心の家路
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No.6906  6月4日の日々雑より by 舞  2013-06-09 18:25
お久しぶりです。キャプランのお話面白かったです。ところで、

>イネーブリング理論とか底つき理論は、この「危機」を早くもたらすために、周囲が本人を手助けせずに突き放す必要があるという考え方でした。

これは理解できないのですが、何処かでだんだんと伝言ゲーム的になって行って出来上がった考え方でしょうか?家族はアルコール依存症者を自分が助ける事ができるという妄想を手放し、アルコール依存症者の失敗の責任はその人の責任に返して行く必要があります。それをする事で家族は初めて自分の回復に目を向ける事ができる。依存症者の「そこ付き」の為に突き放すのではありません。自分の回復成長の為に、自分の責任と人の責任部分を見分ける力をつける必要があるという事です。

アルコール依存という病気に依存症者は冒されてしまっている。一緒に病気に巻き込まれず、言動の責任を本人にかえす事で、家族も自分がいかに狂っていた対処をしていたかに気がつく事ができる。家族は自分の回復の為にアルコール依存症者を手から離すのです。結果として、依存症者は自分の言動の酷さに直面せざるをえなくなる。後始末をしてくれる人がいなくなり、同等に喧嘩をしてくれていた家族が喧嘩相手になってくれなくなり1人でわめき散らしている現実に向き合わざるをえない。それがそこ付きに結びつく事もあるだろうし、結びつかない事もあります。でもそれは家族には何の責任もありません。

家族は自分の人生を取り戻す為に、アルコール依存の病気の部分と本人の部分とを切り離してみる事ができる力をつけて行く必要があります。それはマニュアルで解決できる事ではないので時間がかかります。突き放す事と、愛のあるデイタッチメントは違います。家族の回復初期は突き放す事しかできないかもしれませんが、ステップでの回復が進めば愛を持ったデイタッチメントつまり大人の対応ができるようになってきます。

突き放すというのは、表面的な行動だけの物まねで、しかもその結果「依存症者のそこ付き」を目的としているとなると本末転倒もいい所じゃないかと思うのは私だけでしょうか?それでは家族はいつまでもアルコホーリズムに巻き込まれ続けてしまう。私読み違えているのかしら?
No.6907  Re: 6月4日の日々雑より by ひいらぎ  2013-06-10 09:58
自分の書いた雑記と、舞さんの投稿を読み返してみました。舞さんのおっしゃることと、僕の雑記の間に齟齬は無いと思います。

少し付け加えますならば、家族自身の回復と、依存症者本人を回復に結びつけるように介入していくか、この二つは分けて考える必要があると思います。

本人の責任を本人に返すというやり方は、回復の過程にある家族にとって(また本人にとっても)役に立つ方法です。しかし、それを本人をどうやって回復に結びつけるか、という介入の技法にまで(何も考えずに)援用し、「あなたが突き放さなければ、本人が底つきしません」としたのは明らかな誤用だったと思います。

ひどい話も聞くわけです。同じ家に暮らして共同生活を送りながら、奥さんがアル中ダンナの世話を放棄することがデタッチメントだとして、食事・洗濯・掃除などの世話をしない(自分のぶんだけ)とか。あるいは、ギャンブルをなかなかやめない息子について「家から追い出しなさい」助言があるとか。これらが、援助者が「デタッチメント」の名の下に行った助言の結果です。家族の回復と介入を混同するからこういうことになるのではないでしょうか。

最近の(MATRIXをベースにした)新しい手法とか、家族向けのCRAFTとか、あるいは動機付け面接に話を聞くと、どれも家族の積極的な関与を求めています。それは家族自身の回復を妨げるものではありません。

舞さんのおっしゃるとおり、デタッチメントは間違って使われています。デタッチメントが否定されつつあるとしても、それは誤用されたものに対してであって、本来の考えが否定されたわけではありません。それは、現在「底つきの必要性」が否定されつつあるのと同じです。否定されつつあるのは誤解された底つき概念(失うこと)であって、本来の底つきの必要性は何ら否定されるものではありません。

僕は「突き放す」介入を支持していたこともありましたが、今では否定しています。人の考えは変わるものだと思います。僕だけじゃなく。

アディクションに対して、新しいやり方が生まれ、有効性が認められ、支持されて広まり、その課程で変容し、むやみに拡大され、有効性を失い、否定されて、元の姿に戻ったり、あるいは新しいやり方に置き換えられたりする・・・こういうことが繰り返され、アディクションへのアプローチはどんどん変わっていきます。面白いものだと思います。
No.6910  Re: 6月4日の日々雑より by 舞  2013-06-10 14:48
>こういうことが繰り返され、アディクションへのアプローチはどんどん変わっていきます。面白いものだと思います。

そうですね。
私も自分に効果のあったやり方が全ての人に良い訳ではないという当たり前の事に気がつくのに随分時間がかかりました。
白と黒の間を行ったり来たりしながら、だんだんとバランスの良い所でふらりふらりと臨機応変に色々な事に対応できるようになる事が回復なのでしょうね。単に普通になるってことですね。
普通って凄い、普通って幸せな事なんだ。

大切なのはどれだけ相手を愛するかではなく、
相手にとって自分は何かを知ることだ ・・・ 映画「偶然の旅行者」

No.6874  自分一人で12ステップができるか? by ヘビスモ  2013-05-20 21:19
若い頃
精神分析にかぶれていた時期があり、
というか
万能だと思っていた時にふとわいた疑問は、
精神分析はどうして一人ですることができないのかという点で、
答えはなぜか自分でみつけることができなかったはず。

12のステップのなんたるかも知りませんが、
共通した何かがあるのかもしれませんねぇ。
No.6875  Re: 自分一人で12ステップができるか? by ひいらぎ  2013-05-21 15:09
ウィリアム・L・ホワイト先生の書かれた『米国アディクション列伝』は、アメリカのアディクション治療の歴史を研究した本ですが、それによると精神分析と12ステップには類似点があるのだそうです。

そのひとつは素人による治療です。12ステップは(職業家でない)アマチュアが使う手法として広まりました。精神分析は今でこそ職業家の手にゆだねられていますが、フロイトやユングやアドラーが活躍した時代に精神分析が広まったのは素人療法家(lay therapist)の手によるものだったそうです。

もうひとつは、その手法を使う人は、自らがその手法を受けた経験を持つということです。12ステップという手法は自らが12ステップで回復した経験を持つ人たちが使うものです。精神分析も同様で、その療法家になるためには自らが精神分析を受ける必要があったのだそうです。欧米では精神分析医になるために自らが精神分析を受けることが現在でも行われているそうですが、日本はそうなっていない、という批判を聞いたことがあります。その批判が当たっているのかどうか僕はわかりません。先日も精神分析が専門のお医者さんにお会いしましたが、さすがに初対面で「ご自身が精神分析を受けた経験はお持ちですか?」とは聞けませんでしたよ^^;
No.6895  Re: 自分一人で12ステップができるか? by DORA  2013-06-02 18:18
こちらでは、オヒサでございます。。(ΦωΦ)ノシ

私も精神分析をかじってた時期がありました。
そして、まさかの精神分析を実際に受ける側に廻ってしまった者として一言…ww
こういうテストというか分析を受けるというのは、ホントにイヤな気分にさせられますがその時は入院してしまったので仕方なかったのです。。(笑

あいや、ところで偶然とはいえイイ話を聞けてよかったです。素人療法だったとは・・・。でも考えてみれば当然かもしれませんね。フロイト大先生までその歴史がなかったとしたら、それ以前は何だったのか?? フロイトで始まったとされている神経症の講義も実は本人は統合失調症について語ろうとしてたんだけど、世間的にその認識がまだ当時はなかったとか… 結構、創世記の話題ってオチャメだったりしますよね。。(あれっ、四方山話に…)

スンマセン、脱線ばっかりで・・・。マジメにいきます。
スポンサーは長いこと考えてて、要らないなぁーと落ち着きかけたこともありましたが、結局はアルコールだけじゃなく、それを飛び越えて "人生の…" みたいなスポンサーに "適役" と言える方が見えてきました。。

やはり私は、本心ではひとりに限界があると以前から気づいているんだと思います。。 (=^.^=)

 
No.6899  一人で、12ステップができるか by アポ  2013-06-04 15:07
DORAさん、お久しぶりです。
AAメンバーのアポです。
ぼくは、最初のスポンサーから 回復したいのなら ホームグループを持ち スポンサーを持ち ステップに取り組みなさい そう言われました。
スポンサー無しで、一人でステップができる方を 羨ましく思いますよ。
そういうAAメンバーを見たことは、ありませんけれどもね。
ぼくが、知らないだけかもしれないですけれどね。
No.6900  Re: 自分一人で12ステップができるか? by DORA  2013-06-05 12:43
アポさん、オヒサです。
私は最初は違う自助グループにいたので、AAについてもステップについても後から知ったんですね。
(・・・にしても結構経ちますが。。)
しばらく両方掛け持ちで通ってましたが、どうも "自分の為になってるという実感" が得られぬままチカラ尽きてしまって (パニ症持ちなので)、
それ以来、師匠クラスの方々とのお付き合いは保ってますが、基本、個人的に書籍等で勉強・・・というカタチを取らざるを得なくなりました。
それで、ごくたま〜に会場に顔を出したりして・・・結局、同じところで4回ワンデイのメダルもらってるのかな?… (; ^ω^)

まだパニ症は完治してはいないですが、以前よりはマシになってます。
ステップの勉強も必要ですが、むしろ今はそっちの方が今の自分の治療のメインになってます。
精神科医に12ステップのことを言ってもワカランでしょうから… (^_^;A

ということで、私は正式なAAメンバーとはいえないでしょうね。。
在宅 (ヲタク…?w) メンバーでしょうか…? (〃・ω・)ゞ
No.6903  DORAさんに by アポ  2013-06-06 13:14
AAメンバーは、飲酒を辞めたい人なら誰でもなれると思っていますけれどね…

パニック障害を治療しながら AAをいっしょにやっていきましょう。
スポンサーさんも見つけられたようだしねぇ。
No.6905  アポさん、 by DORA  2013-06-07 11:00
ありがとうございます。

認められるというのは嬉しいモンです。。
とはいえ、カタチだけでは意味がないので、しっかり治療と共に回復のステップをやっていきたいと思います…。




No.6892  絶望感と空虚感 by レオンハルト  2013-06-01 22:30
恐れやイライラ、他人に対しての恐れ。そして最後は度重なる
スリップです、ザマないですね、みんな本当に笑っているんでしょうね

いつも私は笑われてばかり、スリップしてまた笑われる。人にずっと
バカにされて生きてきました。そんな人間です。

貸出禁止措置も功を奏せず・・空しいだけですね。
No.6893  Re: 絶望感と空虚感 by アポ  2013-06-02 07:30
レオンハルトさん
ぼくはあなたを笑いものにしてはいません。
ひいらぎさんも、心の家路の仲間も、おそらく
笑いものにしてはいませんよ。
心の家路から離れない限り、あなたは回復すると
信じています。
No.6894  Re: 絶望感と空虚感 by アポ  2013-06-02 07:47
書き忘れましたけど、12のステップに取り組む
ことです。
ぼくは、ビックブックのステップに取り組む
ことで アルコールだけは止まりました。
レオンハルトさんも、ギヤンブルだけは止まりますよ。
ぼくは、そう信じています。
No.6896  Re: 絶望感と空虚感 by ひいらぎ  2013-06-03 16:07
周りからいろいろ助言を差し上げることはできますが、
レオンハルトさんがどうしたいか、うかがいたいです。
どうなりたいんですか?
No.6897  Re: 絶望感と空虚感 by レオンハルト  2013-06-04 11:30
よくなりたい、普通の生活を送りたいだけです。
、普通も人それぞれの感じ方ですが。
ただそれだけですよ。ひいらぎさん。

ギャンブルのない生活です。
No.6898  Re: 絶望感と空虚感 by ひいらぎ  2013-06-04 12:35
ギャンブルをしないで普通の生活がしたい、ということですね。その気持ちは良く分かります。

トラブルにならずに小遣いの範囲内でギャンブルができる人たちがいますが、レオンハルトさんは、その人たちみたいになりたいと思っているわけじゃありませんよね。

ギャンブルを始めてしまうと、借金などのトラブルに発展してしまうので、ギャンブルをきっぱりやめたい、という気持ちなのでしょう。

そして、実際に何度かやめてみた。前回のように貸し出し禁止措置をしたこともあった。・・・でも、そのたびに、またギャンブルをやってしまった。

「ギャンブルをやめることが出来ない」・・レオンハルトさん、これがあなたの問題です。

あなたはその問題を解決するために(つまりギャンブルをやめるために)いろんな方法を試してみた。でも、どの方法も役に立たなかった。それはつまり、あなたは「問題の解決方法を知らない」ということです。

僕はレオンハルトさんがギャンブルをやめられない、とは思っていません。やめられるでしょう。けれど、あなたはこの問題の解決方法を知らない、だから解決できない、やめられないでいるということです。

ならば、解決方法を教えてもらい、それを身に着ける努力をすれば良いのです。それは結構大変かもしれませんが、やれば出来るでしょう。

レオンハルトさんに必要なのは、これです。

・「自分の力ではこの問題は解決できない」と認めること。

そうすれば、その次の段階として、人の助言や指導に耳を傾けることができるようになります。指導を仰ぐ人を探そうという気持ちになると思います。
No.6901  Re: 絶望感と空虚感 by レオンハルト  2013-06-06 01:20
スポンサーという人になるのでしょうか?・・・

何でもやる気持ちです。衝動は今なお収まっていませんが。なんとか
今日1日やらずにいれています。

私には仲間が必要なのでしょうね。ひいらぎさん。

不安や恐れを取り除いて欲しい。ギャンブルだけでなく。人に対しても
怖いです。
No.6902  Re: 絶望感と空虚感 by ひいらぎ  2013-06-06 10:09
僕はレオンハルトさんのことはほとんど知りません。知っているのは、ギャンブルでの失敗をここ何年繰り返している、ということぐらいです。

GAミーティングに通うことは役に立つ場合が多いのですが、それだけで十分なのか、あるいはもっと別のやり方が良いのか。別のやり方をするなら、いったい何をするのか? その提案をするためには、レオンハルトさんの事情を聞かせて頂かなければ、判断できません。

けれど、多くの人の目に触れるこの掲示板で、レオンハルトさんの個人的なことを明らかにされるのは避けた方が良いでしょう。もし、よろしければ、こちら宛にメールをください。

[email protected]

レオンハルトさんがよろしければ、メールでのやりとりに移りませんか?

(どんなやり方をやるにせよ、顔を合わせて一緒にやる仲間はあったほうが良いですよ)

No.6873  厚労省の検討会の報告書 by ひいらぎ  2013-05-15 18:04
厚労省の検討会の報告書が掲載になったので紹介しておきます。

厚生労働省:依存症者に対する医療及びその回復支援に関する検討会 報告書
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000031qyo.html

AAの関係する部分を抜粋します。

> 相談に来た依存症者本人が回復への第一歩を踏み出すためには(中略)断酒会、AA、NA、GA、MAC、DARC等の当事者による自助団体やAl-Anon、NAR-ANON、GAM-ANON等の家族や友人等による自助団体等の関係機関へのアクセスが保障される必要がある。

> 精神保健福祉センターの役割は、相談だけではなく、地域の要として医療機関、保健所や断酒会、AA、NA、GA、MAC、DARC、Al-Anon、NAR-ANON、GAM-ANON 等の自助団体や依存症者の家族の自助団体との連携の中核としての機能を果たす(以下略)

> 現在、米国の薬物依存症回復プログラムである Matrix Modelを参考に開発されたSerigaya Methamphetamine Relapse Prevention Program (SMARPP) や久里浜版新認知行動治療プログラム (Treatment Model for Alcohol Dependence, based on Cognitive Behavioral Therapy, Kurihama Version:TMACK)等の認知行動療法、内観療法、集団精神療法あるいは AA、NA、GA 等で行われている12ステッププログラム、断酒新生指針等、依存症回復のための体系的なプログラムが普及しつつある。

> しかし、その普及は必ずしも十分ではなく、依存症回復のための体系的なプログラムをより普及させる必要がある。

> 本人・家族の自助団体が地域に広がり、活発に自助活動ができるように、精神保健福祉センター、保健所や市町村が協力して、当事者が活動を行いやすい環境づくりをすべきである。

No.6870  [5/12] 依存症・発達障害支援者向きセミナー by ひいらぎ  2013-05-09 09:11
依存症・発達障害支援者向きセミナー
パチンコに依存している人の課題と生活支援について

午前の部 テーマ「パチンコに依存する人たちの特性について」
 高澤和彦氏(浦和まはろ相談室 代表)
 中村勉(NPO法人ワンデーポート 施設長)

午後の部 テーマ「パチンコなど様々な問題を抱える人の生活支援、就労支援」
 石田昭人氏(社会福祉法人はるにれの里 サポートセンターあらいぶ)
 今井忠氏(NPO法人自閉症協会 理事長 社団法人日本発達障害者福祉連盟 理事)
 鈴木晶子氏(一般社団法人インクルージョンネットよこはま 理事)
 司会 稲村厚(NPO法人ワンデーポート理事長)

日時:平成25年5月12日(日)午前10時〜午後4時
場所:神奈川司法書士会館(JR根岸線石川町北口すぐ)
 横浜市中区吉浜町1番地
参加費:1,000円
申し込み・お問い合わせ:045-303-2621

主催 認定NPO法人ワンデーポート
共催 認定NPO法人リカバリーサポート・ネットワーク
   依存の問題の支援に携わる人たちの勉強会
助成 神奈川県遊技場協同組合
http://www5f.biglobe.ne.jp/~onedayport/oneday-2.pdf

No.6865  アノニミティ by メンバー  2013-05-07 18:24
医療、福祉関係者のメンバーの方々へお聞きしたいことがあります。
ご自分でアノニミティはどこまで守られてますか?

No.6860  与えられたチャンス by ひいらぎ  2013-04-28 00:37
日本病院・地域精神医学会という学会があり、その総会が今年は札幌で開かれるそうですが、大会長の田辺先生が、挨拶文にこんなことを書かれています。

> G.キャプランという、かつて地域における精神保健活動で指導的な活躍をした精神科医は、危機は、人がそれまでのその人なりのやり方では解決できないが故に危機なのであるが、そうであるからこそ、人は平時以上に、新しい対処法、新たな取り組みへの助言や指導に耳を傾ける。だから、危機は、人がそれまでにない新たな方法を身につけて、大きく成長していくチャンスでもある、という主張をしています。
http://www.knt.co.jp/ec/2013/jhcpa56/aisatsu.html

人にはそれぞれその人なりの考え方や信念があり、それに従って行動し生きています。
危機とは、その考え方・信念が通用しなくなることです。
だから人は危機を乗り越えるために、古い考え方を捨て、新しい考え方を取り入れなくてはなりません。しかし、それは簡単なことではありません。なぜなら、考え方や信念は、その人の性格や人格を作っているものですから、それを捨てることは、自分自身を(少なくともその一部を)否定することだからです。
しかし、危機は、平時にはできないことを可能にするチャンスだといいます。

アルコール依存症という病気は僕にとっては大きな危機でした。その危機を乗り越えられずにもう少しで死ぬところでした。乗り越えるには、古い考え(信念)を捨て、新しい考え方を身につけなければなりませんでした。僕の場合にも、ご多分に漏れず、それは簡単なことではなかった。しかし、依存症という大きな危機がそれを可能にしました。僕はぎりぎり間に合って、新たな取り組み(12ステップ)の助言や指導に耳を傾けることができました。

もし僕が依存症という病気にならなかったらどうだったでしょうか。それなりに生きていたと思いますが、それでは僕が古い考え(信念)を捨てることはできなかったでしょう。そう考えるとぞっとします。

病気というものは決して良いものではありません。病気にならないに越したことはない。周りも大変です。けれど、僕が依存症という病気になったのは、僕がそれを通じて成長できるように、神様が用意しておいてくれたチャンスだったのかも知れない、と考えることがあります。

まあ、それが神様が用意してくれた危機だったからこそ良かったのでしょう。人為的に作り出された危機にアルコホーリクは反応しないことが多いものですから。まあ、それは余計ごとですが。
No.6861  Re: 与えられたチャンス by AAメンバーM  2013-04-29 23:35
>“危機からの回復には、危機を体験したからこその成長がある”、そうだとしたら、その支えとなったものは何か?その手立てとなるものは何か?人の力なのか、人のつながりなのか?技術や技法なのか、システムなのか?理論なのか、思想なのか、環境なのか?
>大会では幅広い視点から危機というものをとらえ、危機への対処の実践を振り返り、その回復と成長の手立てとなるものは何かについて、未来にむけた討論を重ねていきたいと思います。

わたしが聞いた話ではアルコール依存症を病気だと認めたときのWHOは、身体的、精神的、社会的な病であると認定されました。
霊的な病気については議論はあったようですが、却下されたようです。
世界でかなりの数のAAメンバーが回復している事実を省みますと、霊的体験によって回復できたこともWHOも認めるべきだと
思います。従って、身体的、精神的、社会的、に霊的な病気だということを改定すべきだと思います。
それがいまの現実になって表れていて、医学では霊的病気なんて知らなくていい。それは自助グループにおまかせが実態ではないでしょうか?
霊的な病気だということをAAメンバーが医療関係に伝えなくてはならないことが、大きな問題です。
他のこころの病といわれる
鬱病(抑鬱状態)、気分障害、適応障害、不安障害・全般性不安障害、不安神経症、強迫性障害(OCD)・強迫神経症、社会不安障害(SAD)、
恐怖症、パニック障害(PD)、パニック発作、解離性障害、転換性障害、境界性人格障害、統合失調症、躁病、双極性障害、自律神経失調症
などもすべてに該当するとは思いませんが、霊的な病も含んでいると解釈できれば、格段に回復の率は上がっていくと思います。
まぜならば、自分自身が変わっていくことになるからです。

副作用のある薬を投与して、別な病気をもらったり、投薬治療でフォアグラになってしまって、一生、隔離された病院で過ごさせる
拷問はもう、変わっていく時期ではないでしょうか?
わたしは弟を統合失調症の薬漬けで亡くしました。そのときにステップの話ができれば耳を傾けたかなと自省しております。
12ステップというプログラムは、アルコール以外の方たちに多く運用されています。
未来に向けた討論は、12ステップの回復のプログラムの応用だということをわたし自身は信じています。
いまどき内科はもちろん、精神科の先生だってアルコール依存症は病気だと知らない先生方がまだおられます。
目に見えないデーターはなかなか医者は信じませんがねぇ。
No.6862  Re: 与えられたチャンス by ひいらぎ  2013-04-30 18:56
WHOの憲章の前文に健康の定義があります。
現在は、健康とは「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」としています。この「肉体的」「精神的」「社会的」にさらに、「スピリチュアルな」を加えるという提案が1999年の理事会で採択され、翌年の総会で採択されることになっていました。
http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1103/h0319-1_6.html

スピリチュアルを加えることは、1970年代から繰り返し提案されてきたことなのだそうです。その提案国は中東のイスラム国家で、イスラム文化圏においては、スピリチュアルとは個人と社会との深い部分でのつながりを示しているのだそうです。社会との深いつながりを断たれて個人の健康は成り立ち得ません。

実はこの提案は採択されずに棚上げになったままだそうです。理由は反対があったからではなく、前文のような理念的なことに審議の時間を割くより、より実務的なことに時間を割いたからだと聞いています。

健康の定義にスピリチュアルを含むのは自然なこととしても、僕は医学がスピリチュアリティを扱うべきだとは思いません。アディクションには肉体的な面、精神的な面があり、それは医学が担当しています。しかし、それ以外にも、社会的な面、スピリチュアルな面がありますが、それらも医学が扱うべきかと言えばノーでしょう。

本来医療が扱うべきでないことまで医療に扱わせることを、「過剰な医療化」と呼んで批判の対象になりつつあることをお伝えしておきます。

最近はアルコール関連の学会に行っても「多職種の連携」みたいなことが言われています。アディクションには様々な側面がありますから「病気だから医者が専門家で、その他は非専門家」などという単純な区分けで解決できることではありません。借金があれば法律家が必要ですし、DVがあればそちらの支援者が要るでしょう。様々な分野の人が関わらなければならないことなのです。

ではスピリチュアルなことは誰が担当するのでしょうか。AAメンバーはプロフェッショナル(職業家)ではなくアマチュアです。AAメンバーはプロではない・・しかし、エキスパートやスペシャリストになってもいいわけです。霊的な事柄を医者に担当させようとしても無理でしょう。むしろ、AAメンバーが率先してスピリチュアルな面からアルコホーリクを手助けする役割を負うべきです。

他の国々では、AAのメンバー数が多く、医療とAAとの連携も盛んです。一方日本では、AAメンバー数は少なく、医療との協力は貧弱です。この違いはどこから来るのか。日本の医療が非協力的だからAAに人が来ないと言う人がいますが、僕はそうは思いません。むしろ海外と日本のAAの質的違いが問題なのです。以前、ある医師からもらった年賀状に

「早く日本のAAも世界的なレベルに達しますように」

と叱咤激励の言葉が添えられていました。医者に変われという前に、まず自分たちAAが変わってみせるべきだろう、という意味もあるでしょうが、そのとおりです。アマチュアだからと言い訳して甘えてるんじゃねーよ、うまくいかないのを人のせいにするな、と言われたようなものです。

お互い頑張りましょう。目に見えないデータを信じてもらえないなら、目に見えるデータを用意しようじゃありませんか。12ステップで回復する人を増やしていけばいいのです。

「自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから」
http://www.youtube.com/watch?v=jIStLfVfwNg
自分の周りの世界を変えましょう。例え小さな変化しか起こせなかったとしても構わないじゃないですか。諦めている奴らには笑わせておけば良いのです。
No.6863  Re: 与えられたチャンス by AAメンバーM  2013-05-01 08:13
WHOの採択の件、詳しい説明、ありがとうございました。
スピリチュアルな面を加えることを提案したのが、本来はお酒が禁止のはずのイスラム国家だとは想像だにしませんでした。
「過剰な医療化」の意味も理解できました。
確かに、医者がAAのことを知らなすぎるといっても、当人でなければ、スピリチュアルな体験談を話せるわけがありませんね。
「早く日本のAAも世界的なレベルに達しますように」「12ステップで回復する人を増やしていけばいいのです。」
これは肝に命じます。
時間がかかりそうですが、一緒に協力させてください。

No.6841  ノンアルコールビールへの脳の反応 by ひいらぎ  2013-04-19 12:06
ビールの味だけで報酬感覚、アルコール作用なくても 米研究
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2939021/10591409

このニュースをどう解釈したら良いか考えていました。元ネタを探して見つけたのがこちら。

Beer Flavor Provokes Striatal Dopamine Release in Male Drinkers: Mediation by Family History of Alcoholism
http://www.nature.com/npp/journal/vaop/naam/pdf/npp201391a.pdf

アルコールを飲むと脳の中の線条体で、ドパミン受容体が活性化することが分かっています。
(これがアルコホリックの渇望現象の引き金を引く、少なくとも引き金のひとつでしょう)。

アルコールという薬理作用のある物質がこの効果を引き起こすのは当然のこととして、この研究チームは、アルコールを飲まなくても「飲み慣れた酒の味」がしただけで、同じことが起こるのじゃないかと仮説を立てたわけです。

そこで、普通の酒飲みから大酒飲みまでランダムに男性49人選んで(平均年齢25才)、彼らに飲み慣れたビール飲んでもらい、酒を飲みたくなったか自己申告してもらうと同時に、線条体の活動をPETで観察しました。これをゲータレードを飲んだときと比べました。

ビールを普通に飲んでしまったらアルコールの薬理作用がでてしまうので、15分おきにスプーン人さじだけ舐めるて味わうだけにしました。

結果として、ゲータレードと比較してビールの味のほうが顕著に「飲みたい気持ち」が強く申告されました。またPETではドパミン拮抗薬であるracloprideの受容体への結合の減少が観察されました。

これをそのとおりに解釈すれば、アルコールを含まないけれど酒と同じ味がする飲料を飲むと、酒を飲んだ時と同じ反応が脳の中の線条体で起きる、ということです。ノンアルコールビールを飲むのは、再飲酒の準備行動になりかねないので、やめておくべきだ、と解釈するのが素直でしょうね。

まあ、ノンアルコールビールが再飲酒を誘発することは、なにも実験で確かめなくても経験上知られていることですが、それに裏付けが取れたと言うことです。

もうひとつ、この49人の中には肉親にアルコホーリックがいる人(※)が含まれていたのですが、彼らは他の人に比べて反応が顕著だった、とあります。これは、アルコホリズムという病気に遺伝的な要因があって、この反応は親から受け継いだものである可能性を示唆しています。

※=いわゆるアダルトチルドレン(AC)。
No.6842  Re: ノンアルコールビールへの脳の反応 by AAメンバーM  2013-04-19 21:58
わたしの浅はかな知識でいわせていただきますと、アルコホーリクは、アルコールが体内に入ると、肝臓でアセトアルデヒドが化学反応を起こし、中枢神経に作用することになります。これは、ドーパミンに似た物質が蓄積され、脳内に残ります。報酬の感覚を与える脳の領域、報酬系(大脳辺縁系)<快・不快>が普通の酒飲みとは違って、酔いの報酬<快感>が強いと習いました。
「腹側線条体」というのは、報酬系(大脳辺縁系)と同じだと判断しますと、脳内物質「ドーパミン」は、過去のわれわれが通った道で、かなり蓄積されていると考えられます。何十年も飲まなかった人が、再飲酒したら、元の状態に戻ったというのは、この蓄積された脳内物質「ドーパミン」は残ったままですので、スイッチが入るのです。巧妙で不可解で強力なものとは、「何年も断酒したからそろそろいいだろう」がやっかいなのです。断酒したら、元の自分に戻れると勘違いして、再飲酒を繰り返し、飲み続けた結果、最後は死の門口まで来ているといわれているのは、脳内物質は決して断酒しても消えないからなのです。
ドーパミンが多いとどうなるかは「不必要とわかっていながら同じ行動を反復する強迫神経症になったりします。また、アルコール依存も薬物依存もドーパミンに関係しています。麻薬やコカイン、アンフェタミンなどの覚醒剤やタバコなどはドーパミンを増やす効果があるため、その行動そのものが動機となって強化され、精神依存を作り出し、やめたくてもやめられなくなります。脳から見るとタバコも覚醒剤も殆ど同じと言っていいことが明らかになっています。」

さて、ノンアルコールビールというのは、アル中にとってはやっかいな飲み物です。あの、ビールに似た泡立ち、炭酸水の栓を抜いたときのシュパッという感覚が、まさに飲んでいないアルコホーリクの一杯の酒への強迫観念にとらわれてしまいます。アルコホーリクがノンアルを飲むという行為そのものが、もう、「一杯の酒」に手をつけた状態と同じなのでしょう。
また「抗酒剤」もわたしには同じに思えてなりません。「抗酒剤を飲んでおけば、大丈夫」というのは、「いつか飲んだときは」、が前提としてあります。

不思議に思うことは、わたしは「はぜの木」に子供の頃に触って、身体が異変を起こしました。それ以来、はぜの木の下を通っただけで、はぜにかぶれてしまいます。触ってもいないのに、いまでも、まけてしまうのです。
卵のアレルギーの子供が、卵をたべていないのに、急に蕁麻疹がでたとテレビで放映していましたが、原因は、ゆで卵を作っていたときの蒸気でした。
同じ脳内の作用が働いているのかもしれないと思うこのごろです。

一度、アルコホーリクになると、アルコールが例え0%でも、ビール感覚が味わえるというのは、「そこには飲みたい」という飲酒欲求を湧かせるに過ぎません。それは上記の酔いの報酬<快感>にスイッチを入れることと同じではないかと思ったのです。いまからさらに夏場に向かって、ビールのテレビ宣伝が多くなってきます。BBの第三章に「いつかは飲むのを楽しむことができるようになるという大きな妄想」とありますが、あくまで妄想であります。
飲んでいれば、脳内物質「ドーパミン」は進行性でどんどん増えていきます。断酒していても、「ドーパミン」の量は変化しないのであります。
これは変えることが出来ない渇望現象であるといえます。変えられるのは、精神的強迫観念の方で、AAの12ステップの実践だけが、われわれを救ってくれるのです。AAに通っているだけではだめで、12ステップに真剣に取り組むことが、われわれを健康な心に戻してくれる最後の助け舟、回復のプログラムそのものです。

しかし、アメリカやカナダのアディクションへの研究はかなり進んでいますね。アルコール依存症は遺伝的性質もあるとデーターででたのは、過去が証明されたのでしょう。
あくまで個人的意見ですので、ピントがずれていたらご指摘ください。
No.6843  Re: ノンアルコールビールへの脳の反応 by ひいらぎ  2013-04-22 19:43
人間の脳の活動を調べるのは難しいです。破壊検査をするわけにはいきませんから。

CTを使えば三次元構造が把握できるので、それで脳の病変(萎縮しているとか)は分かります。
でも、それは形状が分かるだけで、機能は分かりません。

PET(ポジトロン断層法)という手段があります。
サイクロトロンを使って物質に陽子をぶつけます。すると放射性同位体ができます。
この同位体を含んだ物質を人体に投与します(放射性トレーサーと言います)。
同位体は短期間で崩壊して陽電子を放出し、その陽電子が近くの電子と対消滅を起こして、ガンマ線を放出します。
このガンマ線を捉えて、CTと同じ理屈で画像化すると、トレーサーが人体のどこに蓄積されたか分かります。
時間経過を追うことで、トレーサー(を含んだ物質)がどう消費されていったかもわかります。
これによって脳の機能がある程度分かるということです。

さて、ドパミンは脳の報酬系で中心的な役割を果たしています。
ドパミンの動きをPETで見られれば良いのですが、それはできません。なぜなら、トレーサーはサイクロトロンを使って人体外で作らねばなりませんが、神経伝達物質であるドパミンは体内で生成されるものだからです。

そこでこの研究チームはこう考えたんだろうと思います。
神経伝達物質は脳内で生成されると、シナプスの間隙に放出されます。放出された伝達物質は「受容体」で再吸収され、それが別の反応を引き起こします。(ですから、脳内に伝達物質が蓄積されるわけでなく、僕らが長年酒を飲んできたからと言って、脳内にドパミンが溜まりまくっているわけではないと思います)。

で、この受容体の働きを阻害する物質もあります。アンタゴニスト(拮抗薬)というやつです。拮抗薬は受容体にくっついて、伝達物質の再吸収を阻害します。で、ドパミンの拮抗薬にracloprideというのがあり、研究チームはこれをトレーサーとして使ったわけです。僕は論文の中身にはアクセスできないのでアブストラクトから推測すると、おそらくは線条体でのracloprideの経時変化を追ったら、racloprideの濃度低下が緩やかだった。ということは、racloprideがドパミン受容体にくっつけなくなっているに違いない。

racloprideが受容体にくっつけないということは、ドパミンもくっつけなくなっているはずで、ならば再吸収できなくなったドパミンが過剰になっているはずだ。そして、それは人間が快感を感じているときと同じであるし、実際被験者も「酒が飲みたくなってきた」と言っているわけだから、報酬系が刺激されているらしいぞ、というわけです。

なんだか回りくどい話ですが、生きている人の脳を調べるのですから少々回りくどいのは仕方ないことです。

近々日本でも認可される(もうされたの?)アカンプロセートは、ドパミンではなく、グルタミン酸の受容体に働きかけるのだそうです。アカンプロセートは長期の断酒に効果があるかどうかはまだ議論が続いているようですが、離脱症状の低減には効果があるようですので、断酒初期の再飲酒を減らす効果はあると期待されます。いままでの抗酒剤と違うのは肝臓に対する負担が小さいこと。

個人的には、アカンプロセートは(作用機序の違いはあるものの)抗酒剤の一種と捉えれば良いと思います。つまり、シアナミド(商品名シアナマイド)、ジズルフィラム(商品名ノックビン)に次ぐ、第三の抗酒剤という考えです。シアナミドもジズルフィラムも、断酒だけでなく節酒にも使えると言われましたが、それで飲酒がコントロールできた人はあまりいなかったようで、アカンプロセートも似たような結果になるのではないかと勝手に予想しています。

シアナマイドもノックビンも、肝臓が悪い人には使いづらいし、また再飲酒したときに救急のお世話になるのも難点です。アカンプロセートにはそうした欠点がないので、今後はこの第三の抗酒剤に移行していくのだろうと思います。(あるいは新旧タイプが併用されるか)。
No.6853  Re: ノンアルコールビールへの脳の反応 by AAメンバーM  2013-04-24 22:12
>人間の脳の活動を調べるのは難しいです。破壊検査をするわけにはいきませんから。

わたしがある医者から聞いた話では、アメリカで猿でお酒を飲まし、実験をやったそうです。
かなり飲ませた猿と多少飲んだ猿との脳を調べたそうです。
かわいそうですが破壊実験でした。
脳内に残ったドーパミンはTHIQ(テトラハイドロイソキノリン)といいまして、明らかに飲んだ猿の方がTHIQが多かったそうです。
これはどこかの文献にでているようです。

アカンプロセートは昨年、NHKのニュースで取り上げられました。
フランスで開発されたそうですが、いまやアメリカ、ヨーロッパはアカンプロセートです。アジアでは韓国だけが認可が下りているそうです。
久里浜病院に聞きましたが、まだ臨床試験中だそうです。

仕事のついでに韓国の病院でアカンプロセートをもらってきました。
しかし、副作用がやはりあるそうです。
・腎臓が悪くなる、従って、腎臓がすでに悪い人には使えない。
・死にたくなるという感情がでてくる。
・アカンプロセートを使用して酒は飲まないこと。
でした。
酒をやめたいためにアカンプロセートを使用して、人工透析になったらこちらのほうがっむしろ危ないと思ったほどです。
いずれにしても副作用のない特効薬はなさそうです。
No.6856  Re: ノンアルコールビールへの脳の反応 by ひいらぎ  2013-04-25 16:18
テトラハイドロイノキソリンの脳内への蓄積がアルコホリズムと関係している、と考えられたこともありましたが、その後、その考えは支持されなくなった(否定されている)そうです。

アカンプロセートの情報ありがとうございました。
ノックビンやシアナマイド→肝臓の悪い人に使えない
アカンプロセート→腎臓の悪い人に使えない、ですね。
アカンプロセートは一日三回飲む必要があるそうで、それもハードルの高さになりそうです。
(服薬頻度が上がるほどコンプライアンスが悪くなるから)
No.6857  Re: ノンアルコールビールへの脳の反応 by AAメンバーM  2013-04-25 19:41
>テトラハイドロイノキソリンの脳内への蓄積がアルコホリズムと関係している、と考えられたこともありましたが、その後、その考えは支持されなくなった(否定されている)そうです。

そうですか、医学もどんどん進化していきますから、情報も古くなるはずですね。てっきり古い情報に信じ込まされている方の新しい情報への適応への変化がなかなかむずかしいところですが、わたしは、古い考えは捨てます。(きっぱし!)

以前、抗酒剤を勧めていた先生の講話が興味深かったのが
抗酒剤は危険という指摘がありますが、の質問に、アル中で死ぬよりもいいだろう。でした。

アカンプロセートは在庫がたくさんあります。
ノックピンも健康な人でも(アル中ですが)肝臓が悪くなっていくのでしょうか?
酒やめてノックピンで肝臓を悪くしたら、元も子もないですねー。

No.6825  アヒルの子、再上映 by ひいらぎ  2013-04-03 19:15
以前、ACの映画のことを雑記で取り上げました
http://neatthing.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

再上映される情報がありました。

アヒルの子、再上映
ポレポレ東中野での『アヒルの子』上映
4月17日(水)20:00 小野さやか・内田春菊
http://mizushinedocu.com/schedule/#w417
No.6828  Re: アヒルの子、再上映 by AAメンバーM  2013-04-06 02:50
「アヒルの子」は日本映画学校(現在は日本映画大学)の卒業制作として撮られた映画なのですね。日本映画学校は映画監督・今村昌平の設立した、映画・映像制作スタッフを目指す若者が学ぶ学校です。確か厚木にあったかと思います。

《この監督、主役の小野さやか氏は20歳の学生として撮影したわけですが、
「自殺する前に、自分をこんなにした家族をぶっ壊す映画を撮る」・・そうしてできあがった映画が「アヒルの子」です。
彼女は映画スタッフを引き連れ、家族の一人一人と対決していきます。次兄、長兄、姉、そして父と母。これはドキュメンタリー映画です。》

雑記では上記のように書かれていますが、小野さやか氏は、映画を撮る最中はまさにアル中心理そのものだったのではないでしょうか。
ビッグブックの
「自分の意志だけでつっぱろうとしている人生はうまくいくものではない・・・誰もが芝居の全場面で主役を演じたがる役者のようである。証明も踊りも背景も、他の演出者のすべて、あくまで自分のやり方にあわそうとする・・・一番よいときをとっても、彼(彼女)は調和よりも混乱の演出家でないか?」それは雑記の《この映画が完成しなかったら、死ぬ前にお前ら全員殺してやる」と人を脅すことしか知らない危ない女だったわけです》に書かれています。

実在の出来事を、虚飾を交えることなく実録し、他人に公表すること自体が20歳にしてよく出来たものだと感心するばかりです。
すばらしい芸術作品は、ときには家族や他人を犠牲にする必要があると聞きます。公表に至るまで時間がかかったようですが、その間、自然に棚卸しをし、ACを回復したってことでしょうか?

余談ですが、自分の長男(AC)も東京の大学を出て、「やりたいことがみつからない」でフリーターになり、再度やりなおしたいということで、当時の日本映画学校に入りました。確か、卒業演劇は、幕末義人伝だったかと思いますが、青山円形劇劇場まで見に行ったことがあります。
最後は役者をあきらめましたが、映画学校の経験がよかったのでしょう、自分でACAまで通いだし、ACから回復しようとしています。
いまは映画学校時代に知り合った方と結婚して子供もいますが、はたして、わたしは、ACになった子供への本当の埋め合わせをしているだろうか、自分の回復だけを考えてはいないだろうか、自省を含めて投稿しました。
No.6829  Re: アヒルの子、再上映 by ひいらぎ  2013-04-07 22:23
第二次大戦後、多くの植民地が独立しましたが、いまも南米のギアナはフランスの海外領土のままです。

さて、『パピヨン』という映画がありました。僕はテレビ放映されているのを一度見ただけですので、かなりうろ覚えです。主人公はけちな金庫破りなのですが、仲間の裏切りによって捕まり、おまけに殺人の濡れ衣を着せられました。彼は国籍を剥奪され、前述ギアナの監獄へ送られ、灼熱の太陽の下で強制労働をさせられます。

彼は何度か脱獄を試み、そのたびに捕まって、より過酷な監獄へと送られます。最後に送られたのはとうてい脱出不能な絶海の孤島。そこではもう強制労働はなく、囚人たちは脱獄を諦めて平穏な日々を送っていました。

主人公のパピヨンも諦めて平和な日々を送るのですが、毎晩夢を見ます。それは彼の裁判の夢で、陪審員たちが彼を指して「有罪だ、有罪だ」と騒くのです。それに対してパピヨンは、違う俺じゃないと否定するのですが、最後に夢の中に裁判官が現れ、こう言います。

「お前は有罪だ。自分で自分の人生を台無しにしているから有罪なのだ」

自分が無為な日々を送っていたことに気付いた彼は、最後には脱獄に成功し、ベネズエラの市民権を得ます。

人生には時々理不尽なことが起こります。というか人生は理不尽なことの連続です。しかし、その理不尽さに巻き込まれて、自分で自分の人生を台無しにしてしまってはいけないのです。

ACというのも理不尽な境遇です。自分で親を選んで生まれてきたわけでもないのに、他の人たちにくらべてずっと大変な人生を送っています。まるで殺人の濡れ衣で監獄送りになったような理不尽さです。

パピヨンは脱獄という普通の人がしないような努力と苦労をしなければ、人並みの幸せを得ることすらできませんでした。ACの人も同じで、普通の親の元に生まれた人ならしなような努力と苦労をしなければ、回復が手に入りません。

この普通の人がしないような努力と苦労を嫌って、こうなったのは自分の責任ではないのだから、誰かが何とかしてくれるべきだと思いながら、無為な日々を送っているACの人も少なくありません。絶海の孤島で無為の日々を過ごすパピヨンのように。

その人の回復のプログラムはその人がやるしかないのですから。誰もその人がすべき努力、乗り越えるべき苦労を肩代わりしてあげることはできません。親としてもどかしく感じるかも知れませんが、代わりにやってあげることはできません。せいぜい、子供が回復の苦労をしているときに、後ろからできる援助をしてあげることぐらいでしょう。

映画『アヒルの子』について言えば、小野さやか監督は自分自身を映画に撮る課程で常人がしない努力と苦労を経験し、それを通じて回復しました(だからあの映画は、上映の後で監督自身が舞台に登場して撮影したときとは変化した姿を見せなければ完結しない構造になっている)。

それは私たちが馴染んだ「ミーティング+ステップ」というやり方とは違います。だから棚卸しなどの概念は当てはまらないとは思います。しかし、私たちが棚卸しや埋め合わせによって自分の中の古い役に立たなくなった価値観や信念をぶっ壊し、新しい役立つものに入れ替えていくように、映画の中で彼女自身が自分の古い価値観をぶっ壊していく姿が描かれているのです。

彼女の姿は、ヘビやコウモリを食べながらベネズエラに脱出したパピヨンの姿に重なる、と僕は考えているのです。
No.6830  Re: アヒルの子、再上映 by AAメンバーM  2013-04-08 11:23

パピヨンは1974年(昭和49年)日本公開ですから、もう39年経ちますね。映画館に見に行きました。
スティーブ・マックイーンとダスティ・ホフマンの二人の演技が圧巻でした。(この二人はこの映画が一回きりの共演)
なんといっても独房シーンのインパクトが凄まじい。ネズミやゴキブリを「生きるために食べる」シーンはいまだに焼きついています。
大脱走といい、パピヨンといいマックイーンには脱獄シーンが似合ってた。
蝶の刺青は「てふてふは韃靼海峡渡っていった」と同じ心境で、悪魔島”といわれる絶海の孤島から飛んで逃げたかった象徴かも。
脱獄囚が書いた実録小説が原作となっているだけあって、実に見応えのある作品に仕上がっています。それは以下のスタッフを見れば一目瞭然。
なんといっても監督は猿の惑星を作ったフランクリン・J・シャフナー。プロデューサーはアラン・ドロン、チャールズ・ブロンソンや三船の映画まで手がけているつわもの。
脚本は「ローマの休日」のシナリオ・ライター、撮影は「タワーリング・インフェルノ」の責任者といえば、世界1.2のスタッフだったといっても過言ではないと思います。
生への執着をここまで鮮烈に描いた作品はそうそうあるものではないですね。

さて、
>以前、ACの映画のことを雑記で取り上げました
>http://neatthing.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

この見出しで、映画『アヒルの子』はてっきりACの回復の物語と思ってしまいました。
よく読むと、現象面からはアダルト・チルドレンといわれていますし、小野さやか監督の親はアルコール依存症ではなかったのですね。
5歳のとき、Yギシ学園に1年入れられたことがトラウマになって、「いい子」で生きてきたけど、どうも真の自分が取り戻せない、自由が得られない。
Yギシには「血縁・婚姻関係が希薄となる環境が揃っている」とも言われています。
これが、長男の性的虐待、次男への自ら迫る性関係と無関係とはいえないかもしれません。(Yギシ学園を責めるつもりは毛頭ありません)

パピヨンの独房の最後は、絶海の悪魔島ですが、それまでに転々と独房を代わっている。パピヨンの居場所がみつかったのは、
悪魔島の絶壁からココナッツを7個投げて沖へ流れる海流を探し当てたときのココナッツの上だったかも。
映画『アヒルの子』の居場所は家庭でもなく、Yギシ学園でもなく、日本映画学校でもなく、観客の舞台の上だったかもしれません。

パピヨンは、独房で夢想した「人生を無駄に過ごすことは有罪」の通りパピヨンは真の自由を求めて死をも恐れず大海原へ飛び込んだ。
小野さやか氏は、わたしの独断と偏見でいわせてもらうと、映画『アヒルの子』を撮影し、世に公開することで、自らの過去を整理し
パピヨンと同じ「人生を無駄に過ごすことは有罪」に終止符を打ちたかったのでしょうか?
二人の人物の共通項は「生への執着」がテーマだったと思います。
最後の舞台挨拶を見ることができませんから、勝手に想像しました。
No.6833  Re: アヒルの子、再上映 by ひいらぎ  2013-04-10 18:06
人生は時に理不尽です。

パピヨンは人を殺していないのに、その罪を着せられて流刑になりました。これは理不尽なことです。
彼は自分を陥れた仲間に復讐するのではなく、自分が自由になるために行動しています。

また、小野さやか監督は幼い頃に宗教施設に入れられたことを発端として、内面に生きづらさを抱えていました。幼い子供に何の責任がありましょう。これも彼女にとって理不尽なことです。
彼女は「自殺する前に自分をこんなにした家族をぶっ壊してやる」とカメラをひっさげて家族と対峙していくのですが、家族へ復讐するとして始まった彼女の行動は、途中から映画を完成させ世に問うことへと変化していき、今は駆け出しながら映画人として生きています。

セントラルパークジョガー事件というのがありました。ニューヨークのセントラルパークをジョギングしていた若い白人女性が、若い男たちに襲われ、暴行を受け、強姦された事件です。彼女は大量に失血し、脳にも傷を負い、失明寸前で、12日間意識不明、その後も錯乱状態が続いたそうです。

この事件が有名なのは、大変なえん罪事件だったからです。事件後5人の若者が逮捕されましたが、4人は黒人、1人がヒスパニックでした。被害者女性の記憶がないため、証拠は捜査時の自白のみ。後に真犯人が名乗り出たことで、すでに服役していた5人は釈放されますが、新聞は「それでも奴らは何をやったに違いない」と書きました。

そんなわけで、この事件はえん罪のことばかり取り上げられますが、被害者女性本人が回復の自伝を出版してベストセラーになりました。彼女は、事件の真相には関心がないと言います。彼女は回復後MBAを取得し、ウォール街の金融会社で働いています。そして、彼女と同じような性暴力被害者の回復を支える基金を作り、講演活動をしています。彼女のサイトにはこんな言葉が掲げられています。

I CAN BE CHANGED BY WHAT HAPPENDED TO ME. BUT I REFUSE TO BE REDUCED BY IT.

大きかれ小さかれ、人生は理不尽なことの連続です。自分の落ち度ではないのに、理不尽なことで自分の人生が曲げられてしまうことは起きます。パピヨンもさやか監督もそうでした。ただ、その理不尽さに流されて、自分で自分の人生を台無しにするかどうかです。

アル中さんも同じです。ビッグブックに「この世間と世間の人間どもは何ともひどいものだ」という言葉があります(p.96)。まさに人生の理不尽さを嘆く言葉です。あのことさえ起きなければ、俺の人生はもっと違っていたはずだ、なんて恨みながら、三白眼で自己憐憫の酒を飲んでいるものなのです。

その出来事については、自分の側に落ち度はなかったのかもしれません(しあったかもしれない)。けれどどうであれその後、自分で自分の人生を台無しにし続けているのは、他の誰でもない自分自身の落ち度です。真実は人を自由にします。自分の人生をダメにしたのは、あの出来事でも、その犯人でもなく、自分自身であるという真実に気付けば、人は生き方を変えられます。

映画パピヨンのあの場面は、その気づきを象徴しています。主人公パピヨンはその気づきによって、自己憐憫による諦めから抜け出しました。トリシア・メリルの自伝は読んでいませんが、聞くところによれば彼女も恨みを取り除く援助を受けたのだそうです。

現代カウンセリングの祖、カール・ロジャースは、人には「自分の能力、可能性を実現したい」という傾向があり、あらゆる心理療法は人間のこの傾向を頼りにしている、としています。森田療法の言葉で言い換えれば「生への執着」です。12ステップもその点では例外ではありません。

「パピヨン」と「アヒルの子」、それぞれの映画の表現は12ステップとは違いますが、どれにも共通した一つのことを描き出していると考えています。

人生は時に理不尽ですが、その理不尽さに巻き込まれてしまってはいけない。巻き込まれてしまえば、恨みや自己憐憫に浸って自分で自分の人生を台無しにしていまう。ということです。
No.6835  Re: アヒルの子、再上映 by AAメンバーM  2013-04-11 22:18
>映画『アヒルの子』について言えば、小野さやか監督は自分自身を映画に撮る課程で常人がしない努力と苦労を経験し、それを通じて回復しました(だからあの映画は、上映の後で監督自身が舞台に登場して撮影したときとは変化した姿を見せなければ完結しない構造になっている)。

動画ですこし観ましたが、監督自身の言葉を舞台で聞きたいと思います。
仕事で近くまでいきますので、映画『アヒルの子』を実際に観てきたいと予定を立てました。
ポレポレ東中野は、中央線の東中野駅下車でよかったでしょうか?
No.6836  Re: アヒルの子、再上映 by ひいらぎ  2013-04-12 09:17
> ポレポレ東中野は、中央線の東中野駅下車でよかったでしょうか?

JR東中野駅西口改札北側出口より徒歩1分
地下鉄大江戸線東中野駅A1出口より徒歩1分
とありました。
No.6840  Re: アヒルの子、再上映 by AAメンバーM  2013-04-18 00:16
本日、ポレポレ東中野にいって来ました。チケットはすべて、完売でした。
遠くからきたからと粘りましたが、なんせアル中で田舎ものは、チケット予約を知らないのです。
宣伝協力していた佐藤さんという方と、30分くらい外で話していたら、なんと本人がでてきてツーショットです。なんとまあ、かわいい方でした。
130名収容で、15分前で締め切ったようです。
せめて、舞台挨拶は聞かせてほしいと粘りましたが、内田春菊さんとのトークショーだからだめでした。
上映のときは、チケット予約が確実ですと編集担当にいわれました。残念!
No.6844  Re: アヒルの子、再上映 by たまちゃん  2013-04-22 22:10
佐藤寛朗 ‏@kanroukun 4月18日

パンフレット編集&宣伝協力で関わった『アヒルの子』の上映が久しぶりにポレポレであり、立ち会う。数多くの反応に3年前の熱気の記憶が甦る一方で、小野監督の発言や対応をみて、月日が確実に流れたなと思った。観客にとってはその反応がスタートになる映画、という確信は3年経っても変わらない。
No.6850  Re: アヒルの子、再上映 by AAメンバーM  2013-04-24 21:01
たまちゃんへ

>佐藤寛朗 ‏@kanroukun 4月18日

>パンフレット編集&宣伝協力で関わった『アヒルの子』の上映が久しぶりにポ>レポレであり、立ち会う。数多くの反応に3年前の熱気の記憶が甦る一方で、>小野監督の発言や対応をみて、月日が確実に流れたなと思った。観客にとって>はその反応がスタートになる映画、という確信は3年経っても変わらない。

たまちゃん、佐藤さんのツイッターですか?
取り上げていただきありがとうございます。

観客にとってはその反応がスタートというのは納得です。
わたしは佐藤寛朗さんと話ができただけでも、光栄でした。
No.6854  Re: アヒルの子、再上映 by たまちゃん  2013-04-24 22:49
AAメンバーMさん、こんばんにゃ。

はい、佐藤さんのツイッターです。
私はこの映画を東京シューレでみました。
監督のお話も最前列で聞くことができました。
彼女はACではなく、カルトや親の宗教観の被害者と言ったほうがよいでしょう。
とはいうものの、映画を作るお金等親が出していますから、これはなかなかできることではありません。
ヤマギシはともかく、監督はもともと思い込みが激しく人と折り合いをつけるのが苦手で、そのことからずいぶんトラブルを作ってしまうようですね。これはヤマギシに行かなくても持って生まれたものとしてあるように思われます。映画を作ることで自分がなぜ生きにくいのかに気がついたように思われます。
No.6855  Re: アヒルの子、再上映 by AAメンバーM  2013-04-25 08:58
たまちゃんへ

カルトや親の宗教感の被害者、納得です。
映画はご両親が出費されたのですか?
ヤマギシへいかなくとも、コミュニケーションをとれなかった自分がいたことを映画を作ることで気がついた⇒納得です。
パンフをみると眉間に皺を寄せているような感じですが、本物はなんと明るいかわいい方でした、眉間の皺はありませんでした。
そのギャップがなんなのかようやくわかりかけてきました。

No.6852  リンクの件についてのご報告 by hiina  2013-04-24 21:37
リンクを貼らせて頂きました。

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