心の家路
提出し忘れたレポート

A report forgotten

ホーム|アルコール依存症という病気|自助グループのススメ|このサイトの紹介|体験記|個人的見解|ブログ
日々雑記&NEWS|掲示板|道具90|書庫・資料置き場|リンク集|ご意見・お問い合わせ

ホーム > 個人の体験記 > 提出し忘れたレポート

2005-06-21 

下記の文章の元になったファイルの最終変更日付を見ると「2003年」の12月31日になっています。僕の評議員の任期は2003年〜2004年の2年間でしたから、まだ半分過ぎたばかりの時点でもう「失望ばかりが残った2年間」などという文章を書いている、しかも大晦日に書いている自分が恐ろしいです(笑)。

評議員というのは「ゼネラル・サービス」というものとAAメンバーとの間を結ぶパイプ役であります。もちろんパイプ役はたくさんあって、そのひとつに過ぎません。その中で評議員は「Delegates(デレゲーツ=代理人)」という英語が示すように、AAメンバーの代理人として「ゼネラル・サービス」にもの申す立場にあるわけです。

僕は(一応の)推薦と選挙を経てデレゲーツなるものに選ばれ、担当の分野は財務(つまりお金のこと)、担当の地区は地元長野と隣の新潟でありました。担当地区のグループで何が起きているのか知るために、ミーティングを訪問するように努めていましたが、長野県内でもまだ行ったことのない会場もありますし、新潟にいたってはグループ訪問は一回もせず、地区委員会やイベントに数回顔を出しただけの、ダメダメ評議員でありました。

関東甲信越の場合、委員会などはほとんど東京で開かれるため、僕は長距離バスで移動しました。サービス活動なるものにたずさわっている時間よりも、移動時間のほうが長かったかもしれません。妻には「なぜそこまでしなくてはいけないのか」と怒られることもしばしばでありました。アメリカではAAメンバーの離婚率は一般の人より低い(AAメンバー同士は高いけど)のに、評議員に選ばれると離婚率が上がるというジョークがあるそうですが、一概に冗談と決めつけた訳にもいかないと思うのであります。

評議員には「活動費」なるものが支払われます。もちろん全額ではなく一部でありますが、多くのパイプ役の人々が「活動」をすべて手弁当で行っているのに比べれば恵まれていると言えるでしょう。僕は移動距離が長かったぶん、取り分も多かったのに、その多い分だけの活動はできませんでした。そういう意味でもダメダメ評議員でありました。
ただ、公正に言えば会社員として安定した収入があったがために、続けることが出来た役割でもありました。
評議員という肩書きで偉そうなことを言ったりやったりしてしまう。自分も例外ではなかったと思います。その背景にはやはり献身という自負があるのでしょう。でもその自負も取り除きなさいとプログラムは言います。難しい限りです。

1年目の評議員には9月までに「カントリー・レポート」なるものを提出することが義務づけられています。「あなたの地域では何が起きているか」というテーマで文章を書き、翌年2月の全国評議会では15分の発表の時間も持たされます。
2年目の評議員にも9月までにレポートを提出することが義務づけられていますが、翌年2月には任期が切れているので、登場の権利もなく、レポートはただ当日の参加者に配られるだけであります。

2泊3日の評議会の内容は、分厚い報告書となって各グループに1部ずつ配られます。あまりに厚いし、小難しい文章が並んでいるので、これに目を通している人はおそらく少ないでしょう。これもパイプの中を通っているパケットのひとつなのに残念なことであります(と言いながら自分も読みませんが)。この報告書の最後のほうに、レポートも全員のぶんが掲載されます。

毎年毎年厚くなる一方なので、今年からスリム化することが議決され、今月届いた報告書は例年よりだいぶ薄くなっていました。僕はあまり関心もないまま、代金の支払いのために振り込み用紙だけを取り出して、本棚にしまい込もうとしたのですが、一応念のため「自分が昨年9月に提出したレポート」がちゃんと載っているか調べることにしました。

僕のは載っていませんでした。

(これはあれだろうか、スリム化の一環として削除されてしまったのだろうか。それとも掲載には不適切な内容だったとでも言うのだろうか)

たまたま空腹だった僕の心の中に渦巻いた感情は、あまり良い類ではありませんでした。

入浴と食事を済ませた後で出した結論は、なぜ自分の文章が削られたのか、事務局に質問状をメールで送ることでした。そして僕はいつもどおりOutlookExpressを起動すると、「念のため」、そうあくまで「念のため」に昨年9月から年末までのメールの送信リストから、JSOにあてたものを検索し、レポートをきちんと提出してあることを確認しようとしました。

ところがいくら探してもそんなメールはみつかりませんでした。掲載されていない理由は簡単で、レポートが未提出であったからでした。僕は締め切り9ヶ月前に原稿を書き、そして提出し忘れたのであります。恥ずかしい限りの話です。ダメっぷりがわかるというものです。

しかし、せっかく書いた文章をこのままお蔵入りさせてしまうのももったいない話であります。未提出であるということは、この文章がまだ僕の所有物であるということでありますから、どこに発表しても良いわけです。

それが、この文章がここにある理由です。主語が「私」になっているところや「だ・である」調は、違和感があるかもしれませんが、そのままにすることにしました。

希望を与える文章ではないかもしれません。シニカルと言うより独りよがりなのかもしれません。でも、経験を分かちあっていただければありがたいです。もちろんご意見をいただけるなら、すばらしいことです。メールでいただければ、少々遅くなっても返事はきっといたしますから。

 


ゼネラル・サービスに対する不信は拭い去られず

〜失望ばかりが残った2年間〜


私はどうやら、すっかりAAサービスずれしてしまったようだ。
大声を上げて「サービス・マニュアルにはこう書いてあります」なんて言っている姿は、世間一般の人間の姿とはかけ離れているのかもしれない。そんなことを思うのである。
まだ、AAに入ったばかりで、酒のにおいをぷんぷんさせている新人さんのほうが、AAずれしていないぶん「常識を使え」という例のスローガンをよく実行できるのではないかと思ってみたりするのである。

退院してたった2ヶ月でグループを立ち上げた。AAグループは何をしたらいいのか、さっぱりわからなかった。ともかくひとりでは何もできない事はわかかっていたので、ミーティング場の案内図を作り、文章をつけ、ついでに自分の電話番号も載せて、あちこちに配った。もちろんセントラル・オフィスにも、JSOにも郵送した。

当時セントラル・オフィスの所長をしていたNさんが、直接電話をかけてきてくれた。
「電話番号を載せるのは止めたほうがいいですよ。酔っ払いだとか、変な電話がいっぱいかかってきますよ。だからご自分の電話番号を載せるのはやめて、オフィスの番号を載せるようにしなさい」
私は(そんな電話くらい自分でも引き受けてやるさ)という反発しか感じなかったし、余計なお世話だと思った。けれど今にして思えばそれは、人が人に示すべき思いやりの言葉であった。私は反発は感じたけれど、結局電話番号をチラシから削除した。

数ヵ月後にNさんとお会いする機会があった。彼は「偉い人」ではなかった。私というまだ苦しめるアルコホーリクに、経験を提供してくれたのだったということが理解できた。

「セントラル・オフィスの職員は何をやってるんだ」というメンバーの疑問に答えて、彼は一日にどんな電話がどれくらいかかってきているか、何通の手紙の返事を書いているか、そしてグループから来る連絡の数と、グループに送っている封書の数を書いた文章を、皆に配ってくれた。もしオフィスが職員を募っていたとしても、私だったら応募しようと思わないぐらいの仕事の量だった。

グループのメンバー数も増えてくるようになり、オフィスへ献金もできるようになった。「どうしてオフィスに献金するのか」というメンバーの疑問に、「有給のスタッフを雇っているから」と答えた。だが、「そのスタッフは何をしているのか」と聞かれると、セントラル・オフィスについては答えることができたが、JSOについては答えられなかった。

「全国規模の何かです」

と言ってごまかしてきたけれど、その「何か」の実体は想像がつかなかった。そして、それについて深く考えてみようとも思わなかった。

サービスに参加しないことより悪いただひとつのことは、「やる」と言っておいて実際にはやらないことだと言う。私は地区委員に選ばれたが、東京での地域委員会に参加したのは2年間で3回だけだ。
そこで、評議員という人たちが委員会で発言しているのを聞いた。彼らは「偉そう」に感じられた。でも、ビッグブック翻訳改定の件で突き上げられて「困っている」ようにも感じた。
そして私は、2月に評議会というものがあり、さらに常任理事という人たちがいて、理事会がJSOを管理しているという構図を初めて知ることになった。

評議員や常任理事という人々が、どんな人で、どんな活動をしているのか、いちいち確かめてみたわけではないけれど、どうやら私と同じように「空いた時間をAAに注いでいる」にすぎないようであった。活動の内容はわからないけれど、量の点では、他のことにたずさわっているAAメンバーと極端な違いはないようだと納得した。
たぶん山ほどある実務はJSOが扱っているに違いない・・・。

地区や地域の様々な委員会に参加してくれという話は、あっちこっちで声高に叫ばれていたが、常任理事の委員会に参加してくれという話は聞いたことはなかった。ゼネラル・サービスとは何をしているところで、何千万もの金を何に使っているのか、さっぱり理解できなかった。そしてJSOという機関が、実際の活動として何をやっているのか感じられることもなかった。グループの会計は私の手を離れ、どこにいくら献金するかについて、私は一票の投票権を持つだけになった。そして関心はまた薄れていった。

あるとき、出版局が翻訳ボランティアを募集していたので、参加させてもらったことがあった。そこには確かに実体としてのサービス活動があった。結果は本となって私の手元に戻ってきた。出版局長の取り組んでいる作業は私にも理解できた。

またあるとき、BOX−916委員会の原稿依頼の取次ぎをしたことがあった。私はBOX−916はJSOのスタッフが編集しているものだとばかり思っていたが、彼らは数ある委員会と同じようにボランティアの集まりだった。

JSOはいったい何をしている場所なのか? 評議員になってここまで任期を務めて、何度もJSOに電話もした。偶然だが、一回訪問もした。だが、いまだに私にはJSOの活動の全体像が見えない。セントラル・オフィスの提供するサービスとは種類が違うのだというが、そう言われるとますます分からなくなる。

常任理事会の委員会という存在も、どれだけあって何をしているのかわからない。出版委員会がいきなり解散したり、BOX−916委員がいきなり全員交代したりするのも不思議だ。そもそも常任理事会そのものが、オブザーバーの参加を認めていないのも変だ。ニューズレターに「なぜダブルクローズドなのか」を説明した文章が載ったが、あれで納得できたという話も聞かない。

私は頭が悪いのだろうか。その可能性は十分ある。でも、十分な説明を受けていないような気がする。ある人々は、それは彼らに「決定権」があるからだと言ってくれた。『12の概念』を開いて決定権について読んでみたら、決定権には報告が伴うものだと書かれている。だが、私の手元にあるのは「結果の報告」だけで、経過も、判断の根拠も書かれていない。

なんだか秘密主義の匂いがするぞ! くんくん。

NPO法人化にしても、評議会憲章にしても、なんだか日本AA30周年に間に合わせようと、どんどん進められているような気がする。グループを置き去りにして、ただひたすら突っ走っているような気がする。必要なことは必要なのだろうが、なぜ30周年に間に合わせなくてはならないのか理解ができない。32周年だっていいじゃないかと思う。
私は、自分が理解していないことを人々に説明する能力が無い。努力不足なのだろうか。

グループを始めた頃には、精神病院を訪問して話をさせてくれるよう頼んでも、窓口で追い返された。それが今ではAAと聞けば、職員の誰かが相手をしてくれる。AAも名が知れるようになったものだ。背景には、サービスの恩恵があるのだろう。こんなふうに、ゼネラル・サービスの結果は感じにくいものが多い。だからこそ、言葉を尽くして説明せねばならないのだろう。だが、私にはその言葉が無い。

各地のセントラル・オフィスの収入は、出版物の売り上げよりも、献金が主なのだそうだ。どこでもメンバーは一生懸命セントラル・オフィスを支えようとしている。彼らはオフィスを必要としているのだ。
ところが、JSOの収入は3分の2近くが出版物の売り上げなのだ。メンバーは出版物を必要としているけれど、JSOの業務を必要だと感じてくれないようだ。誰だって理解できないことに献金はしたくないだろう。
「まだ苦しんでいるアルコホーリクのために」・・・それはわかる。だが苦しんでいる人のために、いったい具体的に「何を」やっているんだ?

私は無能な評議員だ。ゼネラル・サービスが何をしているのか、JSOの業務が何なのか、メンバーに説明することができない。「まだ苦しんでいる・・・」という観念的な言葉を繰り返してはいるが、具体的なことはロクに言えない。説明できないから、必要性を感じてもらうことができない。だから献金も増えてくれないのだろう。財務の委員としてはますます失格である。

何百万も金が足りないと言いながら、一方では30周年事業は縮小されることも無く粛々と進んでいる。はたしてそれは「まだ苦しんでいる・・・」なのだろうか。今でも疑問が残る。

いずれ私の任期も終わる。私の不信は拭い去られないままに終わるだろう。信頼関係が大切なのだというが、一方的な信頼を求めてもらっても困るのである。常任理事会はなぜダブルクローズドなのだろう。オブザーバーが参加すると困るのだろうか。オブザーバー席が足りなくなるなら、抽選にでもすればよい。おそらく、当分そんなことは起こらないだろうが。

私の失望は無知の上に成り立っているのかもしれない。もっと知る努力をするべきだったのだろう。特にJSOについてはもっと知るべきだった。

自分の責任を放り出すようで申し訳ないが、AAメンバー皆さんにお願いがある。それはJSOのことをもっと良く知ってほしいということだ。平日昼間に時間が取れる人は、直接訪問してみるのもいいだろう。そこで彼らが何をやっているのか理解できたら、それをほかの人に教えて欲しい。(できればついでに私にも)。

訪問できない人は電話でもいいだろう。手紙を書くのも悪くないかもしれない。日本のAAはまだたったの4千人にすぎない。評議員などというフィルターを無駄に介在させる必要もないと今では感じている。冒頭に書いたように、そんな肩書きは邪魔になるだけだ。

皆さんが、納得して献金をしてもらえるためなら、きっと彼らも協力は惜しまないだろう。

それとも皆さんは「どうやってもダメそうなら、しばらく放っておけ」ということわざを実践しているのだろうか。私の失望が、皆さんと同じでないことを願っている。

(2003年12月31日に記述の文章を一部訂正して掲載しました)。