心の家路

経験の分かち合い
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2004/05/11 

<断酒は物事の始まりにすぎない>

<経験の分かち合い>

アルコール依存症に限らず悩みを持つ人は、「自分の悩みは誰にも理解してもらえない」という孤独感を味わうようです。アルコール依存症者は、とりわけ周囲の無理解に苦しむようです。
普通の人にとっては、「酒をほどほどにたしなむ」ことや「酒をまったく飲まないでいる」ことは簡単なのです。だから「酒が止められない」という悩みを相談しても、「そんなに止めたければ止めれば良いじゃないか」と簡単にあしらわれてしまいます。周りの人と違って、自分だけが無能力で、みじめな人生を歩いているように感じるものです。周りの人みんなが自分を非難し、軽蔑しているかのように感じます。
「酒さえなかったならば、もっと違った人生があっただろうに」と思うとたまらなく切ないものです。
こうした、孤独感・劣等感は、悩みを抱えながら孤立した人なら誰でも味わうものでしょう。

自助グループは、基本的に同じ悩みを抱えた人の集まりですから、そこには自分と同じ種類の人が集まっています。自分がどうであるかを説明する必要もなく、お互いに理解ができる場所です。
また、「自分だけがみじめな思いをしている」という劣等感も消えていきます。それは病気のせいであり、同じ病気で悩んでいる人はたくさんいることが分かるからです。

そこでは「酒が止められない」という悩みを話しても、説教されたり非難されたりはせず、共感されます。飲んで起こしてしまったトラブルや、家族に暴言を吐いたり、暴力を振るってしまったという告白も、「よくそこまで正直な話ができるものだ」と賞賛されもするでしょう。自助グループは反省の場所ではありません。回復のための場所なのです。
ありのままの自分の姿をさらけ出し、正直にものが言えるようになると、現実の自分の姿を受け入れることができるようになります。
そうやって、「誰にも理解されない」という諦めや、「自分はまだそんなにひどくは無い」という拒絶が取れると、アルコールに対する敗北を受け入れ、助けの必要を認め、病気の状態から良くなりたいという願望を持つことができるようになるのです。

ではなぜ、人々は酒が止まった後も、自助グループに残るのでしょうか? 後から来る人のために、良い手本を示すことでしょうか? それもあるかもしれません。酒にあふれる世の中を生きていくのに、自助グループは大切な救命ボートだからでしょうか? それもあるかもしれません。
でも本当のところは、その人の「生き辛さ」にあるのだと思います。
そもそもなぜその人は「アルコールにハマる(倒錯する)」ことになったのでしょうか? 何かの辛さから逃げ出すためだったのではないでしょうか。コントロールを失ったのは病気になったせいだとしても、アルコールを飲むようになったのは、単なる社交的な楽しみを求めてではなかったのではないでしょうか。「生きるのが辛かった」から、アルコールで楽になろうとしたのではなかったでしょうか。

こうした「生き辛さ」は、酒を止めたからといって、一緒に無くなってくれるわけではありません。今度はしらふでその問題と向き合っていかなくてはいけないのです。それに、酒を止めたからといって飲みながら起こしたトラブルや、暴言・暴力が許されるというわけでもありません。

こうして、酒を止めたアルコール依存症者には、この病気でない人にも理解されないし、まだ飲んでいる依存症者にも理解されない、新しい孤独がやってくるのです。
そして、この問題についても、自助グループが「アルコールの問題そのものと同じように分かち合い、助け合う」ことができる分野なのです。

<気づき>