ぶどうのつるのように
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画像日記『心の家出』
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No.
1969
怒り、そして、焦燥感
by
レオンハルト
2007-12-21 10:12
怒りはスリップを早める原因だったような気がします。
恋愛から離れた私は怒り、その人への悔恨へと気持ちが進行して
いきました、その結果、最終的に行き着いた場所、それはギャンブル
場でした、みなが、何ヶ月と、クリーンな期間が長いのに私だけが
スリップをしてしまったのです。スリップをした日は取り戻せない
とわかっていながら、焦りと孤独感だけが私を襲います。
受け入れる落ち着きを私にお与えください。
No.
1992
<キャンセル>
No.
1993
<キャンセル>
No.
1997
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
私も無名で失礼します
2007-12-26 16:17
レオンハルトさんは、ギャンブル依存症ではなかったかと存じています。アルコール依存症ではなかったはず・・・
No.
1998
私も無名で失礼しますさんに
by
アポ
2007-12-26 17:09
レオンハルトさんがギャンブルだろうがアルコールだろうが依存症なんだからいいではないですか。
No.
1999
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
私も無名で失礼します
2007-12-26 21:57
アポさん、私はレオンさんが病院へ繋がることにケチをつけているのではありません。アルコール専門の病院とギャンブラーの場合は病院も対処療法もことなるのではないかと思いまして。レオンさんの回復を心から祈っています。
No.
2000
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
アポ
2007-12-26 22:34
ちなみに僕が入院した精神病院はアルコールもギャンブルも一緒です。最近はギャンブルの患者さんが多くなってきたそうです。
No.
2001
<キャンセル>
No.
2002
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
ラサール
2007-12-27 07:53
私の経験から投稿致します。
私が入院した 某県立病院では、様々なアディクションの方が入院でき
そのアディクションに応じた治療が出来ます。
アルコールは もちろん、GA、NA、OA、EA 何でも対応出来る
病院でした。
私が感じた事は12ステップ「基本的なもの」は同じだと、いう事でした。
参考になるかどうか解りませんが、一読されたし(~o~)
By ラサール2007年12月27日07時52分
No.
2005
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
アポ
2007-12-27 21:56
ラサールさんのおっしゃるとおりです。(笑)
No.
2006
<キャンセル>
No.
2007
ひえー
by
さかい
2007-12-28 17:59
まさにそのとうりです。
No.
2009
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
アポ
2007-12-28 19:21
プロの病院と医師のいうことに従えない人がスポンサーの言うことを聴ける訳がありません。スポンサーの言うことが聴けないのにアルコールが止められる訳がありません。この簡単なプログラムとはこのシンプルなプログラムのこと、すなわちスポンサーの提案に従っておっしゃるとおりに行動しますって言うプログラムではないかと、大変甘く考えてます。その結果 僕は今は怒りも焦燥感も全くありません。凄いプログラムではないかと感心しています。感謝
No.
2027
一本の電話が解決に向かうときもある。
by
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No.
2028
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
ひいらぎ
2008-01-04 04:16
依存症の人にとって、「お酒を飲んでいる状態」「ギャンブルしている状態」が自然で、やめている状態は不自然で落ち着かないのです。だから、自然の状態に戻ろう、戻ろうとするのは当然なんです。だから、自分の力を信じていると、再発するのが普通です。再発しなくても別の依存に走ったりとか。
やめられない、とまらないの時期は苦しいものですが、やめてる時期も苦しいのです。つまり、やめても、やめなくても、どっちも苦しいんです。
そこから逃げ出すためには、自分の力を信じるのをやめないといけません。
でも、ずっと自分を信じて生きてきましたから、自分を信じるのをやめることは、実はお酒をやめることより、ギャンブルをやめることより、ずっと嫌なことなんです。
だから「十分反省した自分をもう一度信用してやろうかな」と思っちゃうわけです。そしていずれ酒やギャンブルに戻っていきます。
一番嫌な、やりたくないこと。自分を信じるのをやめて、他のものを信じること。それが苦しさから逃れる道です。
No.
2029
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
かんた
2008-01-04 13:28
明けましておめでとうございます。
昨年度中は私のくだらない書き込みにお付き合いいただきましてありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、
『依存症の人にとって、「お酒を飲んでいる状態」「ギャンブルしている状態」が自然で、やめている状態は不自然で落ち着かないのです。』
だから、
『自然の状態に戻ろう、戻ろうとするのは当然なんです。』
ここは素直に納得できます。しかしそれに繋いで、
だから、
『自分の力を信じていると、再発するのが普通です。再発しなくても別の依存に走ったりとか。』
という部分、ここはよく分りません。
私はハイヤーパワーなるものがあるのかどうか、知りませんが、仮に存在するとしたら、自己の存在そのものもハイヤーパワーに基づくものだと考えます。
ハイヤーパワーを信ずることは、自己の可能性をも信ずること。
そのような気がしています。
自己を信ずること。自己肯定感は、重要だと思うのですが、そうではないのでしょうか。
ひいらぎさんは、本当に心の底から、自分自身を信じていないのでしょうか。
そうではないような気がいたしますが、いかがですか?
No.
2030
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
アポ
2008-01-04 14:57
あけましておめでとうございます。ひいらぎさんに対する質問に、僕ごときがかんたさんに答えるなんておかしいですが...自己肯定感セルフエスティームの重要性はいつもひいらぎさんがおっしゃってますねぇ。その自己肯定感は自分が作ったんではなく、目に見えない不思議な力...ハイヤーパワーを信じたからですよとひいらぎさんはいいたいのでは... 横からいたらないことを言いました。ごめんなさい。
No.
2031
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
ひいらぎ
2008-01-04 15:19
質問に質問で答えるのもどうかと思いますが、お尋ねします。
お酒を飲むときに、不幸になろうと思って飲んできましたか?
気持ちよくなりたい、楽になりたい、つまり幸せを求めて酒を飲んだのではありませんか?
もし、酒が不幸しかもたらさないとすれば、酒を飲む人はいないでしょう。(ギャンブルも同じですよ)。
自虐的に飲んできたという屁理屈は脇へ置いて、酒を使って何が欲しかったのか、考えてみましょう。それは今より幸せになりたいという気持ちじゃありませんでしたか?
みなさん、幸せになろうと思って酒を飲んでいるのですよ、きっとたぶん。そして、酒をやめても、幸せになろうという気持ちはやめられません。だから酒に戻るのです。幸せになりたいのは良い心です。でも、自分の良心や判断力を信じてはいけません。という話ですよ。
自己肯定感は、自分の判断力を信じるとこととは別物です。たとえ自分の判断が否定されたとしても揺るがないのが自己肯定感です。
その人の意見が否定されても、その人そのものが否定されたわけではないのですが、まるで自分の存在自体が否定された気がしてムキになるのがアル中さんです。ようは自己肯定感がないのです。
No.
2033
あけましておめでとうございます。
by
ゆきよしLEG
2008-01-04 17:39
昨年は、秋口よりちょこちょこ投稿させていただきました。
寛大な、ひいらぎさんに感謝です。本年もどうぞよろしくお願いします。
ただ酒をやめているだけの状態から、今年も少しずつでもはなれていきたいと思います。
年初から、さっそく、ひいらぎさんの鋭い投稿がありましたので、ちょこっと横レスなどさせていただきます。
>依存症の人にとって、「お酒を飲んでいる状態」が自然で、
>やめている状態は不自然で落ち着かない
大脳生理学でもそれが証明されています。アルコール依存症をあつかうお医者さんのサイトで知ったのですが、アルコール依存症者の大脳は「アルコールがある程度以上の濃度で、血中に存在するのが当たり前である」という風に「あやまった認識」をするようになっているそうです。
ですから、酒がさめてアルコール濃度が下がってくると、あたかも血中糖度が下がって空腹をおぼえるように、血中成分の濃度が高くなって水分が不足してくると「かわき」を覚えるように、「酒を飲みたい=アルコールを摂取せよ」と命令を出すのだそうです。
大脳が誤作動を起こしているのですから、アルコールを求める欲求は、「空腹×渇き」になって、そりゃあ辛くて当たり前ですね。
単純な話、こういう「アルコール回路」が設定されてしまった大脳に、「正常な回路」を、もう一度組み込むのが「プログラム」という見方もできるかなと思います。ただ、このアルコール回路は、一度設定されると、使わないようにすることはできるけれども、消去はできません。
ですから、新たに「酒なしで生きる」という回路を、別に設定しなおさないといけないんでしょう。それで、回復は子供の段階から、やりなおすのかもしれません。そうして大脳に「アルコール回路というあかずの間」をつくることになるんでしょう。
その意味で、私はやっと「4歳」になったばかりです。
アルコールはモルヒネと同程度の依存性があるといいます。依存症になる人たちにとっては、立派な麻薬的な作用をもたらすものです。
大脳は通常、毒物をシャットアウトする「弁」がついているのですが、酒や麻薬は、そこを「スルー」してしまうので、「大脳を直撃」するということだそうです。
私は、自分の言動のヘンさと、それらの記事を読んで、「大脳がおかしくなるのがアルコール依存症」と思いました。プログラムは、それを正常に戻す「リハビリ」マニュアルなんだろうな、というようにも解釈しています。
No.
2034
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
かんた
2008-01-04 20:15
酒を飲めば、一時的に多幸感を味わえるのは事実です。
でも、自らをアルコール依存症と判断し、自助グループに通ったり、このような掲示板を見たり、投稿したりするのは、酒がもたらす幸せ感は、一時的なもので、結局は、より不幸になるとの判断に基づくものではないでしょうか。たとえスリップを繰り返したとしても、そのような判断はできます。
これは自己の良心と言ってよいでしょう。
それが正しいと信ずるからこそ、AAに通ったりするのです。
自己の良心、判断が全く信用できないと断言してしまうのはおかしいです。
また質問ですが、私がひいらぎさんにもうAAに通う必要がないのではないかとアドバイスしたとしたら、ひいらぎさんは自己の判断を差し置いて、私のアドバイスに従ったりしますか。
そんなことしないでしょう。
ひいらぎさんは、ひいらぎさんの判断を信じて、行動されているのです。
自己の判断に基づいて行動し、スリップした人は、自己の判断を修正し、またその判断に基づき行動すればいいだけです。
自己の良心、判断を信ずるなと言いきるのはどうでしょうか。他人のアドバイスは尊重すべきですが、結局、人間は自分で判断し、行動する。そしてその結果も自分で責任を負うのです。
(ひいらぎさんの言いたいことも分からないではありませんが、断酒初期の間は先輩のアドバイスに従え、程度でいいのではないでしょうか)
なお自己ないし他者が絶対的に正しいなどと考える人はこれまた病気です。
私は自由主義論者または価値相対主義論者です。
No.
2035
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
mioko
2008-01-04 20:18
「自己肯定感」というテーマで私の思いを書かせていただきます。
私はずっと長い間、自分に対して自己肯定感がもてませんでした。
思えば、小さい頃の記憶で大酒飲みの父親に不満を抱いていた母が、私に向かって、「アンタが生まれていなかったら、実家に帰っていたのにねえ・・・」
と繰り返し言っていた事に起因するのかもしれません。
「私は生まれてこなかった方がよかったのかな」そんな事を漠然と考えていました。
私の母は、中途聴覚障害者である為、コミュニケーションがうまくとれず、自分の気持ちがうまく伝わらないもどかしさを常に感じていました。
母に期待すると、その期待が裏切られて、悲しい思いをするので、いつしか、母との普通の関係を諦めました。
常に母親にどうやったら、受け入れてもらえるかを、考えるようになりました。
直球勝負ではなく、常に変化球を工夫していました。
だから、私はいつも、周りに変な気を使うようになってしまいました。
「嫌われたくない」常にその事ばかり考えていました。
たぶん、そんな考え方のパターンが、私にアルコールに走らせたのです。
他の人にちょっと指摘をされると、内容が問題なのではなく、指摘をされた事が重大な問題でした。
自分の存在を全否定されたかのような錯覚に陥り、(このあたりは歪んだ認知)その辛さから手っ取り早くラクになるために酒と言う手段を選んでいたのです。
病院で認知行動療法を教えてもらい、自分が信頼する人と再会でき、この度、出版と言う形で素直な自己表現ができた今では、自分を信じる事、自分が好きになる事、自分が大事にできるようになりました。
ようやく私は自己肯定感を得ることができたのです。
自己肯定感が極端に低い病に「境界性人格障害」(ボーダーライン)があります。私はまさにそれなのですが、この病に依存症が多いのも事実です。
(アルコールだけではなく、薬物、ギャンブル、など)
No.
2037
のびるのびるぶどうのつる
by
ひいらぎ
2008-01-05 01:27
miokoさん、はじめまして。
どうも回復というのは、一度苦労し手にすればおしまいにできるものではなく、ずっと一生続けていかなければならないもののようです。
かんたさん。
だから、自分を含めた「人」を信用せず、もっと大きな存在を信じることが大切なのです。健全な判断力を備えた人が、精神病院に入ったりするでしょうか? 自分の判断を信じていった結果、むさ苦しい男たちと合宿生活を送る羽目になった、それ以上でも以下でもないでしょう。
あの時の判断は間違っていたが、今回は大丈夫と信じる根拠はなんでしょう。「もう二度としない」と言いながら、何度裏切ってきたでしょうか。今の自分は信じるに足ると言えるだけ、前回と今回の違いがないのが普通ですよ。
No.
2038
<キャンセル>
No.
2039
私のビョーキ(のひとつ)
by
ゆきよしLEG
2008-01-05 05:26
いま思うと、酒をやめて、まず気づいたのが、私は「自分は正しい」という思い込みが、ものすごく強い人間だったんだ、ということです。みっともないことでしたが。
この「わたしは正しい」と思いの強さを、インターネット上でもまきちらしておりましたので、常にほかの方との論争や言い合いなど、みにくい争いが絶えませんでした。
「私は正しい、おまえはまちがっている。私の正しさを認めるべきだ」と大上段から切りつけるのですから、相手はたまったものではなく、怒らせるかあきれさせるか、たいていどちらかでした。
怒る人とは言い合いになりましたし、あきれた人は「あんた、狂ってるよ」とひとこと残して、あとは相手になりません。後者の方が、より「正常」だったんだと思います。
そういう「思い込み」が、いかに病的な「独善」であったかを考えると、自分のアルコール依存症家庭で育った生い立ちからの影響を、認めざるをえませんでした。
あるとき、ミーティングの中で、そのことをはっきりと思い知らされました。別に、そういうことに関してだれかが言ったわけではありません。分かち合いに「独善」についての話題があったわけでもないのですが、なぜかその雰囲気の中で「ああ、おれって、自分の判断は神さまより正しいと思い込んでるところがあるよ」と、ふううっと気づいたことがあったんです。愕然としました。
私は「この件については、神様だって、正しいと認めてくれるはずだっ!!!」と思い込んでおり、「人類全体だって認めてくれるはずだっ!!!」「地球ぜんぶをひきかえにしてでも、この願望は果たされるべきだっ!!!」という、とんでもない独善に気づいてしまってからが、さあ大変。
私の中に、生まれてはじめて、こんな自問が生まれました。
「おまえは、自分が神さまより正しいというのか」
私のそういう「病的な正しさ(病的な理想主義・完全主義)」への執着は、そのとき「破産」しました。
「正しさへの病的こだわり」は、結局、まともでなかったハチャメチャな家庭で育った劣等感や嫉妬やコンプレックスなど、トラウマのせいで、「ほどよい自己肯定感」がもてないできた結果なのだ、と気づいたのは、もっとあとです。
「正しい」「正しくない」にこだわりだすと、自分にとって対人関係でロクなことにならないという経験をさんざんしたあげくでした・・・・。「正しい・正しくない」というこだわりよりも、もっとずっと大事なことがあると、気づいたのは、さらにあとでした。
No.
2040
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
かんた
2008-01-05 11:12
「大きな存在」を信ずることって、具体的には?
自己を超えた存在は、現実問題としてものを言わないでしょう。
その意思を忖度するのは、人間でしょう。
仮に「大きな存在」を信じてその意思に従うとしても、「大きな存在」の意図するところは何か、それに基づいてどう行動すべきかを決めるのは、実在としての人間です。そこには人間の意思・判断が介在せざるを得ないと思うのですが。
別にひいらぎさんには、ご宣託を下してくださる教祖様のような人がいるわけではないでしょう。そうすると「大いなる存在」を信じ、それに基づき、行動するのも、ひいらぎさんの意思・判断なのでは?
結局、何をどうするかを決めているのは、自分なのですよ。
私は、そう思っています。そしてこう思ったところで別段「大いなる存在」を否定するわけでもないと思います。いかがなものでしょうか。
なお、私個人に関して言えば、自分の判断が絶対というわけではない。間違いを犯すこともある。ということを忘れない。ということが大切だと思っています。
だからここにおける私の主張が絶対的に正しいというわけではありません。
No.
2041
大いなる存在と意思力の誤用
by
アポ
2008-01-05 14:00
僕は自分の意思の力でアルコールを止めようとは考えたことはありません。ミーティングが好きで参加していたらいつのまにかアルコールのことを忘れてる自分の存在に気が付きました。明日はわかりませんが、今現在はアルコールを忘れさせてくれた大きい存在を感じます。そこで僕の病気は治ったって勘違いするか妄想に浸っていると、スリップします。仲間がいい例をたくさんたくさん見せてくれてるではないですか。だから自分の意思力の誤用はしたくありません。うじゃうじゃ言う暇があるんならミーティングに参加せんかい!僕のスポンサーの言葉です。最近僕は神様の声が聞こえるようになりました(笑)
No.
2042
これは、私の個人的感想なのですが
by
ゆきよしLEG
2008-01-05 14:08
かんたさん、こんにちは。
>自分の判断が絶対というわけではない。
>間違いを犯すこともある。ということを忘れない。
私も以前は、そう思っておりました。
しかし、今ではこう思っています。
「自分の判断の多くはまちがっている。
たまには正しいこともあるが、それも絶対に正しいというわけではない」と。
自分の「正しさ」と「欠点」の比重を、どう見るか、ということに着目したのです。「だいたいは正しいが、ときにはまちがう」という考えが、自分の無力を認めていくプロセスで「たいてい間違っていて疑わしいが、ときには正しい」に変わりました。
健常者にとっては、そういう考えはあぶなっかしいかもしれませんが、アルコール依存症にとっては、それ位でちょうどいいと考えています。
ステップ6と7で「自分の性格上の欠点のすべて」について認めて、その修正を神様にお願いするには、「自分はだいたい正しい」ではとても自我がついていけませんでした。むしろ「欠点だらけでむちゃくちゃ」と感じ、「この欠点ひとつで、もう自分が正しいと思っているところも帳消し」と思うほかないほど打ちのめされました。
ひとつの欠点を認めるだけでも、大変なことです。それを「すべての欠点」にまで認識を広げるなら、おそらく一生かかるだろうと思います。いまも6と7の段階ですが、「謙虚に神に求める」にいたるために、日々、自我との格闘です。
いわゆる「自分の考えを使う」ことをやめて、「神の考え」に置き換えるようにしないと、また飲んでしまうということのようです。
ステップ11の「神の意志を知ることとそれを実践できる力だけを求める」には、「自分は正しい」という考え方では、無理なのだと思い知らされました。
「神の意志を知りたい」と思えるようになるまでがひと苦労、「それを実践できる力を求める」までがふた苦労、「その力だけを求める」までが三苦労です。
ともに、歩んでゆきましょう。しょせん、人間はどんぐりのせいくらべ。
No.
2043
そうそう、いい忘れました
by
ゆきよしLEG
2008-01-05 14:22
私は、ミーティングに参加し続けて、いろいろと気づきをいただいていますが、昨年、実感したのは「ひとりのアルコール依存症者が回復するためには、多くの人々の支えが必要」ということです。
「自分」という人間が、病気から回復するのに、AAメンバーを中心に、たくさんの人たちの有形無形の「支え」「助け」があって、初めて成り立つのだと思っています。
ミーティングは好きじゃありませんよ(笑)。できれば休みたいとか怠けたいと思います。でもグループの役割とかあると、そうもいってられない(笑)。そんなこんなで、決してかっこよくもないし、意欲的でもないのですが、もろもろの「動機づけ」をしながら、通ったりしてるわけです。
No.
2044
AAのプログラム
by
アポ
2008-01-05 15:53
信仰のプログラムです。僕はむつかしいことはわかりませんが、仲間から次のような言葉を教えて貰いました。空気は見えないけど、吸わずにはいられない。神様も見えないけど信じざるを得ない。
それが信仰というものさ。 感謝
No.
2050
<キャンセル>
No.
2051
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
舞
2008-01-07 06:29
長いスレッドだったので、「こりゃあ危ないぞ!」という私のお得意の独断と偏見の欠点で、開けなかったのですが今開けてみたら為になる事が盛りだくさんでした。有り難うございます。
>あるとき、ミーティングの中で、そのことをはっきりと思い知らされました。別に、そういうことに関してだれかが言ったわけではありません。分かち合いに「独善」についての話題があったわけでもないのですが、なぜかその雰囲気の中で「ああ、おれって、自分の判断は神さまより正しいと思い込んでるところがあるよ」と、ふううっと気づいたことがあったんです。愕然としました。
この経験は私も何度もあります。不思議ですね、、そこまで生きてきた自分の意識している自分の判断力からは出てこない知恵、判断力だと思います。自分の鎧が少しずつとれてきて、自分の欠点を認められるといつも頭の中のきりが少し晴れて、判断力を得る源が変わるような気がします。
よしゆきさんのおっしゃっている事が、スーと心の中に入ってきます。そしてアポさんの信仰のお話もそうですね。ビックブックには<光>となっていましたが、私達は空気や光なしには窒息して判断力どころではないという事かな?
でも今日も、実際の所私はいかり、恨み、を知らずに−−−ここが危ないのですーー私は<知らずに>溜め込んで、大火山爆発寸前でした。またまた4、5の時期が来たようです。ああ〜〜〜。「私は正しい!!」と言い切れた昔には戻れず、かといって間違いを認めるにはまず間違えを正確に見つけ出さねばならないし、、、。間違いをこころから認めたら逆説的に本物の自己肯定感がピッカー!!と光り出す予想はつくのだけれど。これも一生は続かない。
気長に今日も一日で、とりあえずは4、5をさけて庭掃除でもします。ガハハ、
No.
2057
このつるにはぶらさがっておきたい☆
by
LUNA
2008-01-07 20:54
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
アルコホーリクのLUNAです。
無事に年末年始も乗り切り、明日は初出勤でありました。
が、デスクに着いたとたん、気持ちがブレる、ブレる。ははは。
とっとと午前中で早退しましただ。
ひいらぎさま、三が日特別ページもしっかり拝見いたしました。
使い回しなどと、ご謙遜なさいません様。
迎春ワークショップのフェローシップで、大勢の仲間の口から「ほらあの、長野の仲間の…」と、“ココイエ”の話題が出ましたよ。
「書庫・資料置き場を大いに利用している」という声も聞きましたし。
ええと。わたしがAAのミーティングに通い始めたのは、「酒をやめようとしている様に見えるように」との魂胆からです。
もちろん、AAで酒が止まるとは信じてなどいませんでした。
しかし、参加当初、ドロドロのゾンビのように体を引きずってミーティングに出ていたわたしが、一年経った頃、ミーティングの中で笑っているのに気がついたとき、AAを、仲間を、HPを信じるしかなくなっていました。
ハイヤーパワーを信じたから、酒が止まったのではなく、酒が止まったから、ハイヤーパワーを「信じるようになった」のです。
「仲間と離れたらわたしは飲んでしまう」いえ、「飲みたくなったとき、わたしはAAの仲間から離れるのだ」と今では思っています。
かんちゃん、葡萄が酸っぱいか甘いかは、食べてみなきゃわかんないと思うよ。
まぁ、だまされたと思って、召し上がれ。(^^)
No.
2058
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
かんた
2008-01-07 22:59
は、は、は。
LUNAママさん。
私はへそ曲がりなものでついついひいらぎさんには絡みたくなるのです。
なんたって絡みつきがいがありますものね。
でもひいらぎさんも負けておりません。日々雑で今日もステップ1のお話です。
そうそう、2月から新しい事務員さんが来たら、昼間事務所を抜け出して、堀江でも行きます。
いま採用を決めた事務員さんがいるのだけども、今現在の職場を抜け出せなくて苦労しているみたいです。
そりゃ、事務員を引き抜かれる方としては堪らんわなあ。
No.
2064
Re: 怒り、そして、焦燥感
by
ひいらぎ
2008-01-08 17:06
LUNAさん、いろいろありがとうございます。
名の知られたAAメンバーになることが、良いことかどうか疑問に残るところですが、関西には家路のことを広めて下さる仲間がたくさんいらっしゃるようで、感謝しております。
正月休みにのんびりしすぎて、通常業務に戻って二日目で、もう仕事が嫌になっております。三が日特別バージョンと言いながら、気がついたら4日の夜までほったらかしでした。じつは毎年9月10月あたりから「何にしよう」と考えているのです。マチャードの詩と、高村光太郎の道程と、ほぼ同時期の作です。ちなみに写真はスペインの風景をネットから引っ張ってきたので、自分で撮影したものじゃありません。
そう言いながら、かんたさんもぶどうのツルに絡みついているんですよ^^
(そして新しい事務員さんと恋に落ちるんですねo(^∇^)o ワクワク
No.
2609
大丈夫!
by
YUU MAMA
2008-06-18 00:39
私は中学の頃からシンナー・覚せい剤・コカイン・を経験しました。
そんな私も38歳になり小学5年生の一人息子が居ます。未婚で産みましたが、子供を身ごもるまで覚せい剤を続けていました。でも、お腹が大きくなってくるのを実感し、お腹の中で子供が動くという事に幸せを感じるようになってから薬のことなど考える事もなくなりました。子供を産む事について反対されましたが、今では息子が産まれてくれたおかげで薬から離れる事が出来たと息子に感謝しています。今でも誘惑がない訳ではありません。でも、周りの友人が逮捕されると一番可哀相なのは子供なんです。私はある意味勝手に子供を産んだのですからきちんと息子に対する責任があります!若い時は子供なんて大嫌いな私でしたが、自分の子がこんなに可愛いと思うとは・・・!
息子の父親には妻も子供も居ましたが、私は息子に本当の事を話しました。
息子が産まれてからも付き合ってたので息子にとってはパパだった訳です。
クリスマスや正月は一番淋しくて、正直何度か私も誘惑に負けそうになりましたが・・・。勝ちました!!やはり守るものの為なら勝てますよ!
負けそうになった時は大切な何かを見つけて下さい!絶対大丈夫!!
No.
3894
Jose Vasquez
by
Malcolm Ellison
2009-05-01 14:56
ias10jxu4e1ibgow
ぶどうのつるのように
No.
3912
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by
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horn
2006
私が入院した 某県立病院では、様々なアディクションの方が入院でき
そのアディクションに応じた治療が出来ます。
アルコールは もちろん、GA、NA、OA、EA 何でも対応出来る
病院でした。
私が感じた事は12ステップ「基本的なもの」は同じだと、いう事でした。
参考になるかどうか解りませんが、一読されたし(~o~)
By ラサール2007年12月27日07時52分
ギャンブル依存症、買い物依存症をはじめとした依存症の
ご本人・ご家族からのご相談、また気分障害(うつ病、不安障害
パニック障害など)のご相談や各種心のお悩みのご相談に応じます。
そのほか、PTSD、摂食障害 人間関係 家族関係など
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新しいカウンセリングとリカバリーサポート(ギャンブル依存症通所型デイケア)
の拠点が整備されました。11月12日よりオープンいたしました。
横浜市 相模鉄道線 二俣川駅より徒歩8分(横浜駅より急行で一駅です)
カウンセリングプレイス”ステラ ポラリス”
http://placestella.com/default.aspx
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やめられない、とまらないの時期は苦しいものですが、やめてる時期も苦しいのです。つまり、やめても、やめなくても、どっちも苦しいんです。
そこから逃げ出すためには、自分の力を信じるのをやめないといけません。
でも、ずっと自分を信じて生きてきましたから、自分を信じるのをやめることは、実はお酒をやめることより、ギャンブルをやめることより、ずっと嫌なことなんです。
だから「十分反省した自分をもう一度信用してやろうかな」と思っちゃうわけです。そしていずれ酒やギャンブルに戻っていきます。
一番嫌な、やりたくないこと。自分を信じるのをやめて、他のものを信じること。それが苦しさから逃れる道です。
昨年度中は私のくだらない書き込みにお付き合いいただきましてありがとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、
『依存症の人にとって、「お酒を飲んでいる状態」「ギャンブルしている状態」が自然で、やめている状態は不自然で落ち着かないのです。』
だから、
『自然の状態に戻ろう、戻ろうとするのは当然なんです。』
ここは素直に納得できます。しかしそれに繋いで、
だから、
『自分の力を信じていると、再発するのが普通です。再発しなくても別の依存に走ったりとか。』
という部分、ここはよく分りません。
私はハイヤーパワーなるものがあるのかどうか、知りませんが、仮に存在するとしたら、自己の存在そのものもハイヤーパワーに基づくものだと考えます。
ハイヤーパワーを信ずることは、自己の可能性をも信ずること。
そのような気がしています。
自己を信ずること。自己肯定感は、重要だと思うのですが、そうではないのでしょうか。
ひいらぎさんは、本当に心の底から、自分自身を信じていないのでしょうか。
そうではないような気がいたしますが、いかがですか?
お酒を飲むときに、不幸になろうと思って飲んできましたか?
気持ちよくなりたい、楽になりたい、つまり幸せを求めて酒を飲んだのではありませんか?
もし、酒が不幸しかもたらさないとすれば、酒を飲む人はいないでしょう。(ギャンブルも同じですよ)。
自虐的に飲んできたという屁理屈は脇へ置いて、酒を使って何が欲しかったのか、考えてみましょう。それは今より幸せになりたいという気持ちじゃありませんでしたか?
みなさん、幸せになろうと思って酒を飲んでいるのですよ、きっとたぶん。そして、酒をやめても、幸せになろうという気持ちはやめられません。だから酒に戻るのです。幸せになりたいのは良い心です。でも、自分の良心や判断力を信じてはいけません。という話ですよ。
自己肯定感は、自分の判断力を信じるとこととは別物です。たとえ自分の判断が否定されたとしても揺るがないのが自己肯定感です。
その人の意見が否定されても、その人そのものが否定されたわけではないのですが、まるで自分の存在自体が否定された気がしてムキになるのがアル中さんです。ようは自己肯定感がないのです。
寛大な、ひいらぎさんに感謝です。本年もどうぞよろしくお願いします。
ただ酒をやめているだけの状態から、今年も少しずつでもはなれていきたいと思います。
年初から、さっそく、ひいらぎさんの鋭い投稿がありましたので、ちょこっと横レスなどさせていただきます。
>依存症の人にとって、「お酒を飲んでいる状態」が自然で、
>やめている状態は不自然で落ち着かない
大脳生理学でもそれが証明されています。アルコール依存症をあつかうお医者さんのサイトで知ったのですが、アルコール依存症者の大脳は「アルコールがある程度以上の濃度で、血中に存在するのが当たり前である」という風に「あやまった認識」をするようになっているそうです。
ですから、酒がさめてアルコール濃度が下がってくると、あたかも血中糖度が下がって空腹をおぼえるように、血中成分の濃度が高くなって水分が不足してくると「かわき」を覚えるように、「酒を飲みたい=アルコールを摂取せよ」と命令を出すのだそうです。
大脳が誤作動を起こしているのですから、アルコールを求める欲求は、「空腹×渇き」になって、そりゃあ辛くて当たり前ですね。
単純な話、こういう「アルコール回路」が設定されてしまった大脳に、「正常な回路」を、もう一度組み込むのが「プログラム」という見方もできるかなと思います。ただ、このアルコール回路は、一度設定されると、使わないようにすることはできるけれども、消去はできません。
ですから、新たに「酒なしで生きる」という回路を、別に設定しなおさないといけないんでしょう。それで、回復は子供の段階から、やりなおすのかもしれません。そうして大脳に「アルコール回路というあかずの間」をつくることになるんでしょう。
その意味で、私はやっと「4歳」になったばかりです。
アルコールはモルヒネと同程度の依存性があるといいます。依存症になる人たちにとっては、立派な麻薬的な作用をもたらすものです。
大脳は通常、毒物をシャットアウトする「弁」がついているのですが、酒や麻薬は、そこを「スルー」してしまうので、「大脳を直撃」するということだそうです。
私は、自分の言動のヘンさと、それらの記事を読んで、「大脳がおかしくなるのがアルコール依存症」と思いました。プログラムは、それを正常に戻す「リハビリ」マニュアルなんだろうな、というようにも解釈しています。
でも、自らをアルコール依存症と判断し、自助グループに通ったり、このような掲示板を見たり、投稿したりするのは、酒がもたらす幸せ感は、一時的なもので、結局は、より不幸になるとの判断に基づくものではないでしょうか。たとえスリップを繰り返したとしても、そのような判断はできます。
これは自己の良心と言ってよいでしょう。
それが正しいと信ずるからこそ、AAに通ったりするのです。
自己の良心、判断が全く信用できないと断言してしまうのはおかしいです。
また質問ですが、私がひいらぎさんにもうAAに通う必要がないのではないかとアドバイスしたとしたら、ひいらぎさんは自己の判断を差し置いて、私のアドバイスに従ったりしますか。
そんなことしないでしょう。
ひいらぎさんは、ひいらぎさんの判断を信じて、行動されているのです。
自己の判断に基づいて行動し、スリップした人は、自己の判断を修正し、またその判断に基づき行動すればいいだけです。
自己の良心、判断を信ずるなと言いきるのはどうでしょうか。他人のアドバイスは尊重すべきですが、結局、人間は自分で判断し、行動する。そしてその結果も自分で責任を負うのです。
(ひいらぎさんの言いたいことも分からないではありませんが、断酒初期の間は先輩のアドバイスに従え、程度でいいのではないでしょうか)
なお自己ないし他者が絶対的に正しいなどと考える人はこれまた病気です。
私は自由主義論者または価値相対主義論者です。
私はずっと長い間、自分に対して自己肯定感がもてませんでした。
思えば、小さい頃の記憶で大酒飲みの父親に不満を抱いていた母が、私に向かって、「アンタが生まれていなかったら、実家に帰っていたのにねえ・・・」
と繰り返し言っていた事に起因するのかもしれません。
「私は生まれてこなかった方がよかったのかな」そんな事を漠然と考えていました。
私の母は、中途聴覚障害者である為、コミュニケーションがうまくとれず、自分の気持ちがうまく伝わらないもどかしさを常に感じていました。
母に期待すると、その期待が裏切られて、悲しい思いをするので、いつしか、母との普通の関係を諦めました。
常に母親にどうやったら、受け入れてもらえるかを、考えるようになりました。
直球勝負ではなく、常に変化球を工夫していました。
だから、私はいつも、周りに変な気を使うようになってしまいました。
「嫌われたくない」常にその事ばかり考えていました。
たぶん、そんな考え方のパターンが、私にアルコールに走らせたのです。
他の人にちょっと指摘をされると、内容が問題なのではなく、指摘をされた事が重大な問題でした。
自分の存在を全否定されたかのような錯覚に陥り、(このあたりは歪んだ認知)その辛さから手っ取り早くラクになるために酒と言う手段を選んでいたのです。
病院で認知行動療法を教えてもらい、自分が信頼する人と再会でき、この度、出版と言う形で素直な自己表現ができた今では、自分を信じる事、自分が好きになる事、自分が大事にできるようになりました。
ようやく私は自己肯定感を得ることができたのです。
自己肯定感が極端に低い病に「境界性人格障害」(ボーダーライン)があります。私はまさにそれなのですが、この病に依存症が多いのも事実です。
(アルコールだけではなく、薬物、ギャンブル、など)
どうも回復というのは、一度苦労し手にすればおしまいにできるものではなく、ずっと一生続けていかなければならないもののようです。
かんたさん。
だから、自分を含めた「人」を信用せず、もっと大きな存在を信じることが大切なのです。健全な判断力を備えた人が、精神病院に入ったりするでしょうか? 自分の判断を信じていった結果、むさ苦しい男たちと合宿生活を送る羽目になった、それ以上でも以下でもないでしょう。
あの時の判断は間違っていたが、今回は大丈夫と信じる根拠はなんでしょう。「もう二度としない」と言いながら、何度裏切ってきたでしょうか。今の自分は信じるに足ると言えるだけ、前回と今回の違いがないのが普通ですよ。
この「わたしは正しい」と思いの強さを、インターネット上でもまきちらしておりましたので、常にほかの方との論争や言い合いなど、みにくい争いが絶えませんでした。
「私は正しい、おまえはまちがっている。私の正しさを認めるべきだ」と大上段から切りつけるのですから、相手はたまったものではなく、怒らせるかあきれさせるか、たいていどちらかでした。
怒る人とは言い合いになりましたし、あきれた人は「あんた、狂ってるよ」とひとこと残して、あとは相手になりません。後者の方が、より「正常」だったんだと思います。
そういう「思い込み」が、いかに病的な「独善」であったかを考えると、自分のアルコール依存症家庭で育った生い立ちからの影響を、認めざるをえませんでした。
あるとき、ミーティングの中で、そのことをはっきりと思い知らされました。別に、そういうことに関してだれかが言ったわけではありません。分かち合いに「独善」についての話題があったわけでもないのですが、なぜかその雰囲気の中で「ああ、おれって、自分の判断は神さまより正しいと思い込んでるところがあるよ」と、ふううっと気づいたことがあったんです。愕然としました。
私は「この件については、神様だって、正しいと認めてくれるはずだっ!!!」と思い込んでおり、「人類全体だって認めてくれるはずだっ!!!」「地球ぜんぶをひきかえにしてでも、この願望は果たされるべきだっ!!!」という、とんでもない独善に気づいてしまってからが、さあ大変。
私の中に、生まれてはじめて、こんな自問が生まれました。
「おまえは、自分が神さまより正しいというのか」
私のそういう「病的な正しさ(病的な理想主義・完全主義)」への執着は、そのとき「破産」しました。
「正しさへの病的こだわり」は、結局、まともでなかったハチャメチャな家庭で育った劣等感や嫉妬やコンプレックスなど、トラウマのせいで、「ほどよい自己肯定感」がもてないできた結果なのだ、と気づいたのは、もっとあとです。
「正しい」「正しくない」にこだわりだすと、自分にとって対人関係でロクなことにならないという経験をさんざんしたあげくでした・・・・。「正しい・正しくない」というこだわりよりも、もっとずっと大事なことがあると、気づいたのは、さらにあとでした。
自己を超えた存在は、現実問題としてものを言わないでしょう。
その意思を忖度するのは、人間でしょう。
仮に「大きな存在」を信じてその意思に従うとしても、「大きな存在」の意図するところは何か、それに基づいてどう行動すべきかを決めるのは、実在としての人間です。そこには人間の意思・判断が介在せざるを得ないと思うのですが。
別にひいらぎさんには、ご宣託を下してくださる教祖様のような人がいるわけではないでしょう。そうすると「大いなる存在」を信じ、それに基づき、行動するのも、ひいらぎさんの意思・判断なのでは?
結局、何をどうするかを決めているのは、自分なのですよ。
私は、そう思っています。そしてこう思ったところで別段「大いなる存在」を否定するわけでもないと思います。いかがなものでしょうか。
なお、私個人に関して言えば、自分の判断が絶対というわけではない。間違いを犯すこともある。ということを忘れない。ということが大切だと思っています。
だからここにおける私の主張が絶対的に正しいというわけではありません。
>自分の判断が絶対というわけではない。
>間違いを犯すこともある。ということを忘れない。
私も以前は、そう思っておりました。
しかし、今ではこう思っています。
「自分の判断の多くはまちがっている。
たまには正しいこともあるが、それも絶対に正しいというわけではない」と。
自分の「正しさ」と「欠点」の比重を、どう見るか、ということに着目したのです。「だいたいは正しいが、ときにはまちがう」という考えが、自分の無力を認めていくプロセスで「たいてい間違っていて疑わしいが、ときには正しい」に変わりました。
健常者にとっては、そういう考えはあぶなっかしいかもしれませんが、アルコール依存症にとっては、それ位でちょうどいいと考えています。
ステップ6と7で「自分の性格上の欠点のすべて」について認めて、その修正を神様にお願いするには、「自分はだいたい正しい」ではとても自我がついていけませんでした。むしろ「欠点だらけでむちゃくちゃ」と感じ、「この欠点ひとつで、もう自分が正しいと思っているところも帳消し」と思うほかないほど打ちのめされました。
ひとつの欠点を認めるだけでも、大変なことです。それを「すべての欠点」にまで認識を広げるなら、おそらく一生かかるだろうと思います。いまも6と7の段階ですが、「謙虚に神に求める」にいたるために、日々、自我との格闘です。
いわゆる「自分の考えを使う」ことをやめて、「神の考え」に置き換えるようにしないと、また飲んでしまうということのようです。
ステップ11の「神の意志を知ることとそれを実践できる力だけを求める」には、「自分は正しい」という考え方では、無理なのだと思い知らされました。
「神の意志を知りたい」と思えるようになるまでがひと苦労、「それを実践できる力を求める」までがふた苦労、「その力だけを求める」までが三苦労です。
ともに、歩んでゆきましょう。しょせん、人間はどんぐりのせいくらべ。
「自分」という人間が、病気から回復するのに、AAメンバーを中心に、たくさんの人たちの有形無形の「支え」「助け」があって、初めて成り立つのだと思っています。
ミーティングは好きじゃありませんよ(笑)。できれば休みたいとか怠けたいと思います。でもグループの役割とかあると、そうもいってられない(笑)。そんなこんなで、決してかっこよくもないし、意欲的でもないのですが、もろもろの「動機づけ」をしながら、通ったりしてるわけです。
それが信仰というものさ。 感謝
>あるとき、ミーティングの中で、そのことをはっきりと思い知らされました。別に、そういうことに関してだれかが言ったわけではありません。分かち合いに「独善」についての話題があったわけでもないのですが、なぜかその雰囲気の中で「ああ、おれって、自分の判断は神さまより正しいと思い込んでるところがあるよ」と、ふううっと気づいたことがあったんです。愕然としました。
この経験は私も何度もあります。不思議ですね、、そこまで生きてきた自分の意識している自分の判断力からは出てこない知恵、判断力だと思います。自分の鎧が少しずつとれてきて、自分の欠点を認められるといつも頭の中のきりが少し晴れて、判断力を得る源が変わるような気がします。
よしゆきさんのおっしゃっている事が、スーと心の中に入ってきます。そしてアポさんの信仰のお話もそうですね。ビックブックには<光>となっていましたが、私達は空気や光なしには窒息して判断力どころではないという事かな?
でも今日も、実際の所私はいかり、恨み、を知らずに−−−ここが危ないのですーー私は<知らずに>溜め込んで、大火山爆発寸前でした。またまた4、5の時期が来たようです。ああ〜〜〜。「私は正しい!!」と言い切れた昔には戻れず、かといって間違いを認めるにはまず間違えを正確に見つけ出さねばならないし、、、。間違いをこころから認めたら逆説的に本物の自己肯定感がピッカー!!と光り出す予想はつくのだけれど。これも一生は続かない。
気長に今日も一日で、とりあえずは4、5をさけて庭掃除でもします。ガハハ、
アルコホーリクのLUNAです。
無事に年末年始も乗り切り、明日は初出勤でありました。
が、デスクに着いたとたん、気持ちがブレる、ブレる。ははは。
とっとと午前中で早退しましただ。
ひいらぎさま、三が日特別ページもしっかり拝見いたしました。
使い回しなどと、ご謙遜なさいません様。
迎春ワークショップのフェローシップで、大勢の仲間の口から「ほらあの、長野の仲間の…」と、“ココイエ”の話題が出ましたよ。
「書庫・資料置き場を大いに利用している」という声も聞きましたし。
ええと。わたしがAAのミーティングに通い始めたのは、「酒をやめようとしている様に見えるように」との魂胆からです。
もちろん、AAで酒が止まるとは信じてなどいませんでした。
しかし、参加当初、ドロドロのゾンビのように体を引きずってミーティングに出ていたわたしが、一年経った頃、ミーティングの中で笑っているのに気がついたとき、AAを、仲間を、HPを信じるしかなくなっていました。
ハイヤーパワーを信じたから、酒が止まったのではなく、酒が止まったから、ハイヤーパワーを「信じるようになった」のです。
「仲間と離れたらわたしは飲んでしまう」いえ、「飲みたくなったとき、わたしはAAの仲間から離れるのだ」と今では思っています。
かんちゃん、葡萄が酸っぱいか甘いかは、食べてみなきゃわかんないと思うよ。
まぁ、だまされたと思って、召し上がれ。(^^)
LUNAママさん。
私はへそ曲がりなものでついついひいらぎさんには絡みたくなるのです。
なんたって絡みつきがいがありますものね。
でもひいらぎさんも負けておりません。日々雑で今日もステップ1のお話です。
そうそう、2月から新しい事務員さんが来たら、昼間事務所を抜け出して、堀江でも行きます。
いま採用を決めた事務員さんがいるのだけども、今現在の職場を抜け出せなくて苦労しているみたいです。
そりゃ、事務員を引き抜かれる方としては堪らんわなあ。
名の知られたAAメンバーになることが、良いことかどうか疑問に残るところですが、関西には家路のことを広めて下さる仲間がたくさんいらっしゃるようで、感謝しております。
正月休みにのんびりしすぎて、通常業務に戻って二日目で、もう仕事が嫌になっております。三が日特別バージョンと言いながら、気がついたら4日の夜までほったらかしでした。じつは毎年9月10月あたりから「何にしよう」と考えているのです。マチャードの詩と、高村光太郎の道程と、ほぼ同時期の作です。ちなみに写真はスペインの風景をネットから引っ張ってきたので、自分で撮影したものじゃありません。
そう言いながら、かんたさんもぶどうのツルに絡みついているんですよ^^
(そして新しい事務員さんと恋に落ちるんですねo(^∇^)o ワクワク
そんな私も38歳になり小学5年生の一人息子が居ます。未婚で産みましたが、子供を身ごもるまで覚せい剤を続けていました。でも、お腹が大きくなってくるのを実感し、お腹の中で子供が動くという事に幸せを感じるようになってから薬のことなど考える事もなくなりました。子供を産む事について反対されましたが、今では息子が産まれてくれたおかげで薬から離れる事が出来たと息子に感謝しています。今でも誘惑がない訳ではありません。でも、周りの友人が逮捕されると一番可哀相なのは子供なんです。私はある意味勝手に子供を産んだのですからきちんと息子に対する責任があります!若い時は子供なんて大嫌いな私でしたが、自分の子がこんなに可愛いと思うとは・・・!
息子の父親には妻も子供も居ましたが、私は息子に本当の事を話しました。
息子が産まれてからも付き合ってたので息子にとってはパパだった訳です。
クリスマスや正月は一番淋しくて、正直何度か私も誘惑に負けそうになりましたが・・・。勝ちました!!やはり守るものの為なら勝てますよ!
負けそうになった時は大切な何かを見つけて下さい!絶対大丈夫!!
ぶどうのつるのように