心の家路

断酒は物事の始まりにすぎない
Only a beginningl

ホーム|アルコール依存症という病気|自助グループのススメ|このサイトの紹介|体験記|個人的見解|ブログ
日々雑記&NEWS|掲示板|道具90|書庫・資料置き場|リンク集|ご意見・お問い合わせ

ホーム > 自助グループのススメ > 断酒は物事の始まりにすぎない

2004/05/11 

<酒の多い世の中を泳ぎ渡っていくために>

<断酒は物事の始まりにすぎない>

身体に症状が出ていなくて、自分で酒を切ることができ、酒を切っても禁断症状(離脱症状)で神経過敏になったりしない人は、通院しながら酒を切ることができるでしょう。
でも、そうでない人は入院を経験することになります。

たいていの病気の場合には、入院期間が終わって退院を迎えるということは、物事が良いほうに向かっていることを意味します。大変な時期は過ぎ、あとはだんだんに生活に慣れていけばいい状態で、未来に希望が持てる状態です。
しかし、アルコール依存症の場合には、痛めつけられた心とからだを休め、また元気に飲めるような身体を取り戻したというほどの意味しかありません。

アルコールから隔離された環境から、酒であふれている世間に戻ってくるわけですから、「酒を止める」という意味からすれば、退院こそが真の物事の始まりです。気楽だった日々は過ぎ、これから大変な時期がやってくるのが「退院」です。

アルコール治療のプログラムを持つ病院では、アルコール依存症についての説明を受け、断酒の必要性を説き、過去を振り返った体験談を書いたり発表したりし、そして退院にあたっては、「通院を続けること。抗酒剤を飲むこと。自助グループに通うこと」(いわゆる断酒の三本柱)という指示を受けるでしょう。

一生続くアルコール依存症の治療のなかで、入院は大切な意味を持っています。離脱の時期をケアし、依存症について正しい知識を得て、ともかくもアルコールから隔離されて酒を切ることができます。その意味では、まさに物事の始まりです。

しかし悲しいかな知識は知識でしかありません。よほど知性が勝った人を別にすれば、この知識を生活に当てはめて、実践していくことは難しいでしょう。
通院を続けていても、待合室で誰とも話をせず、医者から薬をもらって帰ってくるだけで、他の同病の患者と接点を持たないのでは、知識は知識のままです。なるほどその人は、アルコール依存症という事実に目をつぶらずに、治療を続けているのでしょう。それは確かな前進です。しかし、依存症という事実を真正面に見据えようとせずに、すこし視線をずらして、依存症である事実を、なるべくなら心の片隅に追いやって、忘れていたいと願っているのではないでしょうか。自力で酒を止められると強がっていたころに比べれば進歩しているのは確かですが、それが「医者の助けを借りれば」という前提条件が加わっただけで、自分の力を信じていることには変わりないと言えます。
アルコール依存症は、24時間年中無休の病気です。忘れて良い病気でもなければ、忘れたいと思って良い病気でもありません。機会さえあれば、その人は理由を付けて通院すら止めてしまうでしょう。そして何の助力もないカプセルの中で、アルコールとの危険なゲームをまた始めるのでしょう。

必要なことはカプセルから飛び出して、より多くの助力を求めることです。
それには、同病の人間のコミュニティに参加することです。病院で行われている「患者会」も立派なコミュニティです。そして、病院という枠にとらわれずに、社会の中に存在しているのが「自助グループ」というコミュニティです。

「自助グループに参加したからといって、誰もが酒が止まるわけじゃない」という指摘もあります。なるほどそれは事実です。でも、だからこそこのコミュニティに意味が生まれるのです。成功と失敗の両方の経験を分かち合うことで、「知識」が「実感」に変わってくれます。飲まないで生きていくのに必要なのは、知識ではなく「実感」のほうなのです。

この「実感」は、現在の日本のアルコール医療が患者に提供できないものであり、提供できたとしても長い間保ち続けることができないものです。筆者個人の意見として(といっても、このサイト全体が個人の意見なのですが)、アルコール医療が「実感」を植えつけられるように進歩すべきだとは思いません。医療は医療、自助グループは自助グループとして、役割の分担をしていけば良いことだと思います。将来両方の役割を持った「ケア・ハウス」のようなものが充実するかもしれませんが、いまはそうなっていません。

入院による断酒は、とても重要なプロセスですが、一生続くアルコール依存症のケアからみれば、それはまさに始まりでしかありません。病院も、抗酒剤も、自助グループも、所詮はその人が生きていくための道具であり、人生という道を歩くための「杖」でしかありません。場面に応じて、必要な杖を選び取っていただきたいものです。「杖」なしで歩くよりも、成功率はずっと高いのですから。


私はAAにやってきたときに、「お前はインテリだな。インテリは回復しないよ。頭で理解しようとするからだな」と言われました。自分はインテリではないと反発したものです。しかし、「頭で考えるんじゃなく、肌で感じるってこと」の大切さが分かるようになってきました。大切なのは「実感」するということなのだと思います。


<経験の分かち合い>