心の家路
思い通りにならない

アル中の抱える問題は、たいてい自家製だという話

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2004/05/11 

僕の仕事はコンピュータープログラマーです。 ソフトを設計し、書くのが僕の仕事です。

パソコンのソフトと言うと、マイクロソフトという会社の名前を聞いたことが、皆さんあるんじゃないかと思います。 その会社の会長をしている人が、ビル・ゲイツ という名前の、世界一の大富豪です。

僕は、まだ学生だった頃(つまり15年か20年ちかく前ですね)、ビル・ゲイツが来日して、池袋のサンシャイン60で講演会を開いたときに、それを聞きに行きました。 今でこそ彼は大富豪ですが、当時は 「ちょっと成功したソフト会社の社長」 にすぎませんでした。
今のウィンドウズとかオフィスとか、そういう魅力的な商品はまだありませんでした。 彼は、ベーシックとかMS-DOSとかを、日本のパソコンメーカーに買ってもらいに(ようするに営業に)やってきたのです。 そのときに、マイクロソフトの極東代理店だったアスキーという会社が、彼に講演をさせるということを考えついたらしいのです。

当日集まった人の大半は 「招待状」 をもらって来ているメーカーの人のようでした。 5,000円というお金を出して入場券を買う僕を、受付のおねさんは不思議な目で見ていました。

ホールで煙草を吸いながら、始まるのを待っていると、階段を上がってビル・ゲイツがやってきました。 彼のファンみたいな人が数人、彼に握手を求め、サインをもらっていました。 当時の彼は有名人じゃなかったですから、それはほんとうに数人でした。 僕も、彼のサインを貰うのは 「悪くないアイデアだな」 とは思ったのですが、内心の反発で彼には近寄れませんでした。

そう、僕は 「僕だって、そのうちこれぐらい成功してやる」 と内心思っていたのです。 「成功したい、成功しなくちゃならない」。 大学を中退せねばならないことが、ほぼ確定的になっていた僕にとって、ソフトウェアの世界で成功することが、そうした人生の失点をカバーできる、唯一の方法のように思えていたのです。 学業が続けられなくなった理由には、無気力やら、人間関係やら、いろんな理由がありましたが、学生生活の最後のころは、生活が完全にアルコールに支配されていたのも、大きな原因です。

ビル・ゲイツは、熱っぽく未来を語ってくれました。 彼が構想しているウィンドウズという環境が、「素晴らしいコンピューティングを約束してくれる」 だろうと。 21世紀になるころには、(彼の会社の大株主である)彼のおばあちゃんも、毎日パソコンを使う時代になると。

「オッケー、わかったぜ、ビル・ゲイツ。 でも、きっと僕だってその一角に食い込んでやる。 ひょっとしてチャンスさえあれば、あんたより成功してやるぞ」

アル中の自我はどこまでも膨らむと言いますが、世界一の大富豪になる人物に向かって 「あんたより成功してやる」 と妄想を膨らませたアル中の妄想も大した物です。

講演の終了後にも、何人かが彼に群がってサインを頼んでいましたが、僕はその輪には入れませんでした。 今にして思うと、「サインぐらいもらっておけば自慢できたのになぁ」 と後悔してますね。 「僕は(有名になる前の)ビル・ゲイツに会ったことがあるんだぜ」なんて、自慢できるじゃないですか。

 

それから数年は、僕の生活は壊れていくばっかりでした。 大学を中退して、アルバイト先の会社に就職したのですが、無断欠勤が多くて、居づらくなりました。 一晩中酒を飲みとおし、朝になってもコップから手が離せないことが増えました。
「もう一度、一からやりなおせ」 という上司の言葉に耳を塞いで退職し、あっという間に食い詰めました。 ビデオデッキを先輩に買ってもらったり、後輩に無理に売りつけたり。 借りた金を返さないので、だんだん友達も少なくなりました。 国民健康保険も払ってなかったので、保険証もなく、本を売りに行った古本屋で門前払いをくらったこともありました。 質屋に行ったこともありましたね。

その後の数年間は、フリーランスのプログラマーとして、あっちこっちの会社の仕事をさせてもらいました。 担当の人には、いつも迷惑を掛けどおしだったですね。 なんてたって、こっちは何時も酒を飲みっぱなしで、納期やら締め切りの直前になって、適当にやっつけ仕事をして納めるだけなんですから。 しまいには、それも出来なくなって、納期を過ぎても飲んでばかりで・・。
電話線を引っこ抜き、ドアにカギを閉め、外出するのは、金をおろしに行くのと酒を買いに行くのだけ。 万年床のなかで、意識を失うまで酒を飲み、目が覚めると、目の前のコップに残っている前夜の飲み残しの酒を飲むのが一日の始まりです。

過去には受験勉強に成功した。今はダメな自分だけど、きっと未来には成功が待っている。 「栄光の過去と、バラ色の未来の間で、今だけはだらしない自分を許して欲しい」。   これは、後にAAの仲間から聞いた言葉ですが、その当時の自分の気持ちをよく表しているように思います。

最後には、「成功」 なんか必要ない。 「普通の生活」 がしたい、と思うようになっていました。 朝に起きて、朝ご飯を食べ、仕事に行き、夕に帰って風呂に入り、ご飯を食べて(できれば晩酌ぐらいは飲んで)、洗濯や掃除も時々やって・・・、世の中の沢山の人たちがやっている 「普通の暮らし」で いいから、僕に与えて欲しい、そう願いました。 が、もはや自分の力で、それを取り戻すことはできないほど、病気は進行していました。

なんとか体からアルコールを抜き、身の回りを清潔にして、明日から営業に出よう。 そう思うのですが、手にしているコップの酒を捨てられません。 「酒を止めるのは明日にしよう」、毎日自分に同じ言い訳を繰り返していました。
意識を失うまで飲んでいく最中に、「このまま明日目が覚めなければいいのになぁ 」 とか、「東京が火の海にならないかなぁ」 とぼんやり考えていた日々でした。

自殺未遂が原因で、郷里に帰らざるを得なくなるのですが、 「都落ち」 と呼ばれるのがイヤで、東京のアパートは借りたままにしておきました。 住んでもいないアパートの家賃を2年半ほど払っていたでしょうか。 週末には、ときどきそこへ遊びにいって、友達と飲んだりしていました。 最初のうちは、土日だけできちんと郷里に戻っていたのですが、そのうちにそのアパートで連続飲酒して帰らないことが増えました。 しかたなしに、母親が上京してきて、ドアをドンドンたたいて、僕を引っ張って帰ることが増えました。

田舎暮らしには、車が必要です。 車を運転できないと仕事にもありつきにくいですし、日頃の買い物にも困ります。 運転免許を取りに教習所に通いました。 でも、毎回酒臭い息で講習に来る僕に教官は 「お前みたいなやつだけには、免許をやりたくない」 と、キッパリと言い放ってくれました。 でも、結局は免許は取れちゃうんですけどね。

3回の精神病院への入院を経ても、ちっとも状況は改善しません。 周りは僕を 「困ったやつだ」 と困惑していますし、僕は僕で 「どうして僕の人生は、僕の思い通りにならないのだろう」 と嘆いているのです。

「僕が成功できないのは、僕が悪いんじゃない。家族や周囲が悪いんだ。世の中が悪いんだ」 と、世界が自分を中心に回ってくれないことに腹を立て、理想の成功した自分と、現実のなさけない自分のギャップを埋めるために、そこにアルコールを流し込んでいるような日々が続きました。 「もっと裕福な家に生まれていたら」 とか 「もっと東京近郊に生まれていたら」 とか、そんなありもしない不運を嘆いていました。

AAにつながり、なんとか酒が止まったのに、ミーティングから離れてしまい、ちょっとしたことでまた飲みだして、精神病院からAAに帰ってくる、ていうところは、典型的なAAメンバー なんじゃないかな、と思います(え?違う?)。

僕の考えでは 「酒さえ止めればなんとかなるはず」 なのに、酒を止めても依然として世界は僕を中心には回ってくれません。 常にイライラを抱え、感情は爆発寸前です。 でも、不思議なことにミーティングから帰ってくるときには、少し心が軽くなっているのです。

ある時、ミーティング場のドアをノックして入っていくと、ドアに背を向けていたスポンサーが、突然こう言いました。

「 『平凡』 という言葉について、どう思いますか?」

ぼくは、しばらく考えた後で、「平凡とは素晴らしいことです」 と答えました。

「やっと最初の一歩をつかんだようですね」

と、スポンサーは振り返って笑顔を見せてくれました。

強張っていた僕の顔が緩み、笑顔が見え出した、と言われたのも、同じ時期でした。

 

僕は、「僕の思い通りに事が運べば、必ず成功する」 と信じていたのです。 だから、皆が僕の言うとおりに動いてくれれば良いのだと。 成功することがあれば、それは僕の手柄でした。 失敗は、誰かが僕の言うとおりにしなかったことを原因にしました。 だから、組織の中では働けず、孤独なフリーランサーとなり、自分の実力だけを頼りに生きていこうとして、当然のようにそれに失敗したのです。

僕には 徹底的な敗北が必要 でした。 完膚なきまでに敗北し 「世界が自分を中心に回るはずがない」 ことを認める必要があったのです。

その敗北は、連続飲酒の中にもなく、病院の中にもありませんでした。 ただ、飲まないでAAのミーティングに出続け、仲間の話を聞き、自分の話をする中で、次第に自分が 「特別な人間ではない」 ことを知ることができたのです。 失敗の原因は、決して周囲の存在の中にあるのではなく、自己中心的な僕の考えにあること。 基本的に僕の問題は自家製であること。 必要な時に、人と協調できず、謙虚になれず、思いやりを発揮できなかった(というか、そんなもの持っていなかった)。

今僕は、小さな10人ほどの会社で中間管理職をしています。 大学時代の友人たちは、順調に卒業して、大手の電機メーカーでそれなりの役職についています。 僕が、彼らのような収入を得ることは二度とないでしょう。

人生には一度しかないチャンスがあって、それを逃したからには、諦めるのが最善であることも知りました。 ひょっとしたら、僕は今ごろ、アメリカのボストンで働いていたのかもしれない。 でも、飲みながらそれを逸してしまったからには、「もし〜だったら」 などと考えるのは無駄と言うものです。
ビル・ゲイツを尊敬できるかはどうかは別として、あれだけ成功するには 「よほど沢山の人と協調関係を築くだけの能力がある」 のでしょう。

少なくとも、幻聴の中で夢見た 「普通の生活」 は実現しています。 一日三回ご飯を食べて、洗濯された服と、掃除された部屋があり、布団は湿っていません。 まあ、晩酌が抜けている のは、我慢するとしましょう。

じゃあ、少しは自分の思い通りにならないことに慣れたのか? と聞かれると、まったく自信はないですね。 だいたい、何年かミーティングに出続けたぐらいで、性格が変わるわけもありません。

AAの委員会とかに出てみたことがありますか? 普段 「謙虚」 とか 「誠実」 とか 「相手の気持ちになって」 とか 「心の平和」 なんていうテーマでミーティングしている人たちが、委員会になると感情剥き出しで叫んでいるのを・・・。 僕も、例外ではありません。

「僕が正しい。間違っているのはあなただ!」

どうやら、ミーティングは一生欠かせそうにない、ってとこですかね。

(この項終わり)