心の家路

違い探し
Looking for difference

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2006/04/26 

<気づき>

<違い探し>

「間違い探し」というゲームがあります。よく雑誌の巻末に載っていますね。
ふたつのほとんど同じような絵を並べて、違っている場所を探し当てたり、違っている数を数えたりするゲームです。絵の全体はとてもよく似ているのに、「間違い探し」ゲームをやっている人は、細かな違いを一生懸命探しています。

自助グループにやってきた人も、この「違い探し」に懸命になることがあります。
自助グループは様々な人の集まりです。病気の進行が始まったばかりの人もいれば、ずっと進んでしまった人もいます。病気であると点では、とてもよく似ているのですが、人と人との違いを探し始めたらきりがありません。

例えば「私はそんなにひどくない」という違い探しの例をあげてみましょう。

「俺は精神病院に何十回も入院した」
「私はまだ一回しか入院していない」「私はまだ入院したことがない」
 
「俺は刑務所に入ったこともある」
「私は警察のお世話になったことすらない」
 
「酒を飲むためだったら、飲酒運転なんてへっちゃらだ」
「私は飲んだら乗らない主義です」
 
「女房も子供も逃げていってしまった」
「私にはまだ家族がある」「まだ結婚すらしていない」
 
「酒が切れると手足が震え、幻聴が聞こえてくる」
「私はそんな禁断症状なんて一回も経験していない」
 
「借金がかさんで自己破産した」
「私は生活するお金に困ったりしてない」
 
「医者にすら見捨てられ、入院もさせてもらえなかった」
「私の先生は応援してくれている」「まだ医者にすら行っていない」
 
「二階の窓から小便をしたことがある」
「そんなのは人間のすることじゃないと思う」
 
「大小便垂れ流しだった」
「汚い話ばっかりしないで欲しい」
 
「朝五時に自動販売機があくのを、前で立って待っていたことがある」
「私はきちんと酒屋さんで買っています」 

確かに「今」は違いがあるかもしれません。でも病気がこのまま進行すれば、いずれ入院を経験するでしょう。運が悪ければ(よければ)警察のご厄介になるかもしれません。酒への渇望現象が激しくなれば、飲酒運転や酒屋を叩き起こすぐらい平気でやるようになるかもしれません。家族や仕事よりお酒のほうが大事になれば、いずれ家族にも仕事にも見放されるでしょう。
」は違っても、「いつか」は同じになってしまうかもしれません。
違い探しに懸命になるよりも、同じところを探したほうが賢明です。

違いを探したくなるのは 「自分はこの人たちと同じ病気じゃない」・「この人たちほどひどくはない」 という「否認」のせいでしょう。アルコール依存症は否認の病気です。そしてそれは、自助グループに参加するときにも発揮されるのです。

否認というのは心を防衛するための自然な反応です。否認そのものは不健康ではありません。しかし、アルコール依存症はとりわけ否認の強い病気であり、否認は回復の邪魔になってしまうのです。自助グループに対して反発を感じるのも同じ心の仕組です。反発を感じることこそ、まさにあなたが取り組むべきことなのではないでしょうか?

「違い探し」はまた別の面もあります。

病気が進行すればするほど、酒を止めるのが難しくなっていきます。止めるのに失敗を続けた結果、もう自分は酒を止められないのではないかと絶望してしまう人がいます。

「自分はもうあなたたちほど若くはないし、家族もなくしたし、生活の糧もないし、住むところすらない。あなたたちだったら、幸せになれるかも知れないが、自分にはもう無理だ」

この人は、確かに酒に対する敗北を認めてはいるのですが、敗北の向こうにある希望の光が見えていないのです。敗北の次に必要なのは、助力を求めること、そして良くなりたいと願うこと、それに何よりも「そのためなら何でもする」というやる気です。

アルコールを止めるのに「早すぎる」ということはありません。「遅すぎる」ということもありません。
同様に、自助グループに参加するのにも「早すぎる」こともなければ「遅すぎる」こともないのです。

<自助グループとはそれほど素晴らしい場所なの>