◇医師支える体制を--国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦自殺予防総合対策副センター長の話

 過量服薬を繰り返す患者に熱心にかかわっても経営的にはマイナスだ。治療をサポートする臨床心理士などを雇えば、人件費捻出(ねんしゅつ)のため、さらに短い時間で多数の患者をさばかなければならなくなる。熱心な精神科医には燃え尽きる人も少なくない。自殺リスクの高い患者と精力的に向き合う医師を支える体制を整える必要がある。

こころを救う:「人数こなさないと経営できぬ」 自殺図る患者、診きれず

こころを救う:「人数こなさないと経営できぬ」 自殺図る患者、診きれず
http://mainichi.jp/select/wadai/kokoro/archive/news/2010/07/20100713ddm041040160000c.html魚拓

 医療機関で処方された向精神薬を飲んで自殺を図る人が増えている問題で、大量服薬した患者がたびたび救急搬送される東京都内の精神科診療所の院長が取材に応じた。60代の院長は「患者をじっくり診察したいが、人数をこなさないと経営が成り立たない」と話した。そのうえで「医師も患者も現状の治療に満足できていない」と述べ、診療報酬をめぐる国の医療政策を批判した。主な一問一答は以下の通り。【江刺正嘉、堀智行】

 --過量服薬で自殺を図る患者に兆候はありますか。

 院長 分かっていたら手を打つ。やられた後に、しまったということはある。

 --処方する薬の量は多いですか。

 院長 過量服薬することが予想できる人には出さない。そういう患者は(状態をよく見るために)本当は頻繁に診察することが必要だ。週に1回とか。

 --なぜできないのですか。

 院長 (通院患者から症状を聞き、適切なアドバイスをする)精神科の診療報酬が4月から患者1人当たり200円引き下げられた。こんなに安くなると、患者の数をこなさなければ診療所の経営が成り立たない。数をこなすと、1人に対する診察時間が短くなってしまう。「この人にはもう少し話を聞きたい」と思っても、次に患者が待っている状態だ。

 --患者によって違いがある、と。

 院長 治りやすい人も治りにくい人もいる。(今の診療報酬体系では)それを同じように扱わないといけない。厚生労働省はここをまったく無視し、医療費を減らすことばかり考えている。いちばんのしわ寄せは患者に来るんです。

 --自殺を図る患者に本来、どう接すればいいのですか。

 院長 薬の処方以外に、なぜ死にたいのか患者が抱えている問題を一緒に考えながら解決していくことです。それが現状ではなかなか難しい。困難な患者を診る医師への負担ばかりが増えてしまう。
 ◇過量服薬の一因に--国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦・自殺予防総合対策副センター長の話

 今の診療報酬体系では精神科医が1人の患者に時間をかけて話を聞きにくい。短い診察時間だと患者は医師を信頼せず、薬をもらうだけの関係になりやすいため、過量服薬につながる可能性が高まる。じっくり患者の話に耳を傾けることで患者とのつながりを作れる体制を整える必要がある。

こころを救う:薬だけに頼らぬ英国 自殺予防、チーム医療で成果

こころを救う:薬だけに頼らぬ英国 自殺予防、チーム医療で成果
http://mainichi.jp/select/wadai/kokoro/archive/news/2010/07/20100702ddm012040002000c.html魚拓

 医療機関から処方された向精神薬で自殺を図る人が増えている問題で、海外では精神保健医療改革が有効な自殺対策として注目されている。英国では薬だけに頼らない精神医療を推進し、自殺予防に大きな効果をあげた。専門家は「日本は薬に頼りすぎている。薬を適度に使いながら患者を総合的に支えるチーム医療へ転換すべきだ」と指摘する。【堀智行】

 英国の精神保健医療制度などに詳しい東京都精神医学総合研究所の西田淳志研究員によると、英国が取り組んだ自殺対策の一つは認知行動療法の普及。ものの見方(認知)のゆがみを修正し、不快な感情が起きないようにするという心理療法で、うつ病治療に効果があるとされる。

 英国では、同療法を精神科治療の中心に据え、重症度に応じたケアの仕組みを導入。薬物療法は、極めて症状が重い場合のみ認知行動療法と併用できるようにした。軽症者は医師が診ずに国が開設したインターネットサイトで同療法を受けるため、精神科医がかかわるのは中等度以上の患者からになっている。

 もう一つは地域ケアの充実だ。精神科での治療を中断した直後に自殺している人が多いことに着目し、かかわりが切れないように医師のほか、心理や福祉などの専門家がチームを組み、地域に出て患者をサポートする制度を取り入れた。

 また市販の睡眠薬や鎮痛薬を大量に飲んで自殺を図る若者が相次いだことを受け、1箱当たりの薬の錠数を減らすなど入手の規制にも取り組んだ。処方薬についても、国の研究機関で医療機関向けのガイドラインを作り、単剤少量での治療を順守させた。

 こうした取り組みにより、ブレア政権下の97~07年の10年間で、人口10万人あたりの自殺者数(自殺率)は9・2人(95~97年の平均値)から7・8人(05~07年の平均値)となり、15・2%減少させた。一方、日本の自殺率は07年が24・4人で先進国ではロシアに次いで2番目に高い。

 西田研究員は「日本では医師が薬物療法だけで短時間で診察することに患者は不満を持っている」と指摘。「チーム医療の推進が薬だけに頼らない医療の実現につながる。自殺予防にも効果があるはずだ」と話す。